宇宙怪獣  ベムラー




『ウルトラマン』 第1話
「ウルトラ作戦第一号」

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『DGウルトラマン』 シリーズ 1
バンダイ 2009年


 “デジタル新技術”の導入を大上段に振り翳し、2009年は雷乃収声の候、9月の終わり、遂に初お目見えと相成った新機軸・“DG”、即ち「デジタル・グレード」シリーズ。その旗揚げの第1弾に、人気者のバルタン星人レッドキングと並んで、ベムラーも堂々の陣容参画を果たす。これの前身に当たるHGシリーズにおいて、ベムラーがラインナップされたのは1998年。(当頁下段参照) なので、デフォルマシオン性の無い、オリジナルに忠実な造型・彩色を以ってしたカプセル・トイ物としては、実に11年振りの顔見せという事になる。

 記念すべきウルトラマン怪獣第一号であるにも関わらず、俗受けの度合いは左程揮わぬベムラー。空想逞しゅうして当為の“怪獣”にして、当たり前過ぎる容姿は見端のインパクトを大いに欠き、よってどうしたってバルタンらに引けを取ってしまう、言ってしまえば凡庸、地味。それでもこの新商品の第1弾に、強いて衆望薄き第一号怪獣を抽抜し押し通すメーカー側の胸中には、拘泥りと愛情は勿論だが、何より気軽な一般客を見込まぬある種の矜恃めいた目算が有ったのだろう。そう踏ん切らせたのは、恐らくは1回300円という採算ではなかったか。要するにコアな好事家でなければ、高々が“ガチャガチャ”1回と胃臓満たす畜肉丼飯並盛一杯とが、とてもじゃないが引き合わないのである。んじゃ、ま、いっかー、好き者だけでー、取り敢えず、ってな塩梅で。

 尤も発売期の2009年9月は、その3ヶ月後に、映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』の公開を控えた時候。我らがベムラーの出演も折から既に決定・発表が為されており、遵って商品化への登用は需要動向を顧慮すれば穏当、まあしてみれば好機、僥倖でもあったのだ。そんなこんなの諸事情が相俟って、「ウルトラマンを地球へと導いた(?)」宇宙の兇状持ちは、デジタル技術の本領を示威する為の試金石となったのである。

 では、而してデジタライズされたベムラーだが。兎も角も目を奪われるのは、精緻窮まる造型であろう。最早それは“至芸”の域、余りにも「緩さ」が際立ったHG版との比較・精査を俟たず、何も彼もが違う、違い過ぎる!恰も(テレビの)アナログ放送がデジタル放送へと移行したように、まるで自身が今迄目癈だったのかと気付かされる程合いに、蛹から成体へと変転を遂げる昆虫のメタモルフォシスにも似た...。斯くて開眼の体験に身は打ち震え、そして心は慄くのであった。僅かプラス100円也で、果たしてこれを享受して宜しいのかなぁ...と。「いや300円なんだからトーゼン」なんて、長年に亘る200円という価格設定に、己が感覚の麻痺を省みたりなんかしたりして。一方で「まんまとやってこましてくれたね、バンダイ君は」と、何やら背徳めいた善からぬ愉悦に浸りつつも...。

 さて。悪フザケも度を越した処で、過褒は了い。ここで傑出した造型の真正、具体像に迫ってみよう。

 先ずはベムラーを表徴する背面、びっしりと過密立錐した(ワニで言えば)鱗板、つまりトゲトゲだが。成る程従来のガシャトイでは、成し得なかった鋭利さだ。“デジタル”ならではの技巧か?掌中に収めて指を這わせれば、んまぁ~刺さる刺さる!この小癪な撥ねっ返りに、又候愛玩の情も増すというもの。我が手中で聢と息衝いとるな、此奴め、っつて。トゲひとつびとつの大きさ、及び配列に整然たる秩序は無く、遵って意想外な箇所にて、偶さか突出した尖頭に為て遣られるカオスっぷりもまた是し。アナーキーの面目躍如だ。

