地球侵略を目論むピット星人が、木曾谷の渓谷にある吾妻湖で養育した宇宙怪獣。ピット星人の番犬的役割を果たす怪獣で、純白のうねるような身体には猟犬ポインターさながらの黒い模様をちりばめた姿をしている。ウナギ状の幼獣は数十cmだが、1日と経たない間に数十mへと急成長を遂げた。アンテナ角は左右別方向に回転し、ピット星人が宇宙船から発する超短波の指令電波を受信、その機械操作によって吾妻湖より出現する。口から射出する光刃で、ダンやミクラス、ウルトラホーク1号、そして渓谷を逃げるウルトラ警備隊を襲った。鞭のようにしなやかなボディには、電気ウナギのように強力な電流が帯電されており、長い尻尾を相手に巻き付け放電攻撃を見舞う。これによってカプセル怪獣ミクラスを退け、登場したウルトラセブンにもこの放電攻撃を喰らわせた。しかしセブンのエメリウム光線でアンテナ角は破壊され、最期はアイスラッガーで首を寸断され爆死を遂げる。
『ウルトラセブン』の怪獣(宇宙人)の中で、真っ先に思い浮かぶのはこのエレキングであろう。しなやかで白い体躯にはホルスタイン柄を連想させる斑紋、目のあるべき場所にはくるくる回転するアンテナ状の角、開くことのない閉じっ放しの口、指をぶつ切りにされたような形状の手足など、特徴的な容貌が強く印象に残るが、エレキングの圧巻は何と言ってもあの異様に長い尻尾だ。100m(着ぐるみ原寸では6m)もあるその尻尾を、ミクラスに、そしてセブンに巻き付けて放電攻撃を浴びせる場面は、間違いなく初期『ウルトラセブン』における最初の衝撃である。
エレキングの長い尻尾は、前述どおり特徴でもあり、そして最大の武器でもある。相手に巻きつけ締め上げ、極めつけの放電攻撃を見舞い、ミクラスをそしてウルトラセブンさえ苦しめた。「長い」ということと「放電」は、電気ウナギを髣髴とさせる。「宇宙怪獣」という設定に付与された、特殊な意匠だ。
エレキングのように、尻尾のある怪獣たちは当然それを武器にする。尻尾を武器とした怪獣の代表例は、『ウルトラマン』のゴモラ(第26・27話)と『帰ってきたウルトラマン』のツインテール(第5・6話)だ。太く長く逞しい尻尾をブンブン振り回し、それまで無敵を誇っていたウルトラマンを一敗地に塗れさせたゴモラ。そして逆立ちした特殊形状のツインテールは、頭部に充当する箇所にある一対の“ツイン・テール”で、ウルトラマンの首を締め上げ苦しめた。ゴモラ、ツインテール、そしてエレキング。ウルトラシリーズにおける“三大尻尾怪獣”と言えよう。
尻尾は怪獣の特権である。単なる記号や添え物として、「ただついている」訳ではない。実際、印象的な尻尾を持つウルトラ怪獣には、枚挙にいとまが無いほどだ。膂力を誇示する怪獣たちは、その尻尾でもってさえ自己を主張するのである。
牛。ふたりの前衛美術家、デザインを手がけた成田亨と造形を担当した高山良策の両氏は、ともに牛のモチーフを好んだ。たとえば、『ウルトラQ』登場のパゴス(第18話)の頭部や、『ウルトラマン』のゴモラ(第26・27話)、そして本エピソードでエレキングと一戦交えるミクラスなどは、両者の「牛」への嗜好が結実した傑作「牛怪獣」と言えよう。無論エレキング自体を含めて。
高山良策の絵画の師・福沢一郎は、日本のシュルレアリスム運動の思想的リーダーで、1936年に『牛』という作品を発表している。奇しくもそこに描かれている捩れたホルスタイン牛は、後に弟子が造形することとなるエレキングの出現を、あたかも予見していたが如く、無視できない一致性をそこに見ることができるのだ。
しかし果たしてエレキングのモチーフとなったのは、本当に牛(ホルスタイン牛)なのだろうか?ホルスタイン柄を体表に纏ってはいるものの、“牛”という武骨なイメージからは逸脱した、何とも優美でスマートなシルエット。その稜線は牛に非ず、しかしホルスタイン柄で引き戻される牛のイメージ。この不思議な幻惑感。「牛?」「牛じゃない」「やっぱり牛だ」 牛特有の消化システム同様、まさしく反芻の世界である。
