昆虫状の顔を有した宇宙人で、二人で地球侵略を画策する。木曾谷の吾妻湖近辺に宇宙船を着陸させ、そこを根城とした。変身能力を持ち、二人とも同じ少女の姿に成りすます。湖では、幼獣段階にあった宇宙怪獣エレキングを密かに育てていた。実はダンがウルトラセブンであることを知っており、調査に訪れたダン・フルハシを罠にはめ、まんまとウルトラアイを盗んだ策士だ。その後二手に分かれ、一方は地球防衛軍極東基地作戦室破壊工作のためにフルハシにわざと保護され、もう一方は湖底からエレキングを出現させ攻撃を開始する。地球防衛軍基地潜入を果たした個体は作戦室の計器類を破壊し防衛軍を混乱に陥れることに成功、ウルトラホーク2号を奪って逃走し木曾谷でエレキングを操作するもう一方の個体と合流した。しかしウルトラアイを奪回され、頼みのエレキングも倒された二人は宇宙船で逃亡を図る。侵略に失敗しても、地球の男性が美少女に弱いことを看破し再度の挑戦を目論むが、追って来たウルトラセブンのエメリウム光線によって宇宙船もろとも吹っ飛ばされた。武器は、催眠効果のある麻酔ガスとブローチから発する破壊光線だ。
ピット星人の顔は見たとおり、トンボやバッタなどの昆虫からの着想である。昆虫の顔を持った人型の知的生命体。そのデザインは、「宇宙人」である前に「生物」としての実在感に富む。斯様な容姿の宇宙生物が実在したとしても、何らの不都合は無かろう。そう思わせるのは2人の前衛美術家、すなわちデザインを手がけた成田亨と実際にピット星人を造形した高山良策の恐るべき才覚、そのコラボレーションの結晶にほかならない。
『ウルトラQ』の中途から参画した二人は、『ウルトラQ』・『ウルトラマン』の2作品において、想像力が横溢した様々な「生命」を創造してきた。そして“侵略宇宙人もの”を謳う本作『ウルトラセブン』に到り、その独創性は更なる飛躍を見せる。何となれば“宇宙生物”、与えられたその課題こそが、2人にとって新たな想像力の開墾地に過ぎなかったのだ。
成田は「怪獣(宇宙人)を生み出す原動力の基礎を抽象性に置いている」と語ったが、その言のとおりに『ウルトラセブン』初期における宇宙生命体は、衝撃的とも言える抽象性に彩られている。ゴドラ星人(第4話)やペガッサ星人(第6話)、メトロン星人(第8話)などがそれだ。これらいずれの生物をもモチーフとしていない宇宙人は、成田が言う「宇宙時代のカオス」に相応しい姿を持つ。
これに対してピット星人は、前述したとおりに昆虫の顔に着想しており、具象性が際立つ宇宙生物だ。『ウルトラセブン』初期で言えば、クール星人(第1話)やビラ星人(第5話)、イカルス星人(第10話)がこの部類に入る。いずれもシラミ・団扇エビ・コウモリと、既存の生物に着想した宇宙人だ。
しかしこれらが具象的だからと言って、果たして理路整然としているだろうか?顔と身体の位置関係が崩壊したシラミに、ひょろ長い体躯の団扇エビに、ヒゲ面のコウモリに、そして四肢を持った人型のトンボに、地球に実存する生物のコスモスを見い出せるであろうか?いや、できないであろう。ピット星人・クール星人・ビラ星人・イカルス星人、これらもまた「宇宙時代のカオス」を体現するアナーキーな連中であり、我々見るものに決して生物常識の安定感を与えてくれるものではない。無秩序な姿に呼び起こされるのは、不安感と畏怖だ。
勿論前述したとおり、ピット星人に限らず「成田・高山コンビ」が創造した生命は、おしなべて「生物」としての説得力に富む。まさに「どこかに棲息している」存在、つまりそれは生命体としてのコスモスだ。だが一方では、見るものに強烈なショックをもたらすカオスで満ち溢れている。コスモスとカオス。この相反する2つの要素が同伴する「矛盾」こそが初期ウルトラ怪獣の不思議な眩惑感の正体であり、2人のシュルレアリストによる奇跡なのだ。
昆虫の顔を持った人型。『仮面ライダー』(1971年)は、まさに昭和を代表する人型昆虫であり、そのバッタ顔はウルトラマン同様に我々日本人に馴染み深い。「改造人間」のその姿は不気味さと恰好良さと紙一重のところにあり、当時にあってヒーローとしては画期的であった。昆虫という、そもそもがヒーローに成り難いモチーフを斯様なスターに仕立て上げた、まさに石森章太郎(当時)の業績であることはもはや言うまでもない。