 次に、着ぐるみの“ダブつき”によって撓曲撓屈する、下腹部外皮の縒れ具合。その言祝ぐべき再現の精度!右に左に鬩ぎ合い、葛折れる哉、羊腸の山路。ブルータス像(ミケランジェロ・作)の張り出した胸板を被覆する、ヒマティオンの纏繞さながらに。“着ぐるみ”とか“ダブつき”とか、動もすれば揚げ足取りに堕すやも知れぬ不粋。何となれば、「中に人が入っている」楽屋裏を暴いてしまうよな剔抉に他ならないのだから。然し乍らそういった胡散臭さ、安普請の様子を、敢えて有り体に晒させてこそ、“昭和”なる時間が息衝くのも確かだ。歩を進める度、逐一「グニャ」と撓む覚束無さに、昭和生まれの脳漿は沸騰するのである。

 更に。その「グニャグニャ」な上皮に乗っかる鱗柄模様、紆余するパターンの何たる美しさ!風光明媚、花鳥風月、壮麗な奇観の完遂。例えるならそう、地の畝りに素直に沿い従う田畑の絶勝か。全く以って圧巻。いや、筆舌に尽くし難し候。そして、巧緻窮まる角鱗ひとつびとつの造作、表情を見よ。熟練工が丁寧に敷き詰めた平瓦やタイル板宜しく、一葉一葉が自己主張する健気、可憐しさ。一様な菱形で統べられたHG版の紋切的なそれとは、明らかに一線を画す“機微有るデジタル”の拵えだ。起伏に付き従い捩れたり角張ったり、あっちを向いてはそっぽを向くそれぞれの色、即ちパーソナリティ。一枚とて等しい物は無く、しかしある種の統一思念を煥発させる魚群が如く、捻転し波打ち、まさに個々は外気に向かって息差すのである。

 画竜点睛。仕上げは、“人形の命”なる顔。鯒(こち)だか鰧(おこぜ)だかをモチーフにしたと云われる、不貞不貞しさも露わな千枚張りの面の皮。気持ち右へ傾がせた俯き加減が、身構えと共にまた面構えの不敵さを強調。作り手の洗練された演出センスが赫灼、それもこれも磐石な造型力の地金あってこそ。何れの方位からの賞玩にも持ち堪える、八面玲瓏な構築。中でも頤を上下にパーツ分割し、“口腔”としての空間を穿たせた配慮が嬉しい。どうかすると自身の舌を、ブチッと噛み切ってしまいそうな物語りもステキだ。矮小だが力強く突き出た円らな眼球と、目元から後方へ駈けての流線は、まっこと水棲生物が面貌に相応しい。劇中さながらの天衣無縫が、掌上に机上にちょこなんと婀娜めくのだから、まあ堪んない!

 締め括りに、寧ろ此方が新技術の本懐であろう、“デジタル塗装”に触れておきたい。「ミリ以下のピッチ云々」を謳う以上、詰まる処その正体は、立体物上に施行された“印刷”に他ならない。要するに“ペイント”ではなく、“プリント”である。従来の手塗り工法を遥かに凌駕する(と喧伝する)、さてデジタル印刷の中身は如何に。

 口切りに、躯体を覆う茶色から。チョコレート色を基盤として、胸部並びに手足爪先ほか随所に、仄りと泥土っぽい汚濁。竜ヶ森湖に潜んだ際の付着と思しき、ともあれ“底魚”を体現する彩りの妙である。斯様にデリケートな“暈かし”こそが、果たして「塗り」ではなく「刷り」故の功績なのだろうか。地の色を滲出させる、上層のドット着彩。なれば版画やリトグラフなどの、多色刷りの技法に同じ。「スプレー噴霧でもこれぐらいなら...」と思えなくもないが、取り敢えずは職工の手を介さない機械印刷であると、そう認識しておこう。

 このエポックメーキングな着色法をして、効果の程合いをひと際発露させている箇所がある。それは、「造作の如何に完璧か」を既述した、いけ図々しい人面獣心たる“顔”だ。そう、DGベムラーの眉目秀麗な顔容は、デジタル・プリントによる化粧を以って、初めて「活きる」のである。