もう少し「牛か否か」を敷衍してみよう。先ず前述どおり、エレキングは主人であるピット星人の番犬的性格を持つ。このことからあの体表の柄は、犬のポインターのそれであるとも考えられる。猟犬であるポインターもやはり、主人に対して忠実であることは周知だ。
第二に考えられるのはウナギだ。エレキング最大の武器は、長い尻尾による放電攻撃である。「異様に長い」という要素と、そして「放電」。アマゾン河流域に棲息する電気ウナギこそ、まさにこのイメージではないか。更にエレキングの幼獣時の姿と、水中棲息という生態が、ウナギ説に拍車をかけるのだが...。
しかしいちばん推したいのは、ウシはウシでも“ウミウシ”だ。「ホシゾラウミウシ」という種が実存する。三角形の頭部の目のあるべきところから生えているのは角だかアンテナだか判然としない突起で、裾に向かって扁平する顔つきとともに、まさにエレキングそのものだ。体表を覆う黒のドット模様と白い斑点の絡み合いは、エレキングへのインスパイアに申し分の無い様相を呈している。デザインをした成田亨の口述による「ウミウシ」が、「ウシ」と取り違えられて伝わったのでは?と思わせるほど、この「ホシゾラウミウシ」を初めて写真で見たときの衝撃は痛烈であった。「まさにこれがエレキングだ!」という具合に。
牛か、ポインター犬か、電気ウナギか、はたまたウシはウシでもウミウシか。いずれのモチーフだったにせよシュルレアリスム美術における絵画手法が、結果的にはこの不思議な怪獣エレキングを、複合的な動物の融合に見せているのかも知れない。成田亨の恐るべき才覚だ。「何かの動物なのだが、何かは分からない」という眩惑感こそ、エレキングが長年人気怪獣を誇る所以なのではなかろうか。
そして、生物として「有り得ない」エレキングの姿に、我々は「有り得る」生命体の姿を見るのだ。この「現実と空想の境界を突き崩す」危うさこそが、シュルレアリストの成田と高山による無意識の顕現であり、見るものに“ウルトラ原体験”を強烈に刻みつけるのである。
また、エレキングにおける視覚的効果の意匠にも刮目だ。エレキングの頭頂から足先までのシルエットが描くのは、流麗な二等辺三角形である。スマートなフォルムは前述どおり「牛」のイメージからはかけ離れるが、ここで注目したいのは対戦相手であるミクラスとの対比だ。
奇しくも同じ「牛」(バッファロー)を着想としてデザインされたミクラスは、エレキングとは対照的に無骨極まりないイメージである。そして側面から見ればミクラスは、これまたエレキングとは対照的に逆三角形のシルエットを持つのだ。二等辺三角形対逆三角形。これが意図としないものであったら、果たして何であろうか。
更に加えて、色合いにおける視覚的効果である。エレキングの「白」に対して、ミクラスは「黒」だ。白と黒が織り成すコントラストも、無論成田亨が意図としたところであろう。
「流麗対無骨」・「二等辺三角形対逆三角形」・「黒対白」。これらが見せる「絶対的な対比」が意味するものは、これが本エピソードだけのために凝らされた唯一無比の意匠であるということだ。カプセル怪獣であるミクラスの今後の活躍については、おそらくこの時点ではさほど留意されていなかったのであろう。
その物語だけに登場する怪獣に付与された、その怪獣だけのための創意・工夫・意匠。まさにその物語だけに登場しうる怪獣の創造のために、いかに成田が心を砕いていたかが窺い知れよう。
それにしてもエレキングの顔は不思議だ。言ってしまえば「顔が無い」のである。
もちろんこれまでにも、『ウルトラQ』のバルンガ(第11話)や『ウルトラマン』のブルトン(第17話)に見られるように、「顔が無い」怪獣は成田亨によっていくつか創造されてきた。だがそれはあくまでも、元としたモチーフ自体に「顔が無い」(バルンガは雲、ブルトンはイソギンチャクか?)のであって、決してデザイン意匠の過程で削除された訳ではない。
