帰還機能を持たない無人火星探査用ロケットの中に、金色の玉状の姿で2つ積まれ、何者かによって地球にもたらされた。宇宙開発局に保管されていたが、窃盗犯によって盗み出されたひとつは大蔵島の洞窟火山湖で、もうひとつは一の谷博士の研究所でそれぞれ孵化するように巨大化。身の丈30メートルにも及ぶナメクジような宇宙怪獣で、突き出た一対の大きな両眼からは人間を硬直死に到らしめる怪光線を、奇怪な電子音とともに発する。大蔵島の1体が海中に没し溶解したことで、塩水に弱いことが判明。これによって研究所で孵ったもう1体も、一の谷博士が用意させた塩水で退治されるでろうことが、劇中のラストに示唆される。怪獣が送り込まれた理由は一切不明。おそらくは火星に棲む知的生命体が、地球人の勝手極まる宇宙開発競争に対して、警告の意味合いで送って来たものと推測される。
ナメゴンを形作る最大の特徴は、一も二もなくあの大きな目玉だ。突き出した一対の巨大な目玉は妖しく発光し、そしてこの巨大ナメクジを奇怪な火星生物たらしめている。醜怪且つ滑稽なナメゴンの姿が発しているのは、「火星にはタコのような生物が棲息する」と考えられていた前時代的テイストだ。
『ウルトラQ』がまだ『UNBALANCE』という題名で制作されていた当初、その1クール13話分中の5本目として本エピソードは撮影された。『UNBALANCE』期作品群はアンソロジー形式のSFドラマとしての色合いが顕著であり、したがってナメゴンも「怪獣」と言うよりは「巨大生物」の趣きが強いという訳だ。
外貌とその名が示すとおり、ナメゴンはもちろんナメクジ怪獣だ。いや、単にナメクジが巨大化しただけと言ってもよかろう。その「巨大」ナメクジであるナメゴンには、「怪獣」としてのデザイン意匠はさほど凝らされてはいない。同『UNBALANCE』期作品群に登場する巨猿のゴロー(第2話 シナリオNo.11)や巨大モグラのモングラー(第8話 シナリオNo.10)、巨鳥・ラルゲユウス(第12話 シナリオNo.7)、巨大セイウチのトドラ(第27話 シナリオNo.4)などともに、「既存の生物が巨大化した」部類の怪獣であるとも言えよう。
そうは言ってもナメゴンには、ナメクジの形態から逸脱した「怪獣」の姿も認められる。本体から独立して頭部を持つ構造には、ナメクジには無い頚に当たる部位が存在し、また全体的なシルエットが髣髴とさせるのは、アザラシやトドなどのそれだ。本体のフォルムも、やはり海棲哺乳類のものをなぞっていると言えなくもない。「ナメクジ+アザラシ」の図式は複数の生物の融合、すなわちハイブリットを示すものであり、巨大ナメクジ・ナメゴンがナメクジ怪獣たる所以だ。また実際のナメクジは、眼の部位が突き出てこそいるが、ナメゴンのように巨大な目玉を有さない。過剰に巨大な目玉。この「強調」こそ、ナメゴンを単に巨大ナメクジたらしめないエッセンスなのだ。
第1話に登場するゴメスも、『UNBALANCE』期に制作されたエピソードに登場するものの中では、数少ない「怪獣」だ。もっともゴメスの方は、あまりにも「怪獣」としての要素(角・牙・爪・尻尾・ウロコ・各所の突起など)を盛り込み過ぎたせいか、その「押し付け」感は否めないのだが。ともあれ『UNBALANCE』期作品群の中では、ゴメスとそしてナメゴンだけが、僅かに「怪獣」と呼べる存在であろう。
さてこの巨大ナメクジ・ナメゴンは『ウルトラQ』怪獣の中で、カネゴン(第15話)やガラモン(第13・16話)、ペギラ(第5・14話)などともに高い人気を誇っている。当然玩具展開として、ソフビ人形がマルサン(後にブルマァク)から早い時期に発売された。その人気は、ひとえにアイデンティティである突き出た目玉ゆえであろう。
