海棲哺乳類に属し、南極の氷原に棲息する怪獣。アザラシのような顔つきとトドのような牙、ペンギンのような足など、極洋に棲息する生物の特性を複合した姿で、直立二足歩行の有尾形態だ。口から吐く冷凍光線は中心点で零下130度にまで達し、凍結させた物体に反重力現象を生じさせ破壊する。かつて南極越冬隊を襲い、その際に野村隊員の手帳に「ペギラ」と記された。その野村隊員の命を奪い、3年後にまた彼の捜索のために南極を訪れた万城目ら観測隊に襲いかかる。冷凍光線で夏季の南極を大寒波に見舞わせ、数トンもある雪上車さえ簡単に舞い上がらせた。両翼で突風を起こし、黒煙を噴き上げながら上昇・飛行する。唯一の弱点は、南極の氷原に自生する特殊な苔に含まれる“ペギミンH”という物質だ。これを食べた犬のサブが、3年間無事だった事実からその有効性が発覚する。この“ペギミンH”が久原羊子によって抽出され、これを搭載した気象観測用ロケットの直撃を喰らい、何処かへ飛び去った。
そして1年後。開発競争が進む南極で原子力発電所の事故が発生、温暖化によって南極が棲息に不適当な温度となったため北極へ移動、その途上で東京に飛来した。零下130度の冷凍光線は健在で、真夏の東京を異常寒波に見舞い氷雪で覆い尽くす。自衛隊機による攻撃をものともせず、ビルを破壊し圧倒的進撃で東京を蹂躙した。だがかつてゼロ戦の操縦士であった沢村が、セスナ機で特攻作戦を敢行。機に搭載してあった爆薬混合の“ペギミンH”をまともに喰らったペギラは、黒煙とともに再び何処へともなく飛び去った。
ペギラは、成田亨・高山良策のコンビネーションによるウルトラ怪獣の第1号である。
ペギラが登場する2編の監督を担当した野長瀬三摩地監督新参入と同時期に、当時脆弱だった円谷プロ美術部門の強化スタッフとして新たに参加したのが、前衛美術家の成田亨だ。成田は、当時円谷が旨としていた東宝映画怪獣の縫いぐるみ流用予定を拒否し、自らデザインを手がけることを条件にこの仕事を引き受けた。そしてもうひとり、縫いぐるみ造型担当として高山良策が参画する。それ以前の高山は既に、『ぼくはムク犬』(1960年)や『大群獣ネズラ』(1964年未公開)などの大映映画で、植毛による動物縫いぐるみ製作に定評があった。このペギラは、その成田・高山の“黄金コンビ”による『ウルトラQ』怪獣の第1号であるとともに、「怪獣」というものに初めて本格的な意匠が凝らされたウルトラ怪獣の、文字通り記念すべき第1号なのだ。
もちろん『ウルトラQ』第1話「ゴメスを倒せ!」の放映で、初めてお茶の間に登場したウルトラ怪獣はゴメスである。だが「ゴメスを倒せ!」の制作順は12番目であり、ゴメス自体は東宝のゴジラの縫いぐるみ流用だ。また同エピソードに登場したリトラは鳳凰などの瑞鳥そのものであり、やはり東宝のラドンの操演用モデルを流用している。『ウルトラQ』の作品としていの一番に制作されたのは放映話数第4話の「マンモスフラワー」だが、登場するジュランはこれまた「怪獣」とは言い難い巨大な花だ。以上のことを鑑みればペギラはやはり、制作順としては15番目にあたるのだが、ゼロから生み出されたオリジナルの「ウルトラ“怪獣”」第1号なのである。
ともあれペギラ誕生は、本邦における怪獣史の中で、東宝のゴジラとともに重要な位置づけとされよう。何故ならゴジラ同様に「怪獣」の代名詞とも言うべきバルタン星人やカネゴンなどは、成田・高山コンビが生み出したものであって、その原点として第1号怪獣のペギラがあるからである。
「既存生物の安易な巨大化はやらない」。怪獣のデザインにあたって、成田亨が提唱した原則のひとつだ。その出発点となったペギラには、複数の極洋生物の融合が見られる。同じ極洋生物に着想したトドラ(第27話登場、縫いぐるみ自体は東宝の『妖星ゴラス』に登場したマグマを流用)が、トドないしセイウチそのもののモチーフ性がストレートに露出しているのに対して、ペギラは全く異なった意趣を以ってデザインされた。また『仮面ライダー』に登場したトドギラー(第47話)も、その名が示すとおりモチーフとなったトドを前面に押し出している。特定の「何」が顕著であるという訳ではなく、しかし確かにペギラは極洋生物であり、そこに巨大生物ならぬ「怪獣」としての妙味があるのだ。
