モロボシ・ダンが変身もしくは戦闘できない不測の事態にあるとき、ウインダムやアギラ同様ウルトラセブンに代わって侵略者や怪獣と戦うカプセル怪獣。出身であるM78星雲バッファロー星の名が示すとおり、バッファローに似た姿で頭部に大小二本ずつ合計四本の角を持つ。押し潰されたような顔面は、土着民などが被る仮面のようだ。屈強な体躯と逞しい四肢が繰り出す膂力は怪力無双を誇り、知能の低さをカバーしている。強敵・エレキング(第3話)に対して怯むことなく大激闘を展開、尻尾を掴んでぶん投げるという荒技を見せた。基本的には肉弾戦を主たる戦法とするが、ガンダー戦(第25話)においては口から赤い熱線を吐いて応戦する。主人であるセブンへの献身性が実に高く、猪突猛進型の怪獣だ。普段はダンが携行するカプセルに、ミクロ化され収納されている。
アフリカやアメリカ、オセアニアなどの原住民による芸術は、大胆な抽象性とその力強さで、ピカソやゴーギャンなどの芸術家を魅了し多大な影響を与えた。また日本における縄文美術も、その抽象性が特徴的である。このいわゆる「プリミティヴ・アート」に啓示を受けたウルトラ怪獣は多く、デザインを手がけた成田亨と実際に造形をした高山良策の、ふたりの前衛美術家が持つ強い志向性が窺い知れると言うものだ。
『ウルトラマン』に登場する怪獣を例にとれば、ギャンゴ(第11話)のトーテムポール風の模様、ドドンゴ(第12話)の火炎式土器のような装飾、ガヴァドンA(第15話)の著しい抽象性、ダダ(第28話)のアフリカ原住民の面を思わせる顔、ジェロニモン(第37話)の北米原住民のような羽根飾りなどが挙げられよう。また『ウルトラセブン』のザンパ星人(第35話)やフック星人(第47話)、ゴース星人(第48・49話)などは、成田の後を引き継ぐ形でデザインを手がけた池谷仙克と、日本の古代を憧憬した高山、2人の縄文造型への志向性が極めて強い。これらはまさに、怪獣の上に施されたプリミティヴ・アートの具現化だ。
そしてこのミクラスについても、それは言えるのである。身体こそバッファローではあるが、丸い目玉と押し潰されたような鼻、くわっと開いた口で構成される特徴的な顔は、明らかにインカの仮面を模したものだ。赤や緑で彩られた四本の角、顔の下に垂れ下がる大きな葉状の前掛けと、顔の横からはみ出たたてがみのような造作、これらは全てインカやマヤ、また南太平洋の島々の原住民芸術である仮面装飾からの着想と言えよう。(余談だが、ミクラスには何とまつ毛が植毛されている。映像作品で是非とも確認していただきたい)
同じく原住民の仮面を模したダダの顔があくまでも「人工的」な造作であるのに対して、ミクラスのそれは仮面を模した上に尚且つそこに「生物」としての息遣いを宿している。ダダは仮面のような表情の固さで見事「宇宙の知的生命体」の不気味さを顕現させ、またミクラスは表情の豊かさで「宇宙怪獣」の生命感を漲らせた。どちらも原住民の仮面芸術をルーツとし、そして登場する物語の意向を汲み取ってそれぞれ異なった形で誕生した怪獣と言えよう。ダダが「静」ならミクラスは「動」。「成田・高山ゴールデンコンビ」であったからこそ、成し得た妙味である。
横山光輝原作・『ジャイアントロボ』(1967年)のジャイアントロボは、その顔に古代エジプト文明に見られる意匠が施されている。スフィンクスやツタンカーメン王の黄金像の顔と、そしてジャイアントロボの顔の相似は誰でも知るところだ。(ちなみに『仮面ライダー』(1971年-1973年)に登場する地獄大使やエジプタスなんかも、この例である) 人智では測り知れない「摩訶不思議なパワー」を、悠久の時の向こう側にある「古代」という人智及ばぬ世界に託すという、原作者の創意工夫・意図が窺い知れよう。
プリミティヴ・アートにおける仮面などは、原住民には重要な意味合いを持つ祭などの特別な際に使われたもので、そこにはやはり「神の力」という人智を超越したものへの畏敬の念が込められている。ミクラスやダダなどにこの「神の力」の形象を施すということは、先に挙げたジャイアントロボの例と同じく、古代への馳思があるのかもしれない。