面白いことに目が飛び出した構造を持つ怪獣が、『ウルトラQ』ではこのナメゴンのほかに2体も登場する。カネゴン(第15話)とゴーガ(第24話)だ。特にカネゴンの人気については、殊更言うまでもなかろう。このほかにも『ウルトラセブン』のガンダー(第25話)や『がんばれ!!ロボコン』のロボショーなど、その愛らしさは実際に映像で確認していただきたい。如何に「突き出た目玉」が、「怪獣」としての魅力に一役買っているかが窺い知れよう。
この突出した強い個性は、子どもに愛されるための必須条件だ。先に挙げたカネゴンは突き出た目とともに、がま口のような口という強烈な個性を持つ。またバルタン星人の大きなハサミなど、これら極めて顕著であからさまな、もっと言えばあざとい特徴はすなわち「絵に描ける」ということに直結し、子どもの「身近な」存在たり得るのだ。前述したようにナメゴンが「怪獣」としての意匠に乏しい割りに斯様な人気を誇ったのは、おしなべてその描き易い「デフォルメ」によるものである。怪獣たちは子どもらに絵に描かれてこそ、初めて愛されるのだ。
ナメゴンは縫いぐるみを使わず、模型を使っての操演であった。その模型の土台は、東宝映画『モスラ対ゴジラ』と『三大怪獣 地球最大の決戦』(ともに1964年)で使われた、モスラ幼虫の動力部を借り受けたものだと言われている。『UNBALANCE』期における、円谷プロの厳しい台所事情が窺える流用例のひとつだ。
また第1話登場のゴメスとリトラ、そして第2話登場のゴローも、それぞれ東宝のゴジラ・ラドン・キングコングを改造したものである。したがって『ウルトラQ』の第1話から第3話までを彩った怪獣、すなわちゴメス・リトラ・ゴロー・ナメゴンは、全て東宝から借用した縫いぐるみや模型を流用・改造したものということになるのだ。当時の円谷の金銭的・時間的・人材的余裕の無さが、如何に逼迫し深刻だったかを物語るものである。
その後に番組の「怪獣路線」への変更が決定し、制作本数も増加され、強化スタッフとして前衛美術家の成田亨と高山良策が招じられることになった。「既存生物の安易な巨大化はやらない」とした成田が、もしこのナメゴンのデザインを手がけていたら、「宇宙生物」であるナメゴンにどんな意匠を凝らしたことであろうか?興味は尽きない。
しかしながら(現実の?)ナメゴンは、その体表の「滑(ぬめ)り」でもって強烈な印象を残す。モノクロ画面であるにも関わらず、いやモノクロ画面だからこそ、却ってその妖しい滑沢が毒々しい光を放つのだ。この軟体動物特有の水気を過分に孕んだ艶やかな光沢は、「宇宙から何者かによって送られて来たという」不可解さと相俟って極めて不気味であり、その蠕動は間違いなくウルトラ原体験なのである。
ナメクジやカタツムリなどの腹足網有肺類、いわゆる軟体動物をモチーフとしたウルトラ怪獣は意外と少ない。前述した毒々しい滑沢な「滑り」の表現が困難なためか、あるいは単に見た目の不快さからなのだろうか。しかしナメクジにしろカタツムリにしろキャッチー極まりない容貌で、怪獣としてインスパイアするには恰好の素材に思えるのだが...。
だがともかくナメクジ怪獣にせよカタツムリ怪獣にせよ、その数の少なさには驚かされる。昭和のウルトラ・シリーズにおいてはこのナメゴンのほかに、はっきりそれと判るものとして、同じ『ウルトラQ』のゴーガ(第24話)と『ウルトラマンタロウ』のジレンマ(第6話)が挙げられるばかりだ。