寝呆けた顔つきはアザラシなどの海棲哺乳類を髣髴とさせ、鼻の付近にはヒゲまで認められる。突き出た2本の牙は外側に向かって巻いてはいるものの、これがトドやセイウチのものであろうことは、海棲哺乳類の顔つきから極々自然な流れで受容されよう。カーテン状の翼(フリッパー)は羽毛で覆われた羽根というよりは、むしろコウモリやムササビが持つ飛膜である。したがって“ペギラ”の名の由来となったペンギンのモチーフ性は羽根には無く、水掻きの付いた足に認められるばかりだ。以上がペギラを形作る大まかな要素である。ペギラは、アザラシ・オットセイ・アシカ・トド・セイウチのいずれの海棲哺乳類でもなく、そしてペンギンでもない。しかし極洋に棲まう生物であることは、その姿が雄弁に物語っているのだ。
次にペギラの皮膚に着目してみよう。胴体に点在するオストリッチ皮革さながらの突起は、岩礁や船底などに固着するフジツボのようだ。このフジツボと併せて、皮膚全体のゴワゴワした厳めしさは、極寒を耐え抜く質感としての整合性を呈していると言えよう。またそれは同時に、極洋に棲まうものが太古より存続してきた「悠久の時間」そのものさえ顕現させている。
「極洋生物の融合体」など、もちろん事例や前例がある訳ではない。だがその前人未踏の域への初山踏みに、この上ない刺激と魅力を成田と高山が感じ取っていたことは、彼らによって生み出されたペギラをはじめとする怪獣の数々を見れば容易に窺い知れる。そこには、「子ども相手だから怪獣なんてこんなものでいい」という妥協が一切無い。前衛美術家として自身の作品製作に挑む姿勢そのままに、怪獣創造に全身全霊を込めたのである。
「有り得ない」生物の「有り得る」姿。これを先ずデザイン画で顕現させたのは、当時既にシュルレアリスムの作風を確立していた成田亨の異才にほかならない。シュルレアリスムの基本原理のひとつである“オートマティスム”は、「気の趣くままに」が故に無意識に根ざす想像力を解放する。これによって描き手・成田が直面したのは、自身さえ想像だにし得なかった「唐突さ」ではなかろうか。その「唐突さ」の中から、現実と空想の境界を突き崩すような要素を抽出し、融合させることによってハイブリット効果を誘引させる。このプロセスを経て生み出されたのが、ペギラやカネゴン、ガラモンやバルタン星人など、個性豊かな異形を放つウルトラ怪獣の数々なのだ。
もっとも成田は、「一方では急がないでいこうという気がありました」とも述べている。たとえばボスタング(第21話)やピーター(第26話)などは単にエイやカメレオンであって、怪獣としての意匠は控え目に為されているにすぎない。極洋生物の複合体であるペギラも、前掲のカネゴンやガラモン、そしてバルタン星人などに比べればそのハイブリット効果もおとなしいものだ。実はこの着実さこそ、成田の芸術実験が本気であることの証左なのである。
そして高山造型。成田が創造した新生物の息づかいをそのままに、実際に現実化させたのは高山良策の力量だ。「匠の技」と言っても良い。成田が発した意趣に対する高山の理解と消化のセンスは、この海棲哺乳類の「有り得る」姿で充分窺えよう。先にも述べたが「生物としての整合性」と「悠久の時間」を感じさせる皮膚の質感は、全くもって見事と言うほかない。高山は後に、ラゴン(第20話)という傑作半魚人の造型を手がけた。そのラゴンにもペギラ同様に、“海底原人”としての「整合性」と潮流に浸食されてきたような永の「時間」が、皮膚表面に顕現している。「海は命の源」。まさにこれを体現するかのように、高山はペギラとラゴンの皮膚に「命」を刻み付けたのだ。
まだウルトラ怪獣としては経験が浅く、縫いぐるみ製作には1ヵ月もの時間を費やされたというペギラ。試行錯誤も多かったらしく、翼などは最初シーツで皺をモデリングしようとして巧くいかず、最終的に不織布を使用したそうだ。その後の仕事振りを鑑みれば、極めて難産であったと言えよう。だがこの執念の焼結こそがペギラであり、成田・高山コンビによるウルトラ怪獣第1号であるとともに、傑作怪獣のひとつにも挙げられる所以である。