 バンダイ曰く、「水場(湖)での撮影で生じた色味の変化を再現」との能書き。上唇と鼻孔の周囲、人相では“食禄”に当該する部位に、成る程潤いを孕んだような、薄っすらブルーの滑りと粘り。「今まさに陸に揚がったところ」、若しくは「湖面から顔を覗かせたところ」の活写として、相応に首肯しむる臨場感と言えるだろう。HG版の「今牛乳を飲んだとこ」みたいなベタ仕様とは雲泥、繊細さと犀利が「月と鼈」なのである。斯くて異形の水棲生物が顕現、上陸!ロートル・シリーズに引導を渡した、流石は“曠古”の名に恥じない「塗りっぷり」、いや「刷りっぷり」だ。

 そしてトドメは。バタイユの『眼球奇譚』さながら(ウソ!)に、見る者の肉情を煽る目玉である。決してクリア素材を嵌め込んでいる訳ではない、にも関わらず其処には確かに半透明な硝子体が!?これは全体どうした事か?えっ?何、デジタル印刷ってそんなマネまで出来るの?えー............などと、二の句が継げずに緘黙。果たしてそれが本當に、“デジタル”だからこその成せる神業なのか、一向与り知らぬが。兎も角も食卓に供された器皿の調理魚宜しく、炙り焼かれた如き水晶体が、じりじりと此方を睨み付けるのである。となれば、恨みがましくも挑戦的な目遣いに、食事者は意馬心猿を制し得ず、生殺与奪の情欲がチロチロと盛る事請け合いだ。「目」と言えば白地に黒点。少なくとも玩具業界におけるこの不文律を、転覆してこました文字通り「目ン玉が引っくり返る」よな事変、おお、イノベーション!嗚呼、目玉目玉目玉目玉目玉目玉目玉ぁ~と、バタイユ張りに気ィ狂いて(ウソ!)、だけど向後の展開でもちゃんと斯くあるのか?と、そこは聢と動向を見据えたい。

 以上、新機軸・DG版ベムラーの美点について、甚だ冗長ながら委曲を尽くして来た積もりだ。事有る毎に先シリーズ・HGを取り沙汰して、逆に11年も前の物に対して底意地の悪い痛棒を喰らわしたりして...。新技術の有無は扨措き、こんなにも歳月が懸隔した両者を、同俎上に載せて評するのは、そも見当違いなのかも知れない。然りとても、較べられずにはおれない、「余りにも違い過ぎる」格差、いや革新。と、ここで、曾て山口百恵が歌唱した「イミテーション・ゴールド」の歌詞一部を抜粋拝借し、いい加減筆を置きたい。


若いと思う 今年の人よ
声が違う 年が違う 夢が違う
ほくろが違う
ごめんね 去年の人と 又比べている

山口百恵「イミテーション・ゴールド」より抜粋
 (作詞:阿木燿子 1977年)

『HGウルトラマン』シリーズ
PART13 新たなる光編
バンダイ 1997年


 副題の「新たなる光」は、発売当時に放映中だった『ウルトラマンダイナ』の第1話、及び第2話の前後編から。現行番組に即した商品展開は理法なれど、このベムラー を含め、初代ウルトラマン、アントラー、特殊潜航艇+科特隊専用車と、ラインナップの内訳は昭和古参勢に偏重。(ダイナ物は2種) 詮ずる処、30~40代に向けられたラヴ・コールである。

 別けてもアントラーについては、“HGの傑作”などと、折に触れて口の端に上る程の出来映え。なので惜しむらくは、同弾アソートであるにも拘わらず、ベムラー のお粗末な下作っぷりだ。エッジ緩き造型も然る事乍ら、致命傷は、何らの趣向の煥発をも阻む、のっぺりとしたチョコレート色の塗装であろう。食禄の部位に到っては、まるで牛乳を飲む時に付着する、あの“白い髭痕”。更に、極めてお座成りな「目」の表情が、画竜点睛を大いに欠き、愈々宇宙竜の死にザマの完遂となる。南無三宝。