だが我々は『仮面ライダー』以前、その4年前に出現したピット星人の顔にその相似を見ることができよう。昆虫特有の大きな眼に顔下部に収斂された口腔部は、両者の顔を最大に特徴づけている。勿論本邦における昆虫顔をした人型の嚆矢は、『ウルトラマン』のバルタン星人(第2話)であり『ウルトラQ』のセミ人間(第16話)だ。しかしながらトンボ(ないしバッタ)に着想したピット星人の方が、セミ顔のバルタン星人より仮面ライダーの顔に似ている。だからと言ってピット星人の顔が、一連の仮面ライダーシリーズの中にそぐう訳ではないのだが、この共通性は着目に値しよう。
無論、ピット星人が仮面ライダーのルーツであるということではない。ピット星人にしろ仮面ライダーにしろ、成田亨と石森章太郎がそれぞれの逡巡の果てに辿り着いた答えだ。言いたいのは受け取る側、すなわち日本人の受容の広さである。
昆虫というものは、「無感情で何を考えているのか分からない」という認識のもと、「怪獣」ないし「巨大生物」として描かれることはままある。これに関してはアメリカ映画作品や本邦の作品にもしばしば見られた傾向で、「巨大化した昆虫が闇雲に襲来する」というシチュエーションに合点がゆくのは、どうやらある程度万国共通のコモンセンスであるようだ。ここで導き出されるのは、「昆虫は下等生物」ということである。
だがピット星人は、宇宙の知的生命体である。何かをちゃんと考えて行動しているのだ。そして仮面ライダーに到っては、人の感情を持った正義の履行者である。人型で昆虫の顔を持ち、頭脳明晰で悪にも善にも成り得る存在。これを許容する日本人の感受性は、特筆すべきではなかろうか。確かにアメリカ映画でも、昆虫の顔を持った宇宙人は居た。ユニバーサル映画『宇宙水爆戦』(1955年)に登場する昆虫人間がそれだ。だが昆虫の顔を持った正義のヒーローが、果たしてアメリカに居たであろうか。ピット星人にしろ仮面ライダーにしろ、それを受け取る器が土壌として日本人の中にあったればこそ、生まれ得たのである。
さてピット星人の体は作り込んだマスクに比べて、何か頼り無さげなものをピラピラッと纏っているだけで、基本は体のラインがそのまま出る全身タイツだ。(ちなみに下顎から地続きで胸と背面を覆うバンド状のものには、目を発光させるための電池ボックスが内蔵されている)
宇宙の知的生命体なのだから、「被服」という行為は至極当然なことであろう。更にピット星人は劇中「女性」として描かれるのだから、服を着せたいのは人情と言うものである。これに対して、『ウルトラマン』に登場したバルタン星人(第2話)やザラブ星人(第18話)、またメフィラス星人(第33話)のおそらくは素っ裸状態であること自体、「知的生命体」としてもしかしたら不自然なのかもしれない。
『ウルトラセブン』が“侵略宇宙人もの”を謳う以上、そのことは充分留意され配慮されたに違いない。これを裏づける例としては、ピット星人のほかにキュラソ星人(第7話)やシャプレー星人(第20話)、シャドー星人(第23話)などが挙げられる。ちなみに「被服する」宇宙人の祖としては『ウルトラQ』のセミ人間(第16話)が挙げられ、その留意時期の早さが窺い知れよう。
勿論宇宙の常識は、地球の非常識だ。知的生命体だからと言って、必ずしも被服するとは限らない。イカルス星人(第10話)やワイルド星人(第12話)、バド星人(第19話)などは、人型の知的生命体でありながらどう見ても丸裸だ。またゴドラ星人(第4話)やペガッサ星人(第6話)、メトロン星人(第8話)などは、地肌がそのまま衣服状に進化したような意匠を纏っている。
被服と裸、そしてその中間。多様な宇宙生命体が登場する『ウルトラセブン』。その作品性ならではの妙味が、この被服と非被服から汲み取れるのである。
この「被服」という設定と相俟って、そうでなくても人型生物のスーツは、縫いぐるみ怪獣よりコストが当然安価に済む。したがって流用が著しかった『ウルトラQ』・『ウルトラマン』の怪獣とは違い、『ウルトラセブン』に登場する宇宙人は基本的に流用・改造は無く新調され続けた。勿論例外もあり、例えばこのピット星人はペダン星人(第15話)のスーツに流用されている。