ちなみに、その後ペギラの縫いぐるみはチャンドラー(『ウルトラマン』第8話に登場)に改修された。このときの作業も高山自身が手がけている。塗装と三本角(「耳」としてのニュアンスは納品後に円谷プロによって付け加えられた)の変更以外は、大した改修が為されていない。だが劇中レッドキングと死闘を繰り広げる有翼怪獣には、かつての冷凍怪獣としてのイメージは払拭されている。“高山マジック”であるとともに、高山が怪獣へ傾けた愛情が故であろう。
その後40年以上にも及ぶウルトラ・シリーズ。その胎動期において、爆発的人気を牽引したのは、間違いなく「怪獣」だ。「怪獣」は言うまでもなく空想の産物だが、空想上の生き物であるからこそ、単なる巨大生物であってはならない。だが東宝のモスラや前掲のトドラなど、怪獣創成期にあってはこの巨大生物をもって怪獣とした例が多い。確かに『モスラ』(1961年)は怪獣映画として白眉なのだが、登場するモスラ自体は巨大なイモムシであり巨大な蛾だ。巨大生物であるモスラが「怪獣」たり得る所以は、その優れた作品性に負うところが大きいのではなかろうか。ともあれ既存の生物が巨大化したものは、火を吐こうが光線を発しようが、やはり巨大生物止まりなのである。「怪獣」としての目新しさに乏しい。
しかしだからと言って、既存の生物からの過度な逸脱や過剰な装飾によってあまりにも生物感を度外視してしまえば、たちまちマンガやアニメに堕してしまうであろう。『ウルトラマンA』に登場したベロクロンやバキシムをはじめとする超獣や、同時期の東宝作品に登場したガイガン(1972年)やメガロ(1973年)などがその例だ。もっともこの時代には『マジンガーZ』(1972-1974年)など、既にロボットアニメが台頭しつつあったので、特撮界側がそれに追従せざるを得なかった時代背景があるのだが。
巨大生物とマンガやアニメの狭間。そこをリアルに息づくのが怪獣である。既存性と独創性。従順と奇抜。そのあたりの匙加減が、極めて難しいのだ。この狭き産道をくぐって生まれ出でたものこそが「怪獣」であり、その刺激的実験は成田・高山コンビによって、1966・1967年当時の日本で実践されたのである。
そしてこれが毎週毎週テレビ番組を通じて成されたこと自体が、怪獣史にとってまさに革命的であったのだ。今でこそテレビから発信される怪獣は多種多様を極め、かつては怪獣としては「?」が付いたようなマンガ的・アニメ的怪獣さえ許容されているのが現状である。もはやそれは、肯定的に“怪獣文化”と捉えられよう。
もちろん今日に見られる“怪獣文化”の懐深さは、これまでの怪獣史の堆積あってこそだ。ウルトラ創世記において、2人の前衛美術家、すなわち成田亨とそして高山良策が毎週毎週「有り得べき」生命の姿を発信していたからこそ、「怪獣」というものがこの国に根づいたのである。その創始として、怪獣史の中でペギラは鎮座して然るべきなのだ。もしペギラ誕生が無かったら、言い換えれば成田・高山によるコラボレーションが無かったとしたら、本邦の“怪獣文化”は何年遅れていたことであろうか。
ペギラを演じた縫いぐるみ役者は、南極・東京の両編とも清野幸弘(クレジットでは「弘幸」)だ。清野は『ウルトラQ』でこのペギラのみを演じたが、“ペギラ縁”とでも言おうか、その後ペギラの縫いぐるみを改修したチャンドラー(『ウルトラマン』第8話)を演じることとなる。そもそも役者のサイズにある程度合わせて製作される縫いぐるみなので、これは当然の配役と言えばまあそうなのかもしれない。
また清野は、『ウルトラマン』のドドンゴ(第12話)とぺスター(第13話)も演じている。面白いのは両怪獣とも1体の縫いぐるみに2人入るタイプのもので、清野との息の合ったコンビネーションを見せたのは、両怪獣とも荒垣輝雄であるということだ。清野と荒垣の間で、演技上のどのような打ち合わせがあったのか、想像を掻き立てられる。
そのほかに清野が演じたウルトラ怪獣は、『ウルトラマン』の再生テレスドン(第37話)だ。尚、こちらは初代テレスドンからの縁は無い。