『HDM創絶 ウルトラマン』シリーズ
ウルトラ銀河伝説
バンダイ 2010年


 劇場用作品『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(2009年12月 ワーナー・ブラザース配給)。これの製作・公開に際し、「ウルトラマンと戦った最初の怪獣」が、実に43年振りに復活登板。新調されたスーツは、曾てブラウン管で見た“あのベムラー ”を髣髴とさせる拵えであり、旧来よりの愛好家諸兄を欣喜雀躍してこまし、或いは累歳によって弛んだ涙腺を猛撃、老頭児どもの滂沱たるリグレットを誘発させたであろう。それはつまり懐かしき面影の復古、延いては“昭和”の顕現であった。

 で、興行の昂奮未だ醒め遣らぬ年明け。ハイ・クオリティの維持が好評の玩菓シリーズにて、遅れ馳せ乍ら本作に即応した商品を展開。“ウルトラマンゼロ”やら“ウルトラマンベリアル”やら、映画の目玉であるニューフェイスらと列座し、我らが愛すべきウルトラマン怪獣第一号も、唯一の怪獣枠として堂々のラインナップと相成る。人気の度合いを慮すれば、「どうしてベムラー ?」なんて疑団尤もだが、「劃一された筺箱に収めねばならない」販売事情と、「真に以って怪獣らしい見目形のくせに嵩張らない」誂え向きな都合が、まあ巧い塩梅に作用したのだろう。多分。

 では、さて。以上の経緯を踏まえれば、畢竟このベムラー は2009年版のリバイバル物と見做される。パッケージ前面の左上方における映画タイトルの掲示や、眼球を光輝させたイメージ図像は、それを後押しする傍証だ。よって当品を昭和往時のオリジナル物と量定して、此処にこうして採り上げる融通措置に、幾許かの違和と抵抗が無い訳でもない。寧ろ本懐は、新旧両者の截然たる分かちであった。これを潔く踏ん切らせないのが、円谷プロが発信する猪口才なノスタルジア、即ち“懐旧”なのである。

 既述したように新たなスーツは、「往古の“あれ”に態々似せる」趣向・企図の下に誂えられた。背面に林立する鱗板(※ワニで言えば“背鱗板”)の配列や、あどけなくも凶相を晒す独特な容顔、また鱗のパターンなど。“初代”ベムラー を構成するそうしたディテールは、確かな写生を以ってして、平成の銀幕に息を吹き返した次第だ。まさに字面通り、“生き写し”である。尚、下腹から後肢へ架けての撓曲撓屈、つまり演者と着ぐるみとの間で生起する “たわみ”・“ダブつき”だが。この「昔ならではの不手際」さえ準えんとする、敢えての前轍踏襲に到っては、粋と不粋とが紙一重。見え透いた空気孔のあざとさと共に、動もすると揚げ足取りに堕す懼れが、無きにしも非ずだ。ともあれ。斯様に愚直なまでの再現こそは、造型者の赫々たる驥足、並びに操演用被覆着の作製技術に係る向上・躍進、その結晶に他ならない。

 勿論限界はある。「寸分違わぬ完全なコピー」なんぞ、土台ムリな話し。材質の相異は言を俟たず、それよりは「存立している物」自体が放つ気質だ。幾ら「似せよう」と粉骨したところで、オリジンが纏繞するオートモスフィアーごと引っ括めて写し取るのは不可能なのである。芸術家個々が擁する画風・筆致・クセは、差し詰め“魂”の流露であり、これを複製する理法は無い。原初の造型者、この場合は高山良策だが、氏が己の手で運ばせた箆や筆の軌跡は、飽くまでも本人が踏み均して来た途筋であり轍だ。後発の他人は、「拓かれた道」の上に標されたトレッドを、唯々“なぞる”だけ。「“あの”ベムラー と全く同じ」に相成らぬ所以は、実は「けものみち」と「舗装道路」さながら、霄壤ほどに懸隔した製作土壌の在り方にあるのだ。