また『ウルトラマンレオ』に登場したブニョ(第50話)も、人型を呈するが、突き出た目玉のような構造と軟体性からナメクジ怪獣と言えなくもない。更に『ウルトラQ』のカネゴン(第15話)だが、飛び出した目と巻き貝をモチーフとした身体部は、カタツムリなどの陸生巻貝に着想した怪獣として分類されよう。
ともあれナメゴン、ゴーガ、ジレンマ、そしてせいぜい言ってブニョとカネゴン。これら5体が、昭和のウルトラにおけるナメクジ(カタツムリ)怪獣の全てである。そしてその内の3体(ナメゴン・カネゴン・ゴーガ)が『ウルトラQ』に登場しているということは、注視すべき点だ。
これに比して、『仮面ライダー』シリーズにおけるナメクジ(カタツムリ)怪人ではどうか?同じく昭和に限って挙げてみよう。ナメクジラ(『仮面ライダー』第45話)、ナメクジキノコ(『仮面ライダー』第94話)、カタツブラー(『仮面ライダーV3』第42話)、獣人カタツムリ(『仮面ライダーアマゾン』第11話)、ナメクジン(『仮面ライダー・新』第12話)と、ウルトラシ・リーズと全く同じ5体である。だが不気味さで言えば、軍配が上がるのは断然『仮面ライダー』シリーズの方だ。ナメクジやカタツムリが発する妖しいムードは、巨大な怪獣より等身大の怪人においてその本領を発揮するということなのだろうか。
いずれにせよ水気を過分に孕んだ体表の「滑り」表現が、昭和時代には極めて困難であったことは確かだ。平成シリーズにおける「体表滑り」怪獣の頻出は、そのことを裏付けている。百聞は一見にしかず。取り敢えずは昭和作品を、特に『ウルトラマンタロウ』のジレンマを見ていただきたい。“なめくじ怪獣”と謳っているのにも関わらず、その「滑り」の表現を全く放棄してしまっている。またブニョも、安っぽいビニール素材を纏っているだけであり、その苦肉の策振りにはどうしようもないやり切れなさすら感じてしまう。「ナメクジ」に挑んだ意欲や果敢さは無く、はっきり言って「無残」だ。
したがってウルトラ・シリーズ創世期の『ウルトラQ』において、滑沢で水々しいナメゴンとゴーガが製作され、そして画面に登場したということは断然特筆に値しよう。モノクロ画面であったからこそ、より効果的で可能であったのかも知れない。何しても、そこには軟体動物の滑りに傾けた情熱が、厳然と在るばかりである。ナメクジの吸着力さながら、ナメゴンとゴーガの妖しげな光沢は、見るものを誘引して止まないのだ。
『ウルトラQ』怪獣の中ではそこそこの人気を誇るナメゴンだが、ご覧のとおりの体である。ウルトラ・ヒーローにぶつけるにはあまりにも弱々しく力量不足、勝負の行方は歴然だ。よってウルトラ・ヒーローが地球を守るその後のシリーズにおいて、ナメゴンの再登場は無い。
だが2006年、『ウルトラマンメビウス』第22話「日々の未来」において、登場人物たちの述懐によって火星での出現が確認できる。ウルトラマンメビウスが地球人の姿を借りるにあたって、モデルとした伴宏人という青年。その母親が、火星においてナメゴンに襲われ死亡したとされている。
これがナメゴンの、唯一のシリーズ超越出演と言えよう。
“ナメゴン”の名は、ナメクジの「ナメ」に怪獣の名前に多く見受けられる「ゴン」を付けたものだ。この「○○ゴン」のように、怪獣の名前特有の接尾語はほかに、「○○ラ」や「○○ドン」などが挙げられる。本邦における「怪獣」の祖・ゴジラに倣った「ラ」や、また恐竜の名前(イグアノ“ドン”やプテラノ“ドン”)を髣髴とさせる「ドン」は、怪獣の名前として至極尤もな接尾語だ。だが「ゴン」は?一体何由来なのか?
