後肢二足立ちの前傾姿勢は、今にも襲いかかりそうな前のめりポーズだ。背中から尻尾にかけてのヒダヒダを、尻尾の先まで細かに再現している。口腔内の赤と、歯の白の塗り分けも見事だ。元の着ぐるみは東宝の怪獣バラゴンだが、その名残りを見せる体表のモールドも申し分なく、造型・彩色ともよくできている。また頭部2本の角を回転させることができるのも、嬉しい配慮だ。
『ウルトラ大怪獣バトル』のヒットによって、いよいよネロンガも5年の時を経て再販。しかし原油高の折、所々塗装を省かれてしまい、初版(2003年)のものよりかなり見劣りがする出来映えとなった。特に背面のイエローが無いのは致命的。生産LOT表示も初版のまま凹4となっており、ズサンさが際立つ。歴史的事象のための価値など、ファンにとっては不要。
世田谷区は砧。本編撮影で使用されたプロップや着ぐるみを、社屋併設の物置小屋(2008年2月取り壊し)にて保管。昭和往時の子どもらには垂涎の、文字通り「宝庫」、人呼んで“怪獣倉庫”。蔵内に眠る珠玉のひとつびとつを、ミニチュア化してこまそうというのだから、玩菓系怪獣フィギュアの飽食にあっては、まあ「為て遣ったり」な発案であろう。さて、この「コンビニでも買えるお手軽な舞台裏」シリーズ。第1弾(2008年)でラインナップされた「レッドキング・アボラス コンパチモデル」に続いて待望の第2弾、愈々ネロンガのコンパーチブル・モデルが登場~!
東宝から借り受けたバラゴン(『フランケンシュタイン対地底怪獣』1965年)のスーツを、ボディ側は粗方そのまま頭部のみを挿げ替えて、パゴス(『ウルトラQ』第18話)、そしてネロンガ(『ウルトラマン』第3話)、更にはマグラー(同第8話)・ガボラ(同第9話)へと累々変転。“ウルトラ四方山話”では、かなりの頻度で口の端に上る、他に類例を見ない怪獣リサイクルである。斯様な楽屋場面を再現すべく、換装用のヘッドとテールを同梱。「如何にも」な倉庫っぽさを演出してのけた、まさにファンの琴線を掻き鳴らすアイテムだ。
しかし野暮天な揚げ足取りを言わせて貰えば、商品仕立てに斯くあるような安置のされ方は、飽くまでも解釈の飛躍であって、実際には悖る。第一に、ガボラのマスクはネロンガのそれを流用しており、遵って両者の頭が別個に同時存在するなんて好都合は、先ず有り得ない。第二に、御祓箱となった過重衣装に対して、贅沢で不経済な空間占有。展覧施設の陳列でもあるまいし、よって筋違いな厚遇も何だか嘘臭い。そして第三に、そも造作自体が「中に人が入っている」若しくは「詰め物をしている」態の拵えであり、でなければ高が蛻の殻が、首まで擡げてシャンとしていられる理法も無い筈だ。以上の疑点から、「倉庫」の体裁をしゃあしゃあ謳うのは、ちょっと虫がいいのでは?と思ってしまうのだが...。
そうは言っても、フィギュアの出来栄えについては上々。同じ掌サイズでは『HG』や『名鑑』の重鎮が先達となるが、それらヒットシリーズを凌駕し、最早絶佳の域に達する造型と断じて差し支え無かろう。外郭を形作る稜線と量感は勿論、肉の盛り付けと緻密なモールドの適確さ、雰囲気を醸す佇まいや狂牛の如き相貌の妙味など、難癖の付け処が先ず見当たらない。殊にネロンガだけに宛がわれた背面の特徴、即ち腰部から尻尾にかけてのフレアー状の襞々に到っては、その淫猥な婀娜めきに不謹慎な嘆息さえ零れ落ちて...ってのは大仰として。躍動を欠く固定ポーズでありながら、屈曲させた後肢の緩急が臨場感を煥発。而して掌上に乗っかる重量級怪獣を、聢と息衝かせているのである。
