「全宇宙の征服者」を自任する侵略宇宙人。団扇エビに似た醜怪な姿を持つ。地球征服を目論み宇宙船団による襲撃を画策。地球への進入路確保のために、地球防衛軍極東基地の超遠距離レーダー破壊を計画し、その工作員として「地球の頭脳」と呼ばれるユシマ博士を利用する。博士を乗せて南極の科学センターから極東基地へ向かう超音速ジェット旅客機・SSTに時間停止光線を浴びせ、その間に彼に「ビラ星人の心」を植え付けて、自在に操れる侵略の手先とした。そして博士自ら開発し持参した防衛軍のレーダー機能を4倍にも向上させる“ユシマ・ダイオード”に細工を施し、それを基地に取り付けさせることによってまんまとレーダー破壊に成功する。予め要注意を促しておいたモロボシ・ダン、すなわちウルトラセブンへ疑惑の目を向けさせ監禁状態に陥れるという、知略に長けた宇宙人だ。レーダー破壊によって宇宙船団は地球進入を易々と果たすが、ウルトラ警備隊との交戦によって尽く駆逐された。更に巨大化した個体も、セブンのアイスラッガーの前に敗れ去る。武器は胸から放つ光線と、エビ反りの瞬発力を活かしたキックだ。また心を移植することによって催眠能力を発揮、相手を自在に操る。更には「時間停止光線」を発し、万物の活動の隙に分け入ることが可能だ。
ビラ星人は、本邦における「吊りモンスター」の最高峰である。「吊りモンスター」とはつまり、ピアノ線やテグスで吊られ、外部から操演されることによって動くタイプの怪獣だ。したがって怪獣の大半を占める「着ぐるみ」タイプのように、中に人が入る必要が無く、よってその形状も奔放さに富む。
この先人の白眉としては、東宝のキングギドラ(『三大怪獣 地球最大の決戦』1964年)が挙げられる。もっともキングギドラは中に人が入る「着ぐるみモンスター」なのだが、竜のように長い三つ首と大きな翼、そして二又に分かれた尻尾の躍動は、もちろん“吊り芸”によるものだ。
これに対してビラ星人は、中に人が入らない「完全な吊りモンスター」である。番組方針として「侵略宇宙人もの」を打ち立てた『ウルトラセブン』ではこのように、自由な形状の宇宙生物が意図的に作られた。この点こそ、「中に人が入る」ことを前提とした「着ぐるみ怪獣」登場が基本の前作・『ウルトラマン』との差異である。ビラ星人のほかに、クール星人(第1話)やチブル星人(第9話)、そしてナース(第11話)などは、実存する地球上の生物が有する形態概念からの解放を体現するものだ。
ビラ星人のデザインを手がけたのは、前衛美術家の成田亨である。『ウルトラQ』の頃より数多くの怪獣を創造してきた成田は、それが空想上の産物であるにも関わらず、現実と空想の境界を突き崩すような生物としてのリアリティを発信し続け、見るものに畏怖の体験を提供してきた。「既存の生物の安易な巨大化はやらない」。怪獣デザインにあたってこう提唱した成田は、一部あるいは全体に元となる生物のモチーフ性を際立たせておきながら、そこにシュルレアリスムの先鋭的な技法(たとえば無機物とのハイブリットや異なる二種以上の生物の融合など)を施すことによって、誰もが知るカネゴンやバルタン星人などの傑作怪獣を生み出して来たのだ。
前衛芸術の基本原理のひとつに、“オートマティスム”なるものがある。「気の趣くままに描く」その意図は、無意識に根ざす想像力の解放だ。自動表記よってたとえば前述のハイブリットが為され、異なる文脈に存在する二つ以上の事象を強制的に一元化する際に派生する「唐突さ」が現出する。この「唐突さ」に直面することによって描き手は、無意識の痕跡を攻撃的に意識の前面に引きずり出そうと目論むのだ。我々がウルトラ怪獣の「現実には有り得ない」姿を目の前にしたときに、しかしそこに「有り得べき」姿を見るのは、発信者によるこうした試みを投影として見ているからなのである。