ペギラのように、アザラシやトド、またはペンギンなど、極洋生物をモチーフとして意匠を凝らされたウルトラ怪獣は数少ない。トドラ(『ウルトラQ』第27話)とデッパラス(『ウルトラマンタロウ』第10話)、そしてコダラー(『ウルトラマングレート』第12・13話)を挙げるばかりだ。トドラはそもそも東宝映画・『妖星ゴラス』(1962年)に登場するマグマの縫いぐるみをそのまま流用しており、コダラーについては海外作品に登場する怪獣である。それを考慮に入れれば、本邦における極洋生物をモチーフとしたオリジナルのウルトラ怪獣は、ペギラとデッパラスだけだ。
ペギラは南極の氷原に棲息する。南極というロケ不可能な場所を舞台として設定し得たのは、『ウルトラQ』という番組自体に破格の予算が組まれ、凝ったセットに充当できたことに起因している。(ちなみにデッパラスの舞台は東京) 第5話「ペギラが来た!」の撮影では、ミニチュアはもちろん万城目ら等身大の人間が登場する氷原のシーンにも、大掛かりなセットが組まれた。ペギラは、そんな『ウルトラQ』の潤沢な資金が生み得た怪獣と言えよう。
ペギラの『ウルトラQ』以後の活躍として先ず挙げられるのは、『レッドマン』(1972.4.24-10.3 全138回)での出演だ。ペギラは第12話を皮切りに、第14話、第57話、第80話、第81話、第85話、第89話、第91-93話、第101話、第104話、第106話、第107話の、合計14本にも登場する。尚、『レッドマン』版のペギラはアトラクション用のスーツとして新調されたものであり、したがって『Q』版のものを流用していない。またこの新調ペギラは、濃緑色の身体に何故か白の水玉模様といったペット感覚である。そして当時のアトラクション用スーツ特有の稚拙さからは、かつてのペギラの威風は微塵も感じられないということを付記しておこう。
次は、『ウルトラマンメビウス』(2006年)第21話における出演である。もっともこの場合は、“怪獣墓場”に漂う幾多の怪獣の1体として姿が認められるだけだ。つまり死骸である。
そして2007年。BS系テレビ番組・『ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル』の第1話で、ペギラはまたもや死体として登場する。なにものかに倒され、自らの冷凍液で氷漬けになった姿は、哀れと言うほかない。生前はレッドキングやゴモラなどと一戦交えたかと思うと、この不遇な扱われ方が惜しまれるのだ。
このように21世紀のペギラは、いずれも「生きて」いない登場で共通している。
そして今ひとつ挙げたいのは、幻で終わってしまったペギラの活躍だ。実はペギラは、『ウルトラセブン』の企画段階において、レッドキングやアントラー、パゴスとともにカプセル怪獣として登場する構想があった。それは果たせず、その代わりにウインダムやミクラス、アギラが登場する訳だが。もし“カプセル怪獣ペギラ”が実現していたら、どの怪獣とどんなシチュエーションで戦いを繰り広げたことであろうか。ミクラスの代わりにエレキングやガンダーと、またアギラの代わりにリッガーやニセ・ウルトラセブンと。そんな刺激的な死闘が、充分有り得たであろう。殊に「ペギラ対ガンダー」は共に冷凍怪獣同士の対決であるだけに、「零下130度対零下140度」の10度差の対決が如何様に展開されたか、激しく想像を掻き立てられる。ファンとしては、実現してほしかった好カードだ。
更にひとつ。「宇宙人15+怪獣35」なる作品がある。これも『ウルトラセブン』の幻の作品に終わってしまったが、ペギラは35の怪獣の1体として登場する予定であった。この中でペギラは、レッドキング・ジェロニモン・ネロンガ・エレキングとともに、最終的に生き残った5大強豪の一員として、セブン・ウインダム・アギラを窮地に追い遣る。35大怪獣が互いに殺し合う熾烈なバトルロイヤルの中、5大強者の1としてペギラが君臨する姿を、是非とも見たかったものだ。