安価に宇宙人のスーツが作製できることは、『ウルトラセブン』というSF色の強い作品において有効に働いた。そう、地球にやって来る宇宙人は単体であるとは限らない。ピット星人のように、2人または複数でやって来るシチュエーションも描かれて然るべきだ。それをキャメラワークによって表現することもあれば、ピット星人同様2体以上のスーツが製作される場合もあった。ペダン星人(第15話)やシャドー星人(第23話)、カナン星人(第24話)、ガッツ星人(第39・40話)、テペト(第41話)、ノンマルト(第42話)、フック星人(第47話)、ゴース星人(第48・49話)と、これらのスーツは全て複数体製作され、同種族集団による地球襲来をより効果的に見せたと言える。
「人型の宇宙人が登場する」ということと、そして「被服する宇宙人」。それを最大限に活かしたことが、結果『ウルトラセブン』という素晴らしい作品性に一役買ったことになっているのだ。
クレジットが無いので、実はピット星人を演じたのが誰なのか判然としない。腰がキュッとくびれた稜線を描くところから、中に入っているのは女性だと推察されよう。そう言えば、人手不足か何かでピット星人の片割れの中には、アンヌ隊員つまり菱見百合子が入っていたという話を聞いたことがある。ピット星人の宇宙船内セットでのスナップ写真に、少女役の女優・高橋礼子と写っている白衣姿の菱見のものが残されており、あながち有り得ない話しでもない。
この回の主役は何と言ってもエレキングなのだが、ミクラスがエレキングの付き物であるように、ピット星人にもまた同じことが言えよう。1994年のTVスペシャル『ウルトラセブン 太陽エネルギー作戦』と2005年の『ウルトラマンマックス』では、“人気怪獣”エレキングとともに再登場している。
エレキングの主人である筈のピット星人だが、そのペットの威光が無ければ、おそらくはシリーズを飛び越えた活躍は無かったであろう。「従」のバーターとしての「主」。その逆転現象が面白い。
『ウルトラセブン』では、様々な宇宙の来訪者が描かれる。これら他天体からの宇宙人の名は、当然その出身星に由来し「○○星人」と呼称されるのが常だ。『ウルトラセブン』の作品世界では、「宇宙」というイメージに重きを置いている。したがって『ウルトラセブン』に登場する「○○星人」の名に、「パ・ピ・プ・ぺ・ポ」すなわち“P”の音が多く混入されることは、人びとが思い描く「宇宙」のイメージに着想した結果と考えるのが妥当であろう。
周知のとおり星座の名前は、古代ギリシア神話を起源としているものが大多数だ。そしてギリシア神話に登場する神々や人々また神獣の名前の特徴として、「パ・ピ・プ・ぺ・ポ」つまり“P”の音が入るものが多く見受けられる。たとえば「ポセイドン」や「アポロン」、「プロメテウス」や「ペガサス」、「ヘパイストス」、「パーン」などがそうだ。
ピット星人がそもそも「キューピッド」の名に由来しているのだが、そのほかにもペガッサ星人(第6話)やプロテ星人(第29話)、ペガ星人(第36話)などは如何にもギリシア神話や星座に着想したような名称である。1967年に制作された『ウルトラセブン』は、その20年後である1980年代の近未来を想定して描かれた作品だ。未来の象徴である「宇宙」へ目を向けたとき、だがそこに古代の神秘性を見い出したのである。
本エピソードの脚本を手がけたのは、チーフライターでもある金城哲夫だ。したがってピット星人の生みの親は金城なのだが、実は「地球侵略のために強力な怪獣を従えてやって来る」この設定には、後に続くウルトラ・シリーズを牽引する要素が多分に含まれている。前述した「被服する人型宇宙人」のほかに、SFドラマの作品性を高めるその要因に迫ってみよう。
先ずは、知略に長けるが体力に劣る星人が、侵略の兵器として宇宙怪獣(もしくはロボット)を連れて来るということに着目してみよう。このことについてはエレキングの項目で述べてあるのでかいつまんで言うが、このシチュエーションがウルトラヒーローの絶対的な危機を描くのに実に有効的であるのだ。『ウルトラマン』のゼットン(第39話)をはじめ、『ウルトラセブン』のキングジョー(第14・15話)とパンドン(第48・49話)、そして『帰ってきたウルトラマン』のブラックキング(第37・38話)などは、ウルトラヒーローを絶対的危機に陥れた実績を持つ。(ちなみにゼットン・キングジョー・パンドンについては、全て金城脚本作品である)