前述で「吊りモンスターの最高峰」と賞したビラ星人は、団扇エビがモチーフだ。「エビモンスター」の先人としては、東宝のエビラ(『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』1966年)がいる。だがエビラは、当時の東宝怪獣の多くがそうであるように、「怪獣」としての意匠が凝らされていない。言ってしまえば、単なる「巨大エビ」だ。エビラとビラ星人を、是非とも見比べてほしい。エビそのものを体現するエビラと、エビの形態から大きく逸脱したビラ星人。コンサバとプログレ。エビラは当然であるとしても、ビラ星人がそれでもなおエビとして許容されること自体に慄然としよう。
団扇エビをモチーフとした“宇宙生物”。ビラ星人は「環境が大きく異なる他天体であれば、ひょっとしたら有り得る生物形態」と思わせるような、極めて強い説得力を発している。成田亨によるシュルレアリスムの実験がまさに円熟の域に達したこともあるのだろうが、前述したように「吊りモンスター」の創造を可能にした『ウルトラセブン』の作品性による功績も大きい。まさにウルトラ怪獣の新境地だ。もし「中に人が入る」着ぐるみタイプのビラ星人であったら、このような宇宙エビ人間の創造は果たせなかったであろう。
『ウルトラセブン』という新たな開墾地に鍬を振り下ろした成田は、一方ではビラ星人のように具象性を備えた宇宙人や怪獣を創造し、また一方ではアブストラクトに富むペガッサ星人(第6話)などを陸続と生み出してゆく。それはひとりの前衛美術家の魂、その飛翔のさまを見る思いだ。
ビラ星人の操演モデルを実際に造形したのは、高山良策である。成田亨のデザインを元に、生物としてのリアリティを現実化した仕事振りには驚嘆させられよう。我々はテレビ画面の中に、生きている宇宙エビの躍動を見る。
緩やかなS字を描く細長い体躯に施された松毬のレイヤード。その過剰さと精緻な細工は、甲殻綱長尾類すなわちエビが持つ蛇腹状の下腹、その屈伸のさまを顕現させている。後頭部にはやはりエビの腹を思わせる細工が施されているが、それとはまた異なる趣向と言えよう。堅い外骨格に覆われながらも柔軟な屈曲を呈するビラ星人は、まさに宇宙エビの有り得べき姿だ。
この“過剰な折り重なり合い”を見せるテクスチャーの前例として、我々は既にレッドキング(『ウルトラマン』第8話)と出遇っている。だがレッドキングの場合は、ビラ星人の松毬の折り重なりとは対照的だ。大小のブロックがグラデーション状に連なることで構成しているのは、レッドキングの頑健極まりない身体である。柔軟と堅牢。精緻な細工によっていずれにも為し得る手腕は、特筆すべきであろう。
次にビラ星人の顔に目を向けてみよう。扁平な顔面の中央部には8本の触手が4本ずつ縦2列に並び、これによって目と口の間が大きく開く。奸計を弄するずる賢いビラ星人だが、顔面中央を占める縦長の触手基部によって形成された顔つきは、ともすれば“頓狂”とも取られかねない。ウルトラ怪獣が「どこか憎めない」と賞される所以は、まさにこういった作為にある。
そして触手。尾部の脚とともに、「動く」ことを前提として配された触手は、まさに節足動物の質感だ。とても作り物とは思えない。ひょろ長い体躯の上部と下部に施された触手と脚は、無論デザインの時点で成田亨が意図的に仕掛けている。劇中において醜怪に蠢くそのさまは、実に効果的だ。全身の大きな動きと、触手および脚の細やかな動き。この「動きのコントラスト」も、宇宙エビを実在し得る生物ならしめる要素だ。
またビラ星人のその色合いに刮目してみよう。橙色や朱色、ピンク色で構成された体色は、全く以ってボイルされたロブスターと言うほかない。驚くべきことにビラ星人の姿からは、そのエビ味さえ感じられる。ビラ星人を見て、かっぱえびせんなどの味わいをその舌に感じたものは、多いのではなかろうか?