ミクラスのその「土着民芸術的な顔」もさることながら、バッファロー体型が見せる視覚効果にも注目してみよう。その稜線が実に雄弁なのだ。ミクラスを縁取るシルエットの印象が、正面から見たときと側面から見たときでは、まるで異なることに驚かされる。腕と足こそ太く逞しいものの、真正面から見ると真正直な長方形体型を呈す体型。だがひとたびサイドビューにまわると、俄然そこに武骨なバッファローが姿を現わすのだ。こんなにも長いのかと驚嘆させられる、顔から後頭部突端までの距離。そしてその頭頂から尻にかけて逆三角形を描く緩やかな稜線は、まさしくバッファローのそれであり、ミクラスの突進戦法に「なるほど」と合点がいくのである。
背面にかけた圧倒的な量は、寸断された臀部によって裏切られる。ミクラスには、この背中の稜線に続く尻尾が無い。この例としてはほかに同じ『ウルトラセブン』に登場するイカルス星人(第10話)が挙げられるが、ともあれ見るものは成田が仕掛けたその意外性に驚かされまた納得させられるのだ。 だが言うまでもなく、バッファローは四足歩行の動物だ。それを無理矢理に二足歩行型の生物に置き換えようとしたら、どこかに不自然さが出る。「怪獣」はあくまでも空想上の生き物であるから、この辺のところは仕方ないのかもしれない。だから怪獣には、モチーフとした動物の意匠を部分的に留めるものが多いのだ。
しかしミクラスには、四足歩行型動物が二足歩行生物に置き換えられたことで生じる「無理」が、まるで見受けられない。これはひとえに、極めて自然に且つ見た目の意外性を狙ってデザイン・造形されたバッファロー体型によるものだ。「もし二足歩行の野牛が居たらこうであろう」という、成田亨の妥協を許さぬ空想の具現化である。まさに「もし」が「本当」に換わる瞬間に慄然とさせられ、ウルトラ原体験のひとつとして構築されるのだ。
ミクラスのように、着想した生物の意匠のみならずその「体型」にまでこだわった成田怪獣が、前作『ウルトラマン』では多く受けられる。ベムラー(第1話)のひょろ長い体躯は、爬虫類そのものだ。アントラー(第7話)は昆虫型怪獣だが、背面の甲の造型によって着ぐるみの人型という不利を巧い具合にカヴァーしている。またガマクジラ(第14話)の隆起した背面にクジラ怪獣としての合点がゆき、グビラ(第24話)の著しく扁平した体型に熱帯魚のそれを、ギガス(第25話)のずんぐりした上半身にゴリラを見るであろう。
ミクラスと同じく「牛」をモチーフとしてデザインされたゴモラ(第26・27話)は、二足歩行で長い尻尾を持ち、牛の角を有するものの基本的には恐竜体型の怪獣だ。だが後頭部から背中にかけての丸みはまさしく牛のものであり、ミクラス同様その突進戦法に牛の姿を見ることが出来る。恐竜型体型に「牛」の体躯さえ兼ね備えたゴモラは、ある意味画期的な牛怪獣だ。成田・高山ともにモチーフとして、牛をよく好んで用いたと言う。ミクラスとゴモラ。無骨さと体型と突進と、両氏が牛に傾けた愛情の結晶である。
「怪獣」というものは、勿論空想上の生き物なのだが、ただ単に角や牙や爪や尻尾があり、恐ろしい形相で火を吐けばそれで良しというものでは決してない。成田は怪獣デザインにあたって、「怪獣はどこかに生きている形でなければならない」という提唱をしている。ミクラスの背中を走る稜線が、ベムラーの長い体躯が、グビラの扁平が、ゴモラの丸みを帯びた背中が、実にそれを体現しているではないか。
さて「大怪獣」の醍醐味のひとつとして、その巨体が挙げられる。自然界の常識から外れた膂力の誇示に、我々は魅了され沸騰するのだ。無骨で逞しい体躯を呈するミクラスはまさしくこれを体現するものであり、前述したとおり成田・高山コンビが愛した「牛」が大怪獣の巨体を表現するのに有効に働くことは言うまでもないだろう。その嚆矢である『ウルトラQ』のパゴス(第18話)をはじめ、前掲した『ウルトラマン』のゴモラ(第26・27話)などのパワフルな進撃は、その証左にほかならない。