しかしエレキングについては、四肢を有する態を成しながら、且つまた「顔」に相当する箇所を配されながらも、目・鼻・口などの顔を構成する造作を一切排除した形となっている。「一切」という言い方はいささか語弊があり、なるほど回転する角は「目」に、そして末広がりの先の断面は「口」に見えないこともない。いやおそらく双方とも、位置的に鑑みても「目」であり「口」なのだろう。しかし考えていただきたい。くるくる回転する角に、果たして視覚機能が備わっているだろうか?また決して開かれることのない口と思しきその断面に、摂取や発音機能を想像することができようか?エレキングの顔にはこのように、せっかくの秩序的な配置上に顔の造作が放棄されているという不思議な眩惑感があるのだ。
シュルレアリスムの表現手法を盛り込まれた“成田怪獣”には、エレキングのように「顔が無い」怪獣がいくつか存在しまた魅力のひとつとなっている。『ウルトラQ』のケムール人(第19話)は、顔の秩序を崩した「抽象的」クリーチャーの嚆矢と言えるのではなかろうか。その不気味で特徴ある顔には、目がアシメトリーに配され、大胆なラインがやはり左右非対称に走り、また奇怪な声を発するのだが発音器官に相当するものが一切見受けられない。これはかなり、顔の造作を「放棄している」と言ってよいだろう。
それでもまだケムール人は、「顔」というものを決定的に印象づける造作、すなわち「目」が存在しているのである。したがってケムール人は、無秩序に配された顔の造作に「顔」としての名残りを留めていると言えよう。『ウルトラマン』のゼットン(第39話)なんかも「顔の造作を放棄された」印象が強いが、左右一対に穿たれた方形の孔が「目」として認識される。これによってゼットンは、「顔が無い」イメージを払拭しているのだ。顔の有るか無きかの不安定なバランスの上に存在する「目」、あるいは「目らしきもの」。これがいかに「顔」を決定づけているか分かるだろう。
そしてエレキングにはその「目」が無いのだ。目の有るべき箇所には、くるくると回転するアンテナ状の角が生えている。「顔」を最も印象づけるための「目」。その「目」が無いエレキング。だがその「目」の代わりであるアンテナ角こそが、エレキングの「顔」を最も印象づけている強烈な個性だ。何とも不思議な顔立ちであると思わされる所以は、まさにここにあるのではなかろうか。成田が言う“宇宙時代のカオス”を原動力とした、怪獣創作の結実と言うほかないのである。
先にも記述したように、エレキングのアンテナ状の角はくるくると逆方向互い違いに回転する。これは機電を担当した倉方茂雄による仕事だ。
倉方の代表的な仕事としては、ウルトラマンのカラータイマーの点滅やバルタン星人の回転しながら発光する目などが挙げられる。倉方の仕事の白眉としては、『ウルトラセブン』のビラ星人(第5話)に施された稼動ギミックを推したい。6本の足が、それぞれ独立して動くのである。まさに仕事師の匠をそこに見るだろう。
エレキングのように「回転」が印象深い怪獣として、『ウルトラマン』のギャンゴ(第11話)が挙げられる。こちらはアンテナ状の「角」ならぬ「耳」が、まるで対峙したウルトラマンを挑発するかのように激しく回転するのだ。且つまた、その耳の形状に凝らされ意匠も印象深い。このほかにも「回転」を呈する怪獣はあるのだが、突き出た部分が激しく回転するというインパクトにおいて、ギャンゴとそしてエレキングの右に出るものはないと言えよう。
発光・点滅・稼動・回転。着ぐるみ怪獣への「命づけ」、その最後の総仕上げこそがこの機電という仕事なのだ。またそれは、怪獣創造の醍醐味であるとも言える。
エレキングを演じた着ぐるみ役者は、池田芙美夫である。池田にはエレキングのほかに、怪獣を演じた記録は無い。『ウルトラマン』のバルタン星人を演じた佐藤武志同様、まさに唯一無比の存在だ。エレキングとバルタン星人。ちなみに両者とも、制作話数順では第1回目にあたる作品に登場する。
エレキングの動きとして印象に残るのは、長い尻尾を相手に巻き付け放電する際の両腕の姿勢だ。カマキリのカマのように二の腕から先を上方へもたげ、若干痺れ気味に震わせるアクションは、当然「放電」を意識してのものであろう。演出上の指示なのか、それとも池田自身の考案なのだろうか。池田が他の怪獣を演じていないので、その動きの特徴をあれこれ推察することは叶わない。何とも惜しいのである。