先ずは「ゴン」が名前の末尾に付く怪獣を挙げてみよう。『ウルトラQ』のカネゴン(第15話)や『ウルトラセブン』のクレージーゴン(第38話)、『帰ってきたウルトラマン』のステゴン(第11話)などが、「ゴン」怪獣としてすぐに思い浮かぶ。これらに共通するのは、「ゴン」の前に付く接頭辞が、金(守銭奴)やクレイジー(主を失い暴走)、“ステ”ゴザウルス(恐竜の化石)など、着想したものの名前が顕著であるということだ。すなわち「名は体を表わす」が如く、「何の」怪獣であるかが、その極めて短絡的な名付けによって一目瞭然なのである。
もちろん「○○ゴン」に限らず、たとえば「ペギ“ラ”」や「スカイ“ドン”」などの「ラ」怪獣や「ドン」怪獣にも、この名付け様式は当て嵌まる。したがって「ゴン」は、「ラ」や「ドン」のほかのパターンとして考え出されたバリエーションなのだろう。ではその「ゴン」という接尾語は、その音は、一体何から来ているのか?
たとえばバルタン星人の「バルタン」は、元になるもの(セミ)の名とは一切無関係である。そのもの特有の名前だ。逆に、着想したものが名前に付くものに限って、「ラ」怪獣や「ドン」怪獣、そして「ゴン」怪獣が多い。つまり「ゴン」という音の接尾語については、こういうことが言えるのではなかろうか。そのもの特有の名前を持たぬもの、すなわち「名無しのゴンベエ」の「ゴン」、それこそが「ナメ“ゴン”」や「カネ“ゴン”」の「ゴン」であると。
もちろんこれは推測の域を出ない。そもそも「ゴン」怪獣の元祖は何で、またどういったつもりで名付けられたかは不明だ。だが以上のようによくよく考えてみると、ウルトラ怪獣に限っては「名無しのゴンベエ」に由来していると思えてならない。いかがだろうか?
劇中では明言されないが、ナメゴンは火星に棲む何者かによって、地球にもたらされたであろうことが暗示される。この「何者か」というのがミソで、正体が分からぬというところが不気味極まりない。
『ウルトラQ』第3話登場のナメゴンこそが、ウルトラ・シリーズにおいて「ある目的のために何者かによって送り込まれて来た」出自を持つ怪獣の嚆矢だ。それに続くものとしては、ガラモン(第13話)とボスタング(第21話)が挙げられる。ナメゴンを送り込んだ火星の知的生物、ガラモンを送り込んだ謎の遊星人(第16話でその正体が判明)、ボスタングを送り込んだキール星人。いずれもその正体を晒すことなく、ドラマは幕を閉じる。
このように正体不明のまま物語が終わってしまう作劇法は、「まだドラマは終わっていない」という不安を伴った余韻を残すのに実に効果的だ。また決してハッピー・エンドではない後味の悪さは、『UNBALANCE』がアメリカのアンソロジー形式のSFドラマに倣った証左でもある。
まだ「勧善懲悪」を明確化していなかった初期ウルトラでは、「何者か」が謎のまま終わってしまうシチュエーションが、上記ナメゴンやガラモン、ボスタングのほかにいくつか描かれた。殊に“侵略宇宙人もの”を謳う『ウルトラセブン』で、その例が認められよう。
たとえば第17話「地底Go!Go!Go!」では、地底に建設された謎の都市が出てくるが、一体誰が何のために、そしていつからそこにあったのか、まさに謎のままドラマは終わる。物言わぬロボット・ユートムの登場と相俟って、実に「怖い」印象だ。宇宙人が地球侵略のために建設した前線基地か、はたまた人類より古くから地球に棲んでいた地底人の都市なのか。その両方の可能性がナレーションによって暗示されるのだが、肝腎なのは全てが謎のまま終わってしまう「一体何だったのか?」というヤキモキ感なのだ。これは怪談についても同じことが言える。秩序立った因縁話より、やみくもで強制的な「訳の分からなさ」の方が、人智を超越していて遥かに恐ろしい。