このように強力怪獣が侵略宇宙人の手先となって地球を襲来するパターンは、ウルトラ・シリーズに限らずもはやヒーロー物の常套となっている。「何かに属している」怪獣などは怪獣としての魅力が減じてしまうのだが、また一方でそういった立場でウルトラヒーローを危機に陥れた怪獣たちの人気が高いことも事実だ。能ある者が膂力を誇る下等動物を従えるということを、果たして“SF性”などと呼べるかは甚だ疑問である。だが「主人とペット」の主従関係を投影したこの設定が、視聴者には極めてすんなり受け入れられ易く、またそのシチュエーションに皆燃えるのだ。
次に挙げたいのは、「宇宙人は必ずしも巨大化しなくてもいい」ということだ。巨大化なくして果たせぬ破壊行為やセブンとの対峙は、従えて来た怪獣ないし乗って来た宇宙船が代行してくれる。これによって侵略宇宙人が宇宙船もろとも撃ち落されたり、あるいは宇宙船内や基地などの施設内で倒されるというシチュエーションが繰り広げられるようになった。つまりそれはどういうことか?そう、ミニチュアセットに費用や手間を掛ける必要が無くなったということだ。建て込みの簡素な宇宙船内のセットや、ときには現存する建造物内での撮影で事足りるのである。
宇宙船もろとも撃墜されたピット星人のほかに、宇宙船内で寸断されるクール星人(第1話)、マックス号内で次々と倒されるゴドラ星人(第4話)、そしてあの強敵・ガッツ星人までが船内死を遂げている。更に「地球の気圧が肌に合わず外へ出ることができない」という、船内セットを逆手に取ったようなペガ星人(第36話)の設定は白眉と言えよう。
また宇宙人(異者)が我々と同じ等身大であるということによって、「侵略」という行為を身近な目線で見つめることができる。住宅街に(ワイアール星人・第2話)、ガソリンスタンドに(キュラソ星人・第7話)、アパートの部屋に(メトロン星人・第8話)、デパートに(チブル星人・第9話)、そして民家の縁側に(ペロリンガ星人・第45話)、侵略は日々進行し、我々の日常と隣り合わせで決して無関係ではないということを、我々はそのスリリングなドラマ展開によって感じることができるのだ。「巨大化しない宇宙人」が如何に有能な「発明」であるか、その証左である。
しかし金城の最も画期的且つ恐るべき「発明」は、「被服」でも「主従関係」でも「等身大」でもない。ピット星人が地球侵略のために、地球人の“少女性”を利用したことにある。
ピット星人は、劇中で2人の同じ姿をした少女に変身した。2人とも同じ姿であるということは、それはすなわち双子であることを示しており、少女が有するエキセントリックさと嬌態は、ツインが放つ眩惑的で蠱惑的な魔性によって一層強化されるのだ。(ちなみに劇中でピット星人を演じた高橋礼子は一人で、キャメラワークや合成によって双子に見せかけていた)
幼獣状態のエレキングを釣り人から救うために、自ら水着姿で湖を泳いで来る初出のシーンでは、濁った湖水に揺らめく白い肌が艶めかしい。そして湖面から突き出した少女の顔立ちはエキセントリックで、それを前にした釣り人・ダン・フルハシの男たちは完膚無きまでに無力だ。
小悪魔的な表情・仕草・言動の横溢はこれにとどまらず、怪獣エレキングをペット感覚で育てたり、防衛軍基地のメディカルセンターではアンヌを向こうに「やめて!」「触らないで!」などとわがままの言いたい放題、作戦室を爆破する姿は悪戯っ子のそれである。ウルトラホーク2号をドライブ気分で操縦したり、最後には子飼いのエレキングにセブン打倒の責務を預け、自分たちはさっさと戦線離脱しようとした少女性の貫徹。そこに見えるのは言うまでもなく、今日的な女子高生像である。
エキセントリックな双子が交わす、地球からの去り際の会話がまた振るっている。「今度はもっと強い怪獣を連れて来ましょう。そして地球人を皆殺しよ!」「ステキだわ~。そうしたらこの美しい地球は私たちのものになるのねー」「きっと巧くいくわ。だって、地球人の男性はかわいいコに弱いってことが分かったんだもん。ンフフフ...」 ピット星人は決して少女ではなく、ただ地球の少女の姿に化けていただけなのだ。にも関わらずこの会話が放っているのは、少女が持つ残酷性そのままである。準備稿では「マーガレット星人」と名づけられていたピット星人だが、もはや「野菊」のイメージである“可憐さ”は、この双子が持つ多面的な魔性のほんの一部分に過ぎないのだ。間違いなくこの“少女性”は、地球の男たちを皆殺しにするであろう。