もっともパゴスについては、東宝映画・『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(1965年)登場のバラゴンのボディを流用しているので、「牛」とは言い難いのかもしれない。だが牛に着想した頭部によって、俄然その巨体が「牛」として活きてくるのである。ちなみに、そのパゴスに更にまた頭部だけ挿げ替えた『ウルトラマン』のネロンガ(第3話)も、顔の無骨さから言ってまさに猛牛のそれだ。
そしていまひとつ忘れてならない牛怪獣は、ミクラスと戦ったエレキング(第3話)である。両目の代わりに生えた2本のアンテナ角と全身を覆うホルスタイン柄は、まさに「牛」に着想したと言えよう。だが エレキングについては、一概に「牛」とは言えぬ不思議な魅力に溢れている。そのことはエレキングの項目に詳しいので、参考にしていただきたい。
パゴス、ネロンガ、ゴモラ、エレキング、そしてミクラス。成田と高山が愛した牛。その巨体の躍動に、熱狂し血潮が躍るのである。それはさながら、スペインの闘牛に陶酔する観衆のようだ。
成田亨はミクラスのデザインにおいて、ある種の実験を行っている。緻密に計算された意匠が、ミクラスが対戦する怪獣との相互関係において、視覚的に効果をもたらすのだ。そう、ミクラスは先ず対戦相手ありきでデザインされた怪獣であると言っても過言ではないだろう。
側面から見れば「逆三角」を呈するミクラスが先ず戦ったのは、スマートな「二等辺三角形」の稜線を持つエレキング(第3話)である。三角と三角の対峙。片や武骨、片や流麗。黒対白。同じ「牛」をモチーフとした怪獣同士の戦いだが、そこには強烈な対比とコントラストがあり、それを見るものに圧倒的な印象を残すのだ。
そしてミクラスのふたつ目の対戦相手はガンダー(第25話)であり、この怪獣もまた完全な逆三角を呈する“三角形怪獣”である。色合いもミクラスの黒系に対して、ガンダーは白系である。三角対三角。そして黒対白。湖畔におけるエレキング戦同様、雪中におけるガンダー戦もまた印象深い。
これら二大対決は、脚本内容に沿った綿密な演出として意図とされたことは疑う余地もない。先ずエレキングの対戦相手としてミクラス、そしてミクラスが再登場する回にガンダー。優先されたのは、対比でありコントラストだ。「三角形」を怪獣の意匠として好んでよく用いた成田の、まさに視覚的効果を狙った実験である。
殊に雪中のガンダー戦に対して昼間の明るさの中繰り広げられるエレキング戦の衝撃は突出しており、ウルトラシリーズにおける怪獣同士の戦いの中では他の追従を赦さない。吾妻湖におけるあの激突を、ファンならずとも記憶に留めているということがそれを雄弁に物語っている。
この他の例はどうか?確かに『帰ってきたウルトラマン』の「グドン対ツインテール」戦(第5・6話)も、強烈な印象を残す。だがこの対決については、いささか勘違いがあると言えよう。両怪獣の間にウルトラマンを挟んだその構図こそ印象に残るのであり、夕景の中に高揚する危機感もまた巧い具合に作用しているのだ。グドンとツインテールの戦い自体に迫力はあるものの、それは視覚的効果とはまた次元の違う魅力なのである。また『ウルトラマン』における「アボラス対バニラ」戦(第18話)も「青対赤」という色合い的なコントラストはあって、ある程度は印象に残る対決だ。しかしシルエットの完全な対比と、色合いの完全なコントラストが織り成す「ミクラス対エレキング」戦には及ばず、この「完璧なる対峙」は依然として孤高を誇っているのである。
間違いなくウルトラ原体験のひとつとして挙げられる「ミクラス対エレキング」。ふたりの前衛美術家が仕掛けた対峙は、向後時を経ても色褪せないであろう。
ミクラスを演じたのは、第3話では西京利彦であり、第25話では山村哲夫だ。同じカプセル怪獣ウインダムやアギラ同様に、登場する回によって着ぐるみ演者が異なる。しかしながらミクラスの過剰に無骨な体型からか、両者の動きにさほど差は認められない。それもまたミクラスの特徴だ。