人気怪獣エレキングは同じく人気者であるバルタン星人のように、シリーズを越え時代とともに姿を変貌させ活躍をしている。『ウルトラファイト』(1971年)・『ウルトラマンタロウ』(1973年)・『(NTVスペシャル)ウルトラセブン 太陽エネルギー作戦』(1994年)・『ウルトラマンマックス』(2006年)・『ウルトラマンメビウス』(2007年)・『ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル』(2008年)と、これらに登場するエレキングは、時に黄色かったり尻尾が短かったり、時に過剰な体表の模様を呈したり、時に丸っこくなってマスコット的存在になったり、時代が求める姿かたちに変容するのだ。
だがバルタン星人における「セミ顔とハサミ」同様に、三角の顔とシルエット、回転するアンテナ角、そして白もしくは黄色の肌地に黒の模様は、約束事項のように遵守され踏襲されてゆくのである。それらが、エレキングのほかならぬアイデンティティーであるという証左だ。
特筆すべきは、『ウルトラマンメビウス』(2007年)におけるエレキングの扱いである。『メビウス』にはマケット怪獣ミクラスが登場するが、ミクラスと言えば言わずもがなエレキングの敵役だ。エレキングの放電攻撃に敗れ去ったミクラスに対して、電撃能力を付与するためにエレキングのデータが入力されようとする。が、トラウマが残るミクラスがエレキングのデータを拒否、結局同じ電撃怪獣であるネロンガのデータを入力されるというくだりが描かれているのだ。これなどは、ある意味時を越えた「エレキング対ミクラス」と言えるのではなかろうか。
ちなみにミクラスにデータを受容されたネロンガだが、『ウルトラマン』の第3話がその初出である。エレキングの初出も『ウルトラセブン』の第3話であり、同じ電撃能力を有する怪獣が奇しくも第3話に登場するということを、余談として添付しておこう。
そして『ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル』。エレキングは、同じ牛怪獣のゴモラと壮絶なバトルを展開する。尻尾からの放電攻撃はもちろん健在で、強敵ゴモラを一時は窮地に陥れた。大怪獣同士の激突が放つ超迫力に、見るものは血は湧き肉も躍ろう。ゴモラに敗れた後バトルナイザーに回収されたエレキングは、今度は人類の味方となり、ムルチなどと戦いを繰り広げる。昭和では実現出来なかったこれらのエレキングの奮闘は、ファンとして是非とも押さえておきたいところだ。
『ウルトラセブン』には、「宇宙人15+怪獣35」という、映像化に到らなかった幻とも言うべき作品があった。タイトルが示すとおり、宇宙人と怪獣が大挙して押し寄せるストーリーだ。
この中でエレキングは、ゲスラやペスターとともに東京湾より上陸する。湾岸地域を襲うエレキングは、魅力あるシチュエーションだ。未制作に終わってしまったことが惜しまれる。
物語はその後、ウルトラ警備隊による“共食い作戦”によって、最後には五匹の強者が残る展開となっている。レッドキング・ペギラ・ネロンガ・ジェロニモンの強力怪獣らとともに、エレキングもそのその五強に名を連ねるのだ。さすが人気怪獣エレキングの立場の強さを、再確認できよう。
木曾谷の渓谷にダイナミックに展開する二つの決戦に、先ずは注目していただきたい。大怪獣同士の激突「エレキング対ミクラス」と、巨大ヒーローによる大怪獣退治「ウルトラセブン対エレキング」。この豪華な二大決戦こそ第3話におけるハイライトであることは言うに及ばず、制作話数としては第1話に当たる本エピソードに、新リーズ『ウルトラセブン』にかけた作り手の意気込みを見る思いである。まさに“巨編”の名に相応しい。