 そんな訳で、“そっくり”な中にも繊細な機微の違いを煥発するオリジナルとリバイバル。プロップとして見たとき、新旧の異同は歴然だ。しかし原物に似せて作った模倣品を、更に模して玩具化した場合、果たしてどうだろうか?謂わばコピーの縮小コピーである。而して出来上がった「像」にあっては、原産と複製の何れをモデルにした“つもり”なのか、究竟判ずる手掛かりの発見に窮するであろう。オリジナルと、オリジナルに忠実なコピー。本来なら両者を分かつ寄る辺であった筈の各々のディテールは、10cmへの丈詰めに到り、最早綯い交ぜ、一緒くた、ごっちゃ。「容易には察せられない毫末なズレ」など、無きに等しい。ならば昭和TV版だろうが平成映画版だろうが、兎も角も落ち着け逸る頓着自体が烏滸の沙汰、下らない。どっちでも構わないのが、詰まる処の帰結だ。

 これが本品、即ち『HDM創絶シリーズ』製ベムラー の正真である。なので、2009年の“大怪獣バトル版”と、一応の体裁は附帯されているものの、「ウルトラマン怪獣第一号」たる“昭和ベムラー ”(のフィギュア)と並列させて、当該頁に採り上げた次第。以上顛末の陳述に臨んでは、斯様な冗長を甚だ心苦しく思い乍らであった。不毛も不毛、荒蕪極まれり。あんなこんなも、先人が打ち建てた秀逸なキャラクター、それらコンテンツの上に永劫胡坐を繋いてこます、統べては世の趨勢と企業体質とが淵源。その宝玉が如き恩寵を骨の髄まで舐り尽くそうとする浅ましさ、命根性の汚さを呪詛したところで、不毛の連鎖に過ぎず...。と、一頻り通弁抗弁と管を巻いた辺りで、さて。“創絶”ベムラー の結構を敷衍してみたい。

 ①狭長な体躯、②突起群に覆われたリア・ヴュー、③不敵不適しくも天真独朗な面構え、④退化著しく心許無い前肢。と、この宇宙怪獣を特徴付ける要素は、概してこんなものだろう。元より暴戻な“野性”が印象に残るベムラー だが。斯かる荒々しさの正体は、上掲のような趣向を咀嚼し、そして高次に昇華させた結句のゲシュタルト、即ち高山良策のタッチに他ならない。重厚な油絵に見られる彩管の痕跡宜しく、毛羽立ち、或いは禍々しく突き立つテクスチュアは、「そうあれ」と念を込め箆棒をぬたくらせた、芸術家・高山の化身。遵ってこれを写し取ろうとするならば、肌理のささくれと、殊に背部鱗板の兇悪な稜立ちは、毀す事罷り成らぬ喫緊な肝だ。帰する処、「尖ってナンボのベムラー 」である。

 然るにこの“創絶ベムラー ”が、良く出来た模像であるにも関わらず、縹渺と柔和な底気味を醸しているのは、どういった因由によるのか。言わずもがな、彼奴の“命”たる尖鋭の不足、丁寧であってもエッジの甘い象形が故である。要は「何だか丸っこい」のだ。後面に過密立錐したトゲトゲに限らず、草食動物かと見紛うよな平たい歯列や、果てはちまちま造り込まれた折角の鱗皮も、僅かに、ほんの僅かに引き締めを緩めた為に、気も漫ろな仕上がり、為体。“Hyper Detail Molding”を謳いながら、そのくせモールドの不首尾に泣く、「あと一歩」なベムラー 。大まかな造型と彩色が振るっていればこそ、可惜悔やまれてならない。

 PLO法の繋累か?曰く、無闇にとんがらせちゃダメ。「対象年齢6才以上」の枷、縛り。高々が400円也の菓子付き玩具に、(とんがらせるのは)酷な希求なのかも知れぬ。ところが。発売期はこれより3ヶ月前、「尖ったベムラー 」を遣って退けた、小売価格300円の製品(但しカプセルトイ)が、同社からリリースされている。本頁上段を参照して頂きたい。“DG”シリーズだ。画像で触感は伝えようもないが、(フィギュアの)背中に自身の指を這わせた際の痛覚が、まるで違うのである。DGを「雲」とするならば、創絶は「泥土」にも堕そう。いや不敬、失言だが。兎にも角にも前者のトゲトゲは、しっかりと指に突き立つのだ!チクッと。小憎らしい程合いに...。