ペギラが初登場する「ペギラが来た!」の初放映は、昭和41年1月30日の冬真っ只中であった。北半球と南半球は季節が逆になるので、劇中で「夏季の南極」と言っているのは、視聴する側の時節と合致している。だが1年を氷雪で覆われる極地の季節感など、四季の恩恵にあずかる日本人にとっては「無い」に等しい。これに対してペギラ再登場編の「東京氷河期」の放映は、桜も満開な4月3日の春真っ只中であった。したがってこちらの「真夏の東京」についても、観ている側の季節感はピンと来なかったであろう。
ここで着目したいのは、ペギラの「渡り」だ。棲息地である南極の温暖化によって、「東京氷河期」編においてペギラは北極へ移動しようとする。気温の変化に伴って移動する性質は、もちろん渡り鳥に見られる特性だ。しかし本エピソードでは、その性向を劇中に登場する季節労働者に重ね合わせている。昭和当時の出稼ぎ労働者も、農閑期には東京へ出て、肉体労働などに就労したものだ。極洋怪獣の渡りと出稼ぎ労働者。脚本を手がけた山田正弘のユーモアのセンスが見て取れよう。
ペギラはウルトラ・シリーズ初の“冷凍怪獣”である。また同時期には大映の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』(1966年)が公開され、冷凍怪獣バルゴンが銀幕に登場した。大阪タワーや大阪城を氷結させ、更にはガメラまで冷凍光線によって一敗地にまみれさせたバルゴンの強敵振りは、当時の怪獣ファンを熱狂させたであろう。『ガメラ対バルゴン』の公開は4月17日であったので、その3ヶ月前にテレビに登場したペギラの方が冷凍怪獣としては先達と言える。なればペギラこそは、本邦初の本格的冷凍怪獣なのだ。
さてその冷凍怪獣なのだが、ペギラ以降の登場を見ると、季節労働者さながらに冬場に集中する。ギガスが登場した『ウルトラマン』の第25話は1月1日に、そしてウーが登場した第30話は2月5日にそれぞれ放映された。いずれも冬真っ只中だ。その名も“凍結怪獣”・ガンダーが登場した『ウルトラセブン』第25話の放映は3月24日と、これはもはや春先であったのだが、その後のシリーズにおいては冬場の冷凍怪獣登場は慣例化される。特に『帰ってきたウルトラマン』と『ウルトラマンA』においては、ご丁寧にも“冬の怪奇シリーズ”などと銘打たれたことが印象深い。これに登場するバルダック星人やスノーゴン、アイスロンやフブギララなどの冷凍系怪獣たちが、もはやウルトラ・シリーズにおける冬の風物詩と化したのである。
そもそも季節感を重んじる日本人なのだから、この冷凍怪獣の冬場の出稼ぎは当然と言えば当然の配慮なのかもしれない。だが自然の摂理から外れた存在の怪獣には、無論人間のコモンセンスなど通用しない。いや通用してはならぬ筈だ。
冷凍怪獣の祖であるペギラ登場の2編は、前述どおり季節感などは度外視して制作・放映された。だが「東京氷河期」編で「渡り」と「季節労働者」を絡めたことから、冬場における冷凍怪獣登場の慣例化へと繋がっていったと言えば、それは穿ち過ぎになろうか?冷凍怪獣と出稼ぎ労働者。ともあれ、この一見結びつきそうにもない2つの要素を作品内に融け込ませたのは、ほかならぬ山田正弘の温かみのある作家性であり、また実績でもあるのだ。
『UNBALANCE』のタイトルで、1クール13話分の完成にメドが立った1965年12月。『ウルトラQ』という題名とともに番組路線そのものが「怪獣もの」に変更され、これに伴い新たな強化スタッフが集められた。『UNBALANCE』期に制作された13話の中で、「マンモスフラワー」や「甘い蜜の恐怖」、「変身」、「悪魔ッ子」、そして「206便消滅す」を手がけたのは梶田興治監督であったが、それを引き継ぐ形で東宝から野長瀬三摩地監督が新たに参画したのである。
その野長瀬監督班が担当した制作区分Gブロックが、第2クールの第1登板にあたり、このG班によって3本の「怪獣もの」が同時制作された。それがペギラ登場の2編、すなわち「ペギラが来た!」と「東京氷河期」で、もう1本が「バルンガ」(第11話)だ。ちなみに「ペギラが来た!」と「東京氷河期」の2編は、「氷原に燃ゆ」というタイトルでそれぞれ「南極編」と「東京編」になる予定であった。