いや。この件に限って、「生きて」いては失当だ。ひと仕事を終え、演者が脱ぎ捨てた抜け殻。その納骨。「死」の哀愁すら纏繞させてこそ、静謐なるプロップの真髄である。「活気漲る」と「遺骸」は何処迄行っても齟齬、氷炭相容れず自家撞着。然れども、命あるものの活写としてならば剴切、文句無しに合格!そんな二律背馳を超越したところで、悠々閑々と黙座しているのだろう。此奴めは。
前掲コンパーチブル・モデルの亜種で、別彩色によるヴァリエーション。こちらの仕様は、割合にカラーリングが近似したパゴスとガボラ寄り。なので、ネロンガのヘッド&テールをボディに嵌め込んでみれば、「背中が黄色くない」頓痴気な透明怪獣の出来上がり~と相成る訳。端的に言って。
又候パゴス・ガボラの体色に準拠して、ネロンガの頭並びに尾も、サンドベージュで表層を塗装。本来焦げ茶である筈の此奴が、「やや薄め」にイメージ・チェンジしてこまし、違和に更なる拍車が掛かる寸法だ。殊に背面正中に喰い込んだフレアーが、悲しいくらいに異質感丸出しで、偸閑で強引なジョイントをそこに見るだろう。
奇を衒った変化球ほど興醒めするもので、「目新しさ」とは霄壤の差。兎も角も「ネロンガとして愉しむ術無し」のひと言に尽きる。素直にパゴスとガボラの換装を以って、賞翫の対象とすべし。
伊豆・伊和見山の水力発電所を襲ったシーンの切り取り。脇に配われた土砂塗れの建材は、発電用送水管の残骸か。劇中のこの時点ではまだ半透明の姿だったので、シークレット・ヴァージョン(別アソート)の仕様の方が解釈としてはまあ剴切であろう。
後肢二足立ちでも四つん這いでもない、腹這い乃至匍匐状態の巨躯。その万鈞なウェイトで発電施設を圧し潰し、且つ自ら拉げている活写がユニークだ。「生存する上で当たり前の営み」を代弁する、あどけない表情にも注目。しかし反面、折角のヘビー級が土塊と同化し、ともすればダイナミズムを甚だしく殺ぐ結果にも。掌に乗っかるミニアチュアだからこそ、大地揺るがすよな迫真さが欲しかったところだ。
造型と彩色については、2002年という時勢を勘案すれば穏当。ただ肉太な二本角の緩さが引っ掛かるが、このサイズではこれが限界か。
四足歩行スタイルをフィギュア化。右前肢を上げたままでも安定するので、這っているポージングが可能である。頭部の二本の角は塗り分けているものの、本体と一体化しているが残念だ。造型・彩色ともにソツがない。
特徴であり魅力でもある巨体よりも、ネロンガのアホ面の方が際立ってしまう。あからさまな尻尾の継ぎ目と、粗雑極まりない塗装が難だ。“ポリストーン”という目新しい素材が活かされているとは、到底思えない。しかし巨体を後肢二足と尻尾で支え、前傾姿勢で今にも襲いかかろうとするポーズとバランスの妙は、躍動感さえ感じさせる。
透明イメージのネロンガ。殆んどクリアー成型そのままだが、赤・青・黄がうっすらと塗装されている。しかしその三色はあまりにも唐突で、劇中のイメージに全くそぐわない。限定品の企画としては良いが、やるならやるでもうちょっと意匠を凝らしてほしいところだ。
兎に角「顔」を大きく、スケール・バランスの比重を頭部に置いたSD流儀の本シリーズ。図抜けて穎脱した歪形のアレンジ・センスによって、劇中さながらの精彩を放つネロンガ。前傾につんのめった躍動感、後肢で踏ん張った力感、台座からはみ出した量感を見よ。過剰にワイドな口を晒すアホ面に魂は宿り、その口腔の赤と歯列が織り成すコントラストが生々しい。差し出した小指の先端など「ガブッ」と噛み千切ってしまいそうな、そんな無邪気さと貪欲さで張り詰めた界面は今にも瓦解寸前だ。「SDはどうも...」などと、喰わず嫌いしてる場合ではない!
SDスタイルのこのシリーズは、それでも顔だけは割りとリアルな作り込みで、そこが魅力だ。しかしこのネロンガの顔はSD然としたアレンジで、もともとのアホ面が更に愛らしくなっている。