しかしながら空想上のクリーチャーを見て「エビの味」がするなど、なかなか出来る体験ではない。そういった意味においてビラ星人は、“食材怪獣”とも言うべき稀有な例と言えよう。このあたりは実に私見なのだが、ついでに言えば『仮面ライダー』に登場するカニバブラー(第19話)でも、同感覚を覚えるものである。エビやカニなど、どうやら甲殻類の味わいは、見た目に直結し易いということであろうか。ちなみに怪獣における「味の体験」については、『帰ってきたウルトラマン』のツインテール(第5・6話)が有名だ。昭和当時の怪獣図鑑で記された「食べるとエビの味がする」などという文言によるものだが、怪獣の味についておそらくは初めて言及した衝撃は列島を駆けめぐり、当時の子どもたちの間に瞬く間に流布した。だがそれは、飽くまでも出版社側の勝手な言い分だ。なるほど確かにツインテールの柔軟な身体は、エビの下腹を髣髴とさせる。しかし劇中に見るツインテールは砂埃にまみれ、とても海産物の味がするようには思えないのだが、いかがだろう?
松毬の重なり合い、頓狂な表情、触手と脚の質感および蠢き、色、そして味。以上が、“宇宙エビ人間”を構成している要素だ。成田亨による先鋭的なデザインも、高山良策の造型あってこその、生物感が迸る具現化である。まさに「成田・高山ゴールデンコンビ」と賞される所以だ。
そして今ひとつ、忘れてならないのが機電を担当した倉方茂雄の功績だ。アイデアマンである倉方は、機材や技術に乏しかった当時にあって、独自の開発により様々な機電効果を作り上げた。それらはダイオードなどを使った電飾の明滅であったり、駆動装置を仕込んだギミックであったりと、様々な「命づけ」作業である。ウルトラマンのカラータイマーやバルタン星人の発光しながら回転する目玉、ギャンゴの回転耳やグビラのドリル、エレキングの回転角、メトロン星人の派手な電飾など、印象深い機電効果の枚挙にはいとまがない。
ビラ星人に施された特筆すべき機電は、触手の駆動にある。顔面中央に据えられた触手は、一本一本が独立した動きをするという凝りようだ。ビラ星人の醜怪極まりない姿は、まさにあの「動き」とともにある。駆動というギミックにおいては、このビラ星人こそが倉方による傑作と言えよう。中に人が入らないビラ星人は、テグスによる「吊り」と機電による「駆動」によって初めて動き出す。倉方不在では、我々が知る“宇宙エビ人間”の姿は無かったのだ。
成田亨が創造した生命に高山良策が肉付けをし、そして魂を吹き込んだのが倉方茂雄である。作り上げられたディテールだけでは、怪獣は動かないのだ。まさに「画竜点晴を欠く」である。そういった意味合いにおいて特にビラ星人などの「吊りモンスター」については、「成田・高山のゴールデンコンビ」ならぬ「成田・高山・倉方のゴールデントリオ」によって息づいた生命と言えよう。
さて本エピソードではもうひとつ、前衛美術の見地から言及しておくべきものが、ビラ星人のほかにある。それは、劇中のクライマックスにおいてウルトラホークとの空中戦を展開する、ビラ星人の宇宙船団だ。
複数の機体が連なったさまは、まるで分子モデルのようである。三角形と円で構成された各単体は、幾何学的な細胞といった趣きだ。これが15個連なり船団を構成、ひとつの意思を共有する群体生物さながら地球進入を果たす。攻撃時には、7個の中央部と4個ずつの左右に分離するという凝った作りだ。また第6話に登場する“宇宙空間都市・ペガッサ”に、この類似を見る。