先ずは、エレキング対ミクラス。ホルスタイン牛柄のエレキングに対峙するのは、奇しくもこれまた牛(バッファロー)の怪獣ミクラスだ。前述したとおり流麗な二等辺三角形のシルエットを描くエレキングに対して、ミクラスは武骨な逆三角形のフォルムを見せる。二等辺三角形対逆三角形、そして白対黒。この激烈な対比とコントラストは、おそらく視覚効果として周到に意図されたものなのであろう。
外貌どおり「力」で押しまくるミクラスに対し、光刃攻撃や尻尾を振り回して応戦、更に放電攻撃で受けて立つ「技」のエレキング。大怪獣同士の迫力ある戦いの絵図、怪獣映画さながらのこの醍醐味!ちなみにこの「怪獣同士の格闘で善悪を明確にする」というシチュエーションは、『ウルトラQ』第2クールの企画として勘案された「怪獣トーナメント戦」のそれである。
さて、エレキングの第2ラウンドはウルトラセブンとの決戦だ。エレキングの「白」そしてセブンの「赤」というコントラストと、両者細身ながら歴然とした身長差が見せる対比は、「エレキング対ミクラス」戦同様に視覚効果をもたらしている。
自身の身長をはるかに越えるエレキングの巨体を、セブンはものともせず尻尾をつかんでぶん投げる。投げられたエレキングも、その尻尾を振り回して応戦。勇壮な楽曲をバックにした膂力の誇示、激突。ミクラスを退けたエレキング必殺の放電技、更にその上をゆくセブンの超越技が炸裂する。エメリウム光線、そしてトドメのアイスラッガー!すっ飛ぶ尻尾、そして首!流血!大爆発!「もう堪らない!」のひと言に尽きるのである。
本エピソードの監督は、野長瀬三摩地だ。野長瀬監督作品と言えば、『ウルトラマン』第28話「人間標本5・6」(ダダ登場)や『ウルトラセブン』第2話「緑の恐怖」(ワイアール星人登場)など、怪奇ムードで見せる作品が特徴的である。このほかにも、『ウルトラQ』第11話「バルンガ」(バルンガ登場)や第20話「海底原人ラゴン」(ラゴン登場)、第23話「南海の怒り」(スダール登場)、第24話「ゴーガの像」(ゴーガ登場)、『ウルトラマン』第4話「大爆発後病前」(ラゴン登場)や第7話「バラージの青い石」(アントラー登場)、第19話「悪魔はふたたび」(アボラス・バニラ登場)、『ウルトラセブン』第19話「プロジェクト・ブルー」(バド星人登場)や第20話「地震源Xを倒せ」(シャプレー星人登場)、第23話「明日を捜せ」(シャドー星人登場)など、野長瀬監督作品には怪奇色で彩られたものが多い。まさに「怪奇」こそ、野長瀬作品を象徴する色と言っても過言ではないのだ。
しかしながら本エピソードのように、ダイナミックさで見せる「大怪獣もの」さえこなすのが野長瀬監督の才覚だ。木曾谷の渓谷を舞台に展開する大怪獣エレキングとの攻防戦は、『ウルトラセブン』を象徴する場面であると言えよう。誰もが憶えている「エレキング対ミクラス」、そして「ウルトラセブン対エレキング」の2大決戦が、そのことを雄弁に物語っている。
野長瀬が手がけた「大怪獣もの」の祖としては、『ウルトラQ』第5話「ペギラが来た!」と第14話「東京氷河期」の“ペギラ2部作”が挙げられる。南極の氷原を舞台にした冷凍怪獣ペギラとの攻防戦、そして東京における攻防は、まさに『ウルトラQ』の怪獣世界を象徴するシーンとして印象深い。『ウルトラQ』ではこのほかに、第16話「ガラモンの逆襲」が野長瀬作品の「大怪獣もの」のひとつして位置づけられる。複数体のガラモンによる東京襲撃シーンは、もちろん『ウルトラQ』が誇る破壊スペクタクルだ。
ペギラ、ガラモン、そしてエレキング。成田亨・高山良策の無敵のコラボレーションによる傑作怪獣たちが、斯様に我々の脳裏に刻印を残しているのは、ひとえに野長瀬の才覚と、そして怪獣という異者に込めた愛の結果である。吾妻湖よりその異形を顕わすエレキング、木曾谷を進撃しミクラスを退け、そしてセブンとの決戦に挑む勇姿。どのエレキングを切り取ってみても、成田・高山が意図したエレキングとして適確なのである。