『ウルトラセブン』に登場する侵略宇宙人が、「女性」を利用した例はこれに留まらない。ゴドラ星人(第4話)は美女に化けまんまとダンからウルトラ・アイを盗んだし、チブル星人(第9話)は美女アンドロイドでダンを抹殺しようとした。またペダン星人(第14・15話)はドロシー・アンダーソンになりすまし各国要人暗殺を果たし、ボーグ星人(第27話)は銀装の美女となって防衛軍基地に潜入、ゴーロン星人(第44話)は手先として男とそして女を洗脳している。ピット星人のように「少女性」で言えば、マゼラン星人のマヤ(第37話)が忘れられない存在だ。「少女性」や「女性」が誘引するものは「油断」であり、侵略者はそこを狡猾に突いて来るのである。
「年端もいかない二人の少女に、いい大人たちが振り回される」 子ども番組らしからぬテーマはしかし、40年以上経った今日の日本社会の有り様を示しており、このような“画期的な”脚本を書いた金城哲夫の警告に慄然とさせられるのだ。「ロリコン」や「コギャル」、そして「萌え」など、その時節によって言葉こそ変容はするものの、世の男性が持つ「少女嗜好」性は普遍的である。果たして成人男性・金城は、このことを憂いていたのだろうか。それとも自分自身がそれに惑溺する一介の男子であることに対して、嘲っていたのであろうか。
さて最後に、「大人の男を翻弄する」少女役の高橋礼子に言及しておこう。「美」少女とは言えぬが、その顔はまさにエキセントリックな嬌態を体現するものである。作品が40年以上前のものであっても、この高橋礼子の少女像だけは決して色褪せることが無いのだ。
しかし何にせよそういった理屈云々よりは、初出のシーンをとにかく見ていただきたい。濁った湖水にさらした、無防備なまでの白い肌のゆらめき。男たちはそこに、人生の全てを賭してしまうような愚行にひた走るのだ。
高橋のほかの出演作は、1970年の映画『盛り場流し唄 新宿の女』という作品にクレジットが確認できる程度である。その秘密性とともに、高橋礼子の「湖の秘密」は永遠なのだ。
「ピット星人」のネーミングは、キューピッドに由来する。キューピッドのようなかわいらしさで、地球人(男性)を虜にするところから名前を着想した。
『ウルトラセブン』に登場する宇宙の知的生命体は、身だしなみを整えて地球にやって来る。ものも居る。
尚、よく言われるキュラソ星人(第7話)が『ウルトラQ』のケムール人(第19話)の改造であるというのは、そのシルエットが似ているというところから発生した誤解と思われる。そもそもキュラソ星人自体が、四次元世界から侵略を謀る宇宙人として当初デザインされ、そのために前例であるケムール人に再着想したのだから似ているのは当然なのだ。ちなみにその四次元宇宙人は、その後イカルス星人(第10話)の設定として採用されることとなる。そしてそのイカルス星人自体の当初の設定は石油を喰らう怪物であり、先人である『ウルトラマン』のペスター(第13話)のコウモリ顔をもとに再着想してデザインされた。石油を喰らうというその設定は、イカルス星人と入れ違いでキュラソ星人のものとなり、以上のようにややこしく混み入った経緯が実はあるのだ。キュラソ星人とイカルス星人が逆にデザインされていた事実が、「キュラソ星人=ケムール人」説を蔓延させた原因であろう。
ピット星人のシリーズを超えた登場の概要は以下のとおりだ。
尚、エレキング以外の怪獣を従えた例は無い。
また“P”音は入らぬが、ほかにも星や神話世界から取ったと思われるもの、あるいはその響きによって“っぽさ”を醸し出しているものがある。以下に挙げてみよう。
「年端もゆかぬ少女に振り回される」男の大人の一人として、劇中における吾妻湖の釣り人が思い浮かぶ。幼獣エレキングを釣ってしまい、水着姿の少女に掻っ攫われてしまうこの役回りを演じたのは、金井大という役者だ。
通底するのは、
「翻弄される人間」である。