西京が演じた『ウルトラセブン』怪獣はほかに、ゴドラ星人(第4話)とダンカン(第34話)を挙げるばかりだ。その体型からダンカンとミクラスは繋がるが、奸計を弄する狡猾なゴドラ星人のイメージはまた違ったテイストである。西京の演技の幅の広さと言えよう。尚、第39話に西京のクレジットが認められるが、それがアロンを演じたものなのか、はたまた同じカプセル怪獣ウインダムを演じたものなのかは定かではない。(第39話でガッツ星人を演じたのは、池島美樹と推測される)
対して山村が演じたセブン怪獣は、巨大化したプロテ星人(第29話)やダリー(第31話)、ペガ星人(第36話)、そしてカプセル怪獣アギラ(第46話)である。直立のプロテ星人やペガ星人、四つん這いのダリーや前傾姿勢のアギラ。これらもまたミクラスとは違った印象だ。
怪獣と宇宙人。その両者が登場する『ウルトラセブン』において、誰がどれを演じたのかは専らクレジットに頼るばかりだ。それが無い場合、その演技によって誰が何を演じたかを判断することは極めて難しいと思われる。
さて、インカの仮面を模した顔を持つミクラスだが、まん丸の目とブタ鼻、そしてピンク色のクチビルが呈するのは何よりも“愛嬌”である。主人であるセブンに忠実なミクラスは、勇猛果敢に戦う態度とともに、その顔つきでも健気な献身を示すのだ。
そしてこの愛らしい“忠犬”は、シリーズを飛び越えて活躍する。ビデオシリーズの『ウルトラセブン 1999最終章6部作』(1999年)ではウインダムとともに、そして2006年の『ウルトラマンメビウス』ではマケット怪獣として登場し、その人気者振りを示した。尚、映画『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』(1997年)に登場するZカプセル怪獣ミラクロンもまた、ミクラスを元にした新怪獣であることは明らかであり、シリーズを飛び越えた活躍と言えよう。
中でも特筆すべきは、『ウルトラマンメビウス』における活躍だ。“マケット怪獣”として人類の味方をするミクラスは、攻撃能力として電撃技を附加される。その際にエレキングのデータを入力されるが、39年前の苦い敗戦経験(『ウルトラセブン』第3話)がトラウマとなっておりこれを拒否、結局 エレキング以外の電撃怪獣すなわちネロンガ(『ウルトラマン』第3話)とエレドータス(『帰ってきたウルトラマン』第15話)のデータだけ受け付けるという経緯が描かれるのだ。言うまでもなく昭和のウルトラに熱狂したファンへ向けた心憎い演出であるとともに、その根強さにも驚かされよう。
前述したようにミクラスの活躍は時代を超越し引き継がれるが、『ウルトラセブン』自体における登場は僅か2回を数えるばかりだ。尻尾をつかんでエレキングをぶん投げた怪力技一辺倒のイメージが強いが、ガンダー戦では口から熱線を噴射している。第1話に登場したウインダムより後の登場となるが、怪獣同士の対決を見せつけたミクラスの方がより鮮烈なインパクトを放つ。以下にミクラスのその2回の戦歴を敷衍してみよう。
ちなみに、怪獣同士の戦いによって善悪の関係を明確にするというこの勘案は、実は『ウルトラQ』の第2クール以降に予定されていた“怪獣トーナメント”なるものの名残りである。『ウルトラQ』では制作されなかったこの企画が、『ウルトラマン』を経て『ウルトラセブン』で実現を見たということだ。怪獣の中にも人類やウルトラヒーローに味方するものがいるという善玉怪獣の抗弁として、“カプセル怪獣”は実に優れた発明なのである。
「ミクラス」の名の由来だが、ミクラスが野牛をモチーフとしているところから、ギリシア神話に登場する半人半牛の怪物「ミノタウロス」だと考えるのが妥当ではなかろうか。
仮面装飾やトーテムポールなどの原始美術は、それぞれの民族の古代信仰に由来している。南米に繁栄した古代文明(インカ・マヤ・アステカなど)の古代美術。また北米原住民による色彩鮮やかな装飾。そして現在も息づくミクロネシアやポリネシアの島々、アフリカ大陸に見られる土着民芸術。
吠えろ!かませ犬。ウルトラヒーロー登場までの前哨戦。場をつなげ!持ちこたえろ!何なら怪獣を倒してしまえ!