怪奇ムードと、そして「大怪獣もの」が織り成すダイナミックな魅力。その双方を作品に盛り込ませ、遺憾なく発信せしむ野長瀬監督。ときに「怪奇」が突出したり、またときには「大怪獣」が跋扈したり、そして両者が程よく共存したり。我々は野長瀬が投げつける自在な七色の変化球に、翻弄・眩惑、そして魅了されるのである。
エレキングのように、侵略宇宙人によって怪獣が宇宙から連れて来られる、あるいは送り込まれるというシチュエーションについて考えてみよう。その嚆矢としては、『ウルトラQ』に登場するガラモン(第13・16話)やボスタング(第21話)が挙げられる。『ウルトラマン』においては、メフィラス星人(第33話)の力の誇示として三宇宙人(バルタン星人・ザラブ星人・ケムール人)が一瞬姿を見せ、そして最終回(第39話)では最強の侵略兵器とでも言うべきゼットンが登場した。
“侵略宇宙人もの”である『ウルトラセブン』に到り、このシチュエーションは必然的に需要が高まり、侵略者たちの常套手段として登用されることとなる。ちなみにこの主従関係は、ウルトラセブンとカプセル怪獣という間柄からも見て取れるであろう。
侵略宇宙人とその手下怪獣ないしロボット。『ウルトラセブン』以降、急激に扱われることとなったこの方便はまた、ウルトラ戦士の危機を作り出すことにも大いに役立つこととなる。『ウルトラセブン』のキングジョー(第14・15話)やパンドン(第48・49話)、『帰ってきたウルトラマン』のブラックキング(第37・38話)などがその代表例として挙げられよう。頭脳明晰な宇宙人が、自信を持って地球に送り込む怪獣。当然これは、侵略宇宙人単体あるいは宇宙怪獣単体による地球襲撃より、一層頑健強固なものとしてイメージし易い。まさに、物語作りのための便利な「発明」と言えるのではなかろうか。
だがどうだろう。果たしてこの主従関係は、ウルトラシリーズにとってそれほど必要なものなのだろうか?何となればこの主と従が示唆するものは、絶対的服従によって保たれる秩序、それを旨とする「組織」的性格に思えてならないのだ。『仮面ライダー』におけるショッカーが好例で、首領→幹部→怪人→戦闘員という揺るぎない組織図は、物語の中で効果的に作用する。それはいかにもマンガ的で分かり易く、もちろんカッコいいアクションに重きを置く『仮面ライダー』のマンガ的世界だからこそ用い得る設定だ。しかし『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』などを、ひと言「マンガ的」と言って片付けてしまっていいのだろうか?
言うまでもなく、ウルトラシリーズの骨子は“怪獣もの”である。アクションに重きを置いた“ヒーローもの”ではない。少なくともシリーズの礎を築いた『ウルトラQ』・『ウルトラマン』・『ウルトラセブン』の3作品については、これが言えた。(『ウルトラセブン』は“侵略宇宙人もの”だが、その宇宙人の侵略理由など出自に重きを置いた点で、ヒーローではなく異者〔宇宙人・怪獣〕が主役であったと言える) そもそも「怪獣」とは、自然界の常識・秩序からはみ出た非常識・無秩序の象徴ではなかったか。そのアナーキーな権化である筈の「怪獣」が、高位な知的生命体によって操られること自体、“怪獣もの”の骨子を骨抜きにしていることにほかならない。これは『帰ってきたウルトラマン』以降のシリーズが、この主従パターンを重用したために却って“怪獣もの”としての魅力が半減し、“ヒーローもの”としての色合いを強めていったことが雄弁に物語っていよう。
また強力な怪獣ないしロボットを送り込む侵略宇宙人は、殆んど単体でやって来る。主従関係のある「組織」と言えども、これではもはや主人と番犬的規模だ。この辺の中途半端さも、シリーズ凋落に拍車をかけている。そもそも着ぐるみ製作にお金と時間がかかる特撮物において、組織を構成するような要員を作り出す余裕なんてはなから無理な話しなのだ。
曰く、怪獣は所属してはいけないのだ。どこにも誰にも縛られることなく、無秩序に行動してこそ「怪獣」の本懐なのである。