野長瀬はその後、「ガラモンの逆襲」(第16話)・「海底原人ラゴン」(第20話)・「南海の怒り」(第23話)・「ゴーガの像」(第24話)と精力的に監督を務め上げている。いずれも『Q』史に残る名作だ。東宝時代は助監督だった野長瀬が、見事に梶田興治監督の代わりを果たしたと言えよう。
前述したように、脚本は山田正弘だ。「育てよ!カメ」(第6話)や「鳥を見た」(第12話)、「カネゴンの繭」(第15話)、「虹の卵」(第18話)と、これら『ウルトラQ』における山田脚本作品に通底するものは、「活き活きとした子どもの姿」である。それは後の『ウルトラマン』でも健在だ。「科特隊出撃せよ」(第3話)や「沿岸警備命令」(第6話)、「電光石火作戦」(第9話)、「射つな!アラシ」(第36話)を是非観ていただきたい。これら山田脚本作品の中には、活発な子どもたちのエネルギーが発散している。彼ら“山田チルドレン”が、慈しみの目をもって描かれているのが印象に残る筈だ。
さてところが「ペギラが来た!」においては、子どもが一切登場しない。そもそも「極地へ子どもを連れてゆく」ということ自体に無理があるのだから、これは致し方なしだ。だがこの「子ども欠如」を補うかのように、本エピソードでは犬のサブが重要なカギを握るキーパーソンとして登場する。3年もの間苔を食べて極寒を生き抜いたサブの姿は、“健気”そのものだ。子どもの“愛らしさ”にも匹敵しよう。一切の生命活動を許さないような極地の殺伐とした光景の中に、ポツンと健気で逞しい一個の生命の灯火を灯らせる“温かみ”は、やはり山田正弘ならではだ。
そしてもちろん続編の「東京氷河期」では、治男少年という“山田チャイルド”が登場する。出稼ぎに出たきり帰らない父を捜して、上京したという役回りだ。ペギラ撃退のために奔走する姿には、山田の慈愛が込められている。注目すべき点は、「ペギラの東京来襲」というただもうそれだけでひとつの作品として成立し得る刺激的な舞台装置の中に、治男の勇敢な姿が宝石泥棒にまで身を貶めた父を感化させるという親子劇が絡んでいることだ。かつてのゼロ戦乗りだった父の特攻によってペギラは撃退され、一方治男は父の零落さえつゆ知らず、父の勇敢な最期を知る。最期の最期まで、「父らしく」あれた日本の父。治男にとっては尊敬すべき父。その父の遺骨を抱えてふるさとへ還る治男の胸には、悲しさ・淋しさとともに誇らしいものさえ去来したであろう。治男を乗せた列車が走り去るラストシーンには、僅か30分間の怪獣ドラマの中に盛り込まれた人間ドラマとは思えないほどの感動に満ち溢れている。後に名作・カネゴンを生み出す山田正弘。だが先ずは、このペギラ編に刮目していただきたい。
さてここでは、ペギラ登場2編に活躍した主なゲスト出演者や脇役に目を向けてみよう。ウルトラのほかに、特撮物ではお馴染みの面々が顔を見せている。ペギラに立ち向かった人びとが、ほかの作品ではどういった活躍を見せているか。それを確かめてみるのも、一興であろう。
南極の氷が融ける。「東京氷河期」で注視すべき点は、ペギラの移動の原因を南極温暖化としているところだ。もっともそれは地球的規模ではなく、あくまでも南極という極地だけに限定されている。その原因も、「開発競争が急速に進んだ南極」という設定のもと、原子力発電所の事故が起こったためとしており、温室効果ガスが原因の温暖化ではない。しかしながら、現在では絵空事ではなく地球的規模の命題にまで発展したこの“温暖化”を、40年以上も前に言及していたことは軽視できない。
そもそも地球温暖化が一般的に騒がれ始めたのは、1980年代の後半からだ。それまではもちろん、学説として「温暖化」はあった。古くは1827年にジョゼフ・フーリエが「温室効果」を発表しているし、1861年にはジョン・チンダルが温室効果ガスによる地球的規模の気候変化を指摘している。一方で二酸化炭素濃度増加による「地球寒冷化」が指示されていたのも事実で、これは1980年代の前半頃までは学界の定説であった。実際1940年代から1970年代にかけて、地球の気温は下降傾向にあったので無理からぬことだったのかもしれない。1938年にはキャレンダーが二酸化炭素濃度と気温上昇の関係性を実測として初めて指摘、1959年にはロジャー・ルベールとハンス・スースが更に精密な二酸化炭素濃度測定の必要性を訴え、その前年の1958年にはルベールとチャールズ・キーリングが南極で実測を始めている。だが前述のように寒冷化に関する研究が盛んになり、1960年代には「“ミランコビッチ・サイクル”の変化によって氷河期が到来する」などの学説が発表され、逆に気温上昇に関する議論は下火になっていった。温暖化か寒冷化か。いずれにせよそれは科学者たちの間で交わされるのものであって、一般的認知にはまだ縁遠いものであった。