『ウルトラセブン』放映のおよそ3年後、大阪では本邦初の万国博覧会が開催された。いわゆる“大阪万博”だ。前衛芸術と映像技術の総決算とも言うべきこの万博は、個性豊かなパビリオンの数々がまた話題となった。ビラ星人の宇宙船団やペガッサ星人の宇宙空間都市に、近未来的なパビリオンで埋め尽くされた万博会場の壮観さを見る思いである。
「全宇宙の征服者」を自ら名乗り、「上から」の物言いでユシマ博士に指令を下すビラ星人。声を担当したのは、辻村真人だ。劇中での小憎らしい喋り方が、印象的である。
辻村はほかに、ペガ星人(第36話)の声をあてた。面白いことに、ビラ星人もペガ星人も地球侵略ルート確保のために地球人を操り使役している。卑怯者肌の声といったところであろうか。
辻村のウルトラ・シリーズでの活躍は、特に『ウルトラマンA』に集中する。第13話「死刑!ウルトラ五兄弟」では、エースキラーによって磔にされるウルトラマンの声を、第15話「黒い蟹の呪い」では少年に語りかけるカブトガニの声、そして第25話「ピラミッドは超獣の巣だ!」ではオリオン星人の声を担当した。特筆すべきは第15話のカブトガニで、ビラ星人以来の甲殻類の吹き替えとなる。第50話「東京大混乱!狂った信号」では、声優ではなく警官役として出演していることも付記しておこう。
辻村の声優としての活躍は、アニメーション作品に多い。また『仮面ライダー』シリーズにおいて、カマキリ男(第5話)をはじめ数多くの怪人の声を演じたことでも有名だ。
本編冒頭に登場する、超音速旅客機SSTの機長役を演じたのは緒方燐作という役者だ。緒方はこのほかに『ウルトラQ』第27話「206便消滅す」の中で、中村副操縦士役を演じている。時を経て、副操縦士から機長へと昇格しているのが微笑ましい。また『ウルトラマン』第27話「怪獣殿下(後編)」では、治少年を大阪城へ連れてゆく警官・吉村役を演じた。パイロットと警官、制服系の役に縁があるようだ。ほかには『帰ってきたウルトラマン』第11話「毒ガス怪獣出現」における人夫役が挙げられるが、緒方のそもそもの活躍の場は主に東宝の怪獣映画である。
その緒方演じる機長と、山本耕一演じるユシマ博士のやり取りがまた面白い。「地球の頭脳」である博士を乗せた緊張のフライトを、「メガトン級の水爆を腹いっぱいに詰め込んでいるようでした」と表現する機長に対し、「水爆ですか?ぼかぁ」と応えるユシマ。「メガトン級の水爆」と「ぼかぁ」に、昭和という時代を感じる。
さて前述したとおりビラ星人は“吊りモンスター”であるのだが、本エピソードはその“吊られモンスター”に人間が操られるという物語だ。この皮肉の効いた妙味が面白い。高度に発達した知能に反比例して、極めて頼り無さげなひょろひょろとした体躯。安定した肉体を持つ他天体の生物を自在に操れる能力は、おそらく進化の過程でビラ星人に備わったのであろう。そういった想像を働かせることの出来る物語性と、これを考慮したビラ星人のデザインに、改めて感心させられるものだ。
“侵略宇宙人もの”を謳う『ウルトラセブン』では、様々な宇宙人が地球侵略のためにありとあらゆる策略をめぐらす。中でも「我々人類を利用する」という手段は最もポピュラーなものであり、変身能力を駆使した方法と並んで多用された。いずれにせよその目的は、防衛軍基地潜入と内部からの破壊工作である。ゴドラ星人(第4話)は変身能力を活かし基地の原子炉を爆破しようと画策、また催眠能力を持つビラ星人は内部要人であるユシマ博士を操りレーダー破壊を果たした。
ビラ星人に利用されたユシマ博士は、“地球の頭脳”と称され、周囲の信頼に篤い。侵略者はその「信頼」につけ込んだのだ。ビラ星人のように人間を操った例としては、第36話に登場したペガ星人が挙げられる。ペガ星人は射撃の名手であるヒロタの功名心を巧みに利用し、侵略に邪魔な要人暗殺を図った。侵略者は、我々人類の心に巧妙且つ抜け目なく分け入って来るのである。