だが「正体不明」の怖さは、「善対悪」の対決構図が明確になった『帰ってきたウルトラマン』以降、なりを潜める。怪獣や宇宙人よりも、ウルトラ・ヒーローを主役として描こうとした時代性。その顕われとして象徴的である。「悪」がどんな姿をしていて、そしてどんな悪だくみを持っているか。これを明確に描くことによって、「正義」は樹立するのだ。時代が求めた「正義」や「善」とはつまり、明朗快活で健康的・建設的、そして何よりも「悪を倒したぞー!」という爽快感を伴った達成感である。だがこれによって、前時代のどす黒い「怖さ」が駆逐されたことは、残念至極でならない。
この巨大なナメクジの物語は、地球人による宇宙開発の身勝手さについて言及している。宇宙時代を迎えた地球人類が、最も近い開拓地・火星から痛いしっぺ返しを喰らうというストーリー。これが「物言わぬ」警告であるからこそ、そのメッセージは強烈である。
本エピソードは、沖縄人・金城哲夫による脚本だ。(余談だが、金城は宇宙開発局員として本編出演もしている) 少年時代に生々しい戦争の原体験を持つ金城は、一方では強い(琉球)ナショナリズムを持ち、しかし他方では内地(東京)に強く憧れるという相反した考えを持っていた。自身のこの矛盾を解決するために金城は、国家や民族を超越した「国際主義」を理想とするようになる。この金城の「コスモポリタニズム」とでも言うべき切実な「想い」は、劇中ラストに江戸川由利子の口を通じて語られるのだ。「こんなことをしていたら、やがて地球は宇宙の仲間外れになる」と。
「こんなこと」とはもちろん、地球人の身勝手甚だしい宇宙開発のことだ。異星人同士が分かり合うには何よりも先ずお互いの「信頼」が必要で、探査ロケットなどを飛ばして事前に相手を覗き見するような真似など言語道断。そんな配慮を欠くような行為は疑心や怨嗟を招き、諍いや報復、紛争しか生まない。つまり金城の発信したメッセージは、そういうことである。
もちろんこのことは、沖縄と日本との関係、あるいは世界諸国間の関係についての暗喩であることは言うまでもない。金城という人間が沖縄に出自を持ち、日本との関係について揺れ動く「境界人」であったからこそ、発信し得た痛切な「想い」なのだ。
この不躾な覗き見に端を発する物語は、同じ金城脚本作品の『ウルトラセブン』第14・15話「ウルトラ警備隊西へ (前編・後編)」へと繋がってゆく。地球人の観測用ロケットによって覗き見されたと誤解したペダン星人が、その報復のために地球に対して超兵器キングジョー(金城!)を以って攻撃をしかけてくる物語だ。
また金城脚本作品ではないが、『ウルトラセブン』第16話「闇に光る目」(脚本:藤川桂介)においても、母星に宇宙船を送り込まれた報復としてアンノン星人が地球にやって来るという物語が描かれている。そして地球側が送り込んだ宇宙船に便乗してくるというシチュエーションは、まさに本エピソード・「宇宙からの贈りもの」のそれだ。
ウルトラ・シリーズの礎を築いた金城哲夫。その根底には、信頼によって成り立つユートピア思想が流れている。初期ウルトラである『ウルトラQ』・『ウルトラマン』・『ウルトラセブン』の3作品が、単なる怪獣(宇宙人)撃退劇に堕さずに、40年以上経た今なお愛される所以はまさにここにあるのだ。
人類への警告を込めた金色の玉。「沖縄と日本の架け橋」を自らの使命と課した金城自身の、決然たる意志がそこにある。
本エピソードは、一の谷博士宅の庭で、島のものとは別個体のナメゴンが玉から孵るところで終わっている。ナレーションによってこのナメゴンも塩水で退治されたことが暗示されるが、この後味の悪いエンディングはアメリカのSFドラマを髣髴とさせ、脚本を書いた金城の嗜好性が色濃く反映されていると言えよう。
ここでは、「宇宙からの贈りもの」に登場する バイプレイヤーについて触れてみよう。