無論当時の円谷文芸部門が、以上のような学説について無知であった訳ではなかろう。“怪獣もの”である前に“SFドラマ”であった『ウルトラQ』なのだから、科学論説などには貪欲に目を向けていたことは容易に窺える。だが『ウルトラQ』が制作された1960年代半ばは、おそらくは「寒冷化説」が指示を受けていた時代だ。「東京氷河期」なる物語については、この「寒冷説」を採り挙げてストーリーを成立させることだって充分可能であった筈である。しかし実際に描かれたのは、「南極の氷が融ける」という、現代ではシャレにならない恐怖だ。敢えて「温暖化説」を取捨選択したのは、果たして偶然であろうか?何にせよ円谷文芸部の奥深さに、慄然とさせられるのである。
“ペギラ”の名の由来は、ペンギンからであろう。だがペギラの翼はカーテン状の所謂フリッパーであり、ペンギンの翼のイメージからはかけ離れている。全体のフォルムからも、さほど「ペンギン」が感じられない。僅かにその足に、ペンギンの特性を見るだけだ。極洋生物の融合体である怪獣のその名を、アザラシやトドなどいちばん顕著な特徴を示すものから取らず、素材としては隠し味的なペンギンから取ったことに、“ペギラ”の名の妙味がある。
ペギラの弱点である“ペギミンH”だが、発案は脚本を手がけた山田正弘のものであろうか?遭難した犬のサブを越冬させるほどの滋養に富むが、アザラシなどには毒物として作用するという設定が面白い。だが“ペギミンH”でさえも、ペギラには決定打になっていない。南極と東京における二度の使用でも、追い払うだけにとどまっているというところが、何とも発案者の奥ゆかしさが感じられてならないのだが...
ペギラの初期のデザイン画には、角が描かれていない。そして肌の質感も、より海洋生物を思わせるような滑沢さに溢れていた。ちなみに頭頂に三日月状の一本角を持ち、口からは2本の牙が飛び出しているという特徴は、第1話登場のゴメスも持っている。
周囲を凍らす冷凍怪獣の発想は、言わば怪獣の基本でもある「火を吐く」の逆転発想だ。高熱火炎で灼熱地獄を見舞う怪獣が居るのなら、その逆、すなわち氷雪地獄に陥れる怪獣もあって然るべきである。そんな極々自然な発想から、冷凍怪獣は生み出されたのであろう。
山田正弘は『ウルトラQ』から『ウルトラセブン』までの3作品において、14本の脚本を手がけた。その中で「子ども」が登場しない作品を挙げると、
の5本となる。
子どもが登場しない山田作品は、心なしか寂しい気も...。しかしながら「マックス号~」における登場人物の子どもっぽい演技や、「散歩する~」での少年活劇さながらの脱出劇などは、山田正弘の“子ども色”の顕われと言ってよいのではなかろうか。
異常寒波を見舞い、南極と東京を蹂躙したペギラ
ペギラは「ウルトラ怪獣第1号」
怪獣史において、重要な位置づけとされるペギラ
極寒の極洋に棲息する怪獣の姿
寝呆け眼のトド面
刮目すべきは、「悠久の時間」が刻印された皮膚だ
成田実験によるシュルレアリスムの申し子
高山が怪獣へ傾けた愛情
“巨大生物”に「待った!」をかける
“マンガ怪獣”まで許容する怪獣文化
清野幸弘が演じた全怪獣
極洋怪獣登場の条件とは?
死骸での再登場が惜しまれる
“カプセル怪獣ペギラ”が実現していたら...
“幻の作品”では、セブンの敵に
1966年冬、冷凍怪獣誕生
“出稼ぎ怪獣”は冬の風物詩
野長瀬班第1登板作品のペギラ2編
慈愛に満ちた山田作品
今井和夫・田村奈己出演作品
沢村父子出演作品
ペギラの“渡り”によって予見されていた現代