催眠状態に陥り「操り人形」と化した人間は、人柄が変わったように冷徹になり、覇気と生気を著しく欠いたそのさまが不気味だ。「ビラ星人の心」を植え付けられたユシマ博士は、その直前には機長と冗談を言い合うような人柄であったが、レーダー破壊を遂行しダンまで陥れる卑劣漢に変貌する。まさにビラ星人の思うがままの傀儡であり、さながら我が子・飛雄馬を打倒するために星一徹の「操り人形」にさせられたアームストロング・オズマのようだ。
我知らず侵略者に操られる。このシチュエーションが実に怖い。侵略行為は身近な「人」の姿で、且つ「人知れず」進行しているのである。「隣りの侵略者」。『ウルトラセブン』の素晴らしいSF世界は、日常の目線で展開されるスリリングさにあるのだ。
本エピソードの脚本を書いたのは、菅野昭彦である。菅野脚本のウルトラ・シリーズ作品は、唯一これのみだ。何人かのライターによるローテーションが組まれた番組制作体制にあって、この例は珍しい。
これが『ウルトラQ』のように、アンソロジー形式のSFドラマといった体裁ならまだ分かる。それぞれの作家個性が露出して然るべきだから。だが確固たる番組方針が確立された『ウルトラマン』以降の作品世界では、唯一回きりの脚本執筆はあまり類を見ない。
『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』について菅野以外の例を挙げてみれば、関沢新一(『ウルトラマン』第1話「ウルトラ作戦第一号」のみ執筆)と宮田達男(『ウルトラマン』第11話「宇宙から来た暴れん坊」のみ執筆)、そして赤井鬼介(『ウルトラセブン』第21話「海底基地を追え」のみ執筆)と、極々僅かである。尚、関沢は金城哲夫の師匠であり「ウルトラ作戦第一号」は金城との共著であるから、この例から外すのが妥当だ。その他の菅野や宮田、赤井などは、円谷にとって外様と言えよう。
この外様という性格が原因してか、実はビラ星人の物語には致命的とも言うべき設定ミスがある。それはタイトルにも「消された時間」と銘打たれた、“時間停止光線”なる能力だ。これはビラ星人の高度に発達したテクノロジーの産物なのか、はたまた彼ら自体に備わっている能力なのかは、劇中では明言されていない。しかしいずれにせよ、この「時間を止める」能力は多分に問題を孕んでいるのだ。
なるほど時間を自在に止めることが可能ならば、それは侵略宇宙人の有効な武器となり、我々人類を脅かす絶対的脅威となろう。だがこの「時間を自在に操る」能力は極めてデリケートな性質を持ち、使い方次第では陳腐な「魔法」に堕しかねない。そもそも時間を好き勝手に止められるならば、ユシマ博士を狙う必要も無く、易々と宇宙船団を地球に招じ入れることができ、よって地球征服も容易かろう。劇中ではそう長く時間を止めておける訳ではなさそうだが、「時間が止まる」という観念に長いも短いもへったくれも無い。大体時間が停止している間、ビラ星人自身は一体どういう理屈の上で動けるのだろうか。破綻を考え出したらキリが無い。「時間を止める」こと自体が、この物語の根幹を揺るがせているのだ。
たとえばダイダラホーシ(『ウルトラマンA』第46話)やチャリジャ(『ウルトラマンティガ』第49話)、またクロノーム(『ウルトラマンメビウス』第23話)などは、タイムスリップが絡んだファンタジー性に富む物語に登場する。この中で怪獣たちは時空を行き来はするが、時間を自在に操る訳ではない。「時間」を扱うストーリーについては、「タイムスリップ」がせいぜい許容される範囲だ。“魔法もの”でなければ、「時間を止める」ことなどは、悪と戦うシリアスなSFドラマにおいてはそもそも無理がある。成立し得ないのだ。「何でも有り」のあのブルトン(『ウルトラマン』第17話)でさえ、時間を操っていないではないか。