エレキングの生みの親は、チーフライターの金城哲夫だ。ちなみに金城は、『ウルトラセブン』第1話から第4話までの連続4話の脚本を手がけている。チーフライターの責務とは言え、ウルトラシリーズに対する情熱が急速に減退してゆく中(第1話「姿なき挑戦者」の項目参照)、この仕事量はどれだけ苦痛であったか測り知れない。
さて、宇宙怪獣であるエレキングは吾妻湖という湖に登場するのだが、これは金城が好んで使った「湖と宇宙竜」という題材をまさに体現している。『ウルトラマン』第1話「ウルトラ作戦第一号」における「竜ヶ森湖とベムラー」というシチュエーションも、金城の手による「湖と宇宙竜」だ。このほかに『ウルトラQ』のNG案「怪竜ウラー」が、『ウルトラマン』第10話「謎の恐竜基地」となり、そこに登場するエリ巻怪獣ジラースはネス湖のネッシーさながら北山湖に棲息する。金城脚本によるエレキング以降の「宇宙竜」としては、「湖」という要素こそ無いが、第11話「魔の山へ飛べ」に登場するまさに竜そのもののナースが挙げられよう。
このようにエレキングは、金城の趣向を成田亨デザインが具現化し、そして高山良策造形が実際に形にした、3人のコラボレーションが織り成す昭和の名怪獣であると言えるのだ。
エレキングがまだ幼魚態だった頃に、吾妻湖でこれを釣り上げてしまう釣り人がいる。この釣り人を演じたのは、金井大だ。もしこのときに美少女に化けたピット星人が助けに来なかったら、家に帰った釣り人によってその釣果が仲間たちに披瀝され、その奇態な姿について話に花が咲き、大怪獣エレキングの出現は叶わなかったであろう。夕飯の食卓にのぼったかもしれない。まさにエレキングの命運を左右し得た釣り人である。
吾妻湖より出現したばかりのエレキングは美麗な「白」が際立つが、セブンとの戦いに及んでは少し汚れた感じの「黄」のイメージとして印象に残る。これは、セットの湖に使用された着色剤によって、撮影中に着ぐるみが染まってしまったと考えられよう。
『ウルトラマンA』以降の超獣・怪獣については、時代の変遷とともに、その容貌に呼応して尻尾にまで派手な装飾が凝らされたりするのが常態となってゆく。もはや“特殊”だとか“印象的”だとかの枠を超越しているので、本項目では割愛させていただこう。
エレキングのシリーズを越えての活躍を敷衍してみよう。
ウルトラシリーズ以外、または
円谷作品以外での活躍へも
目を向けてみよう。
『ウルトラQ』の第2クールとして検討された「怪獣トーナメント」なるものには、ゴメスが再登場する『虹の卵』や、イーリアン島へ行ったゴローを日本へ連れ戻し宇宙怪獣と戦わせる企画があった。
「ウルトラセブン40周年」にあたる2007年に行われた『ウルトラセブン大賞』において、エレキングは「最も印象に残ったセブンの敵」として最優秀怪獣賞を獲得した。ちなみに大賞を獲ったのは、メトロン星人だ。キングジョーやガッツ星人、パンドンなどのいわゆる“強敵”をおさえての受賞は、エレキングという宇宙怪獣の衝撃を雄弁に物語っていると言えよう。
端役ながら、全てセリフがあるのが特徴的だ。
白い流麗なボディに黒い斑、
宇宙怪獣は湖より姿を現わす
衝撃的な特徴で、強烈な印象を残す
強力な尻尾は、怪獣の武器だ
成田・高山が愛した「牛」
牛か否か、エレキングの不思議な魅力
牛、ポインター、ウナギ、ウミウシ、
一体エレキングは...
「流麗 対 無骨」、
「二等辺三角形 対 逆三角形」、
「白 対 黒」
「絶対的対照」の意匠として対峙する二大怪獣
エレキングには顔が無い?
目が無いことが、エレキングの「顔」を
決定的に印象づける
回転ギミックのインパクト!
無比・無二を誇る、唯一の存在
シリーズを越えて活躍するエレキング
時を越えた「エレキング対ミクラス」
壮絶!エレキングの大怪獣バトル
エレキング、幻の活躍
怪獣同士の対決は、映画さながらの迫力だ
「白と赤」、色合いのコントラストで魅せる
「エレキング対セブン」
2大決戦が魅力の第3話
野長瀬監督が放つ「大怪獣もの」
侵略者の手先となる怪獣
「主」に忠実な「従」
怪獣は孤高でいてほしい
「宇宙竜」にこだわった金城哲夫