だがそれでも本エピソードにおける“時間停止光線”がさほど気にならないのは、『ウルトラセブン』という確固たる作品性が「魔法」を糊塗したのであろう。上記の宮田達男が書いたギャンゴや赤井鬼介のアイアンロックスなどは、怪獣としてのインパクトは良い具合に作用しているが、その設定だけ鑑みれば実は突拍子もない。それこそ作品世界を破壊しかねないパワーを持つ。しかし“時間停止光線”なる「魔法」同様に、これらギャンゴやアイアンロックスが巧くウルトラの作品世界に溶け込んでいるのは、ひとえにメインライターである金城哲夫が打ち立てたウルトラの世界観、その懐の深さ故である。
ビラ星人は地球侵略のために、先ずはその障害となる防衛軍のレーダー破壊を企む。そのためにユシマ博士を利用したり、更に強敵・ウルトラセブンを押さえ込む周到な策略を練り上げた。地球防衛軍攻略のためのこの策士振りは、前話登場のゴドラ星人にも見られ、『ウルトラセブン』という世界が如何に「善(地球人)対悪(宇宙人)」という構図によって成り立っているかを際立たせるものである。
前作『ウルトラマン』に登場する怪獣たちは、「ままならぬ」事情によって出現し排除されるというケースが多かった。だが『ウルトラセブン』に登場する宇宙人たちの事情は、その殆んどが徹底して「地球侵略」である。地球側の「正義」の名のもとに排撃される宇宙人たちは、初めからウルトラセブンやウルトラ警備隊の勇壮な活躍によって倒されることを前提とした「斬られ役」だ。このことは、玩具などのキャラクター商品展開を充て込んだ、番組の制作方針そのものに直結する。地球に来る宇宙人たちは、ウルトラセブンやウルトラ警備隊が「かっこよく」活躍するための、言わば“必要悪”なのだ。
「地球侵略」が目的の徹底した「悪」に対しては、徹底した「正義」の履行を持って迎え討つ。この“地球ナショナリズム”とも言うべき番組方針は、チーフライターである金城哲夫にとって「不本意」が表出する形となった。しかし一方で『ウルトラセブン』の世界は、「勧善懲悪」が見せる悪党討伐劇によって、見るものに高揚感と爽快感を伴わせたのも事実だ。
本エピソードのクライマックス、空ではウルトラホークと宇宙船団の空中戦が、そして地上ではウルトラセブンとビラ星人の緊張感溢れる対決が繰り広げられる。立体的に展開する決戦シーンは、ダイナミックな演出センスが光る円谷一監督によるものであり、無論最大の見せ場であることは言うまでもない。
「ビラ星人」の名前だが、いつの頃からか「ヴィラ星人」という表記が一般化した。そもそもシナリオの中では「ヴィラ星人」と表記されるのでそちらが由緒正しいのであろうが、「ベトナム」を「ヴェトナム」と表記する昨今の風潮と似た居心地の悪さと卦体糞の悪さを感じる。そもそも「ビラ星人」の「ビ」は「エビ」の「ビ」であり、決して「V」を示す「ヴ」ではない筈だ。宇宙時代を想定した作品性と作家たちのインテリジェンスを感じるが、昭和当時の児童書などで慣れしたんだ「ビラ星人」の方に俄然愛着が沸く。ここでは、「ヴ」の音を名前に持つウルトラ怪獣を挙げてみた。
時間停止光線を放つビラ星人は、ウルトラセブンのストップ光線によって逆に動きを止められてしまう。セブンの光線は相手の細胞を麻痺させる効力があるものであって、決して時間を止める訳ではない。時間停止能力を持つものが、麻痺によって硬直するというシチュエーションが面白い。