 両製品を管掌する部署が各々異なるのは、無論重々承知。「カプセルトイ」の“DG”はベンダー事業部、「玩菓」の“創絶”はキャンディトイ事業部と。だからってそれが何なのか。購求側にとっては、おんなじバンダイ。寧ろ軌を一に出来ない体制に隔靴掻痒、もどかしさを覚えてならない。「“創絶”の力量はこんなレベルじゃないよ」と、衷心より信奉すればこその冷評、なんて愛顧者の腹積もり・浅慮なれど...。

 と、まあ難癖は是位で扨措き。幾分「鈍ら」なだけでしかし、似通った手合いの枠内では、“創絶”製が頗る付きの部類に入るのは寸毫も争われない。なかなかの佳良。ひと昔前なら“至上”とまで激賞されたであろう。尤もそんな「たら・れば」は瓦石、評価の材料からは除外するが。にしたって、光彩陸離が曇る訳じゃ無し。誹謗に対するせめてもの贖罪。じゃあないけど、言祝ぐべき箇所を連ね綴ってみた。以下に。

 前方へ頭垂れ、遵って著しく後彎した脊柱と、その稜線を寸断してこます、接地点における尻尾の曲折と。これら一連のラインが、「汀の宇宙竜」の佇まいとして実に的確。ボリュームの不均衡が故に覚束無き立脚が、劇中さながらのベムラー を聢と息衝かせている。何とも愛くるしいハンチバック、猫背のシルエット。この空気。ウルトラマン怪獣第一号推参!こういったオブスキュア性の抽出こそは、模像作りの起点であり正鵠だ。盤根錯節。「此処を先途と」許りに艱難を乗り越えて初めて、今征服せんとする山頂が見えて来るのである。

 よって爾後の肯綮、つまり肉付けは、自ずと随伴する格好で成されるであろう。鯒(こち)ないし鰧(おこぜ)をモチーフにした眉目の造作や、胸部以下の腹部外皮を被覆する夥しい鱗の柄模様や。スーツの余剰分がゴワつかせる、巻き衣の如き撓みや質感や。最早不要な虫垂に落魄したかのような、骸骨を髣髴とさせる前肢の朽ちザマ。そして勿論、後面に叢生する(ワニで言う処の)鱗板と。ディテールの大なり小なりを問わず、並べてそれらエクステリアの数々は、取っ掛かりにて精確に構築された骨格の表層に、思うが儘乗っけられてゆくのである。ひょっとしたらその時分、愉悦に浸っているやも知れぬ創造主の御手によって。

 竣成は着彩である。素地のココア色に、ダークブラウンを絡ませたカラーリングだが。窪んだ箇所に浸食する焦げ茶が、陰影の見立てとして発色。確かにたった二色だけでも、濃淡付けは応分に効果的だ。スケール・ダウンされたフィギュアならではのそうした塗装法は、余程介意せねば雅致を大いに損ねてしまい、「汚らしい斑」を見っとも無く晒す結果を招く。そこを擦れ擦れ“翳り”に留めた本商品の、なれば先ず先ずの首尾であろう。しかしここは今ひとつ、“水棲”を匂わせる色調のハーモニー、「潤い帯びた皮膚」に肉迫する工夫が欲しかったところ。湖沼由来の怪獣が擁する肌理にしては、滑沢さの「やや不十全気味」が、ともすれば寂しい限りだ。返す返すもDGを閲されたし。ちゃんと「湿っている」ではないか。300円の採算で、これを遣り遂せたDGが矢張り一枚上手、軍配は一向創絶方に揚がらないのである。

 「画竜点睛」たる着彩のハイライトは、何は措いても口の中、決して“おもちゃ”の名目に甘んじる事のない、頭抜けた色合いのリアルさであろう。野放図に開かれた頤から覗く、くすんだ朱と歯列の黄食み。生物感ではない。頌したいのは、飽くまでもプロップの実際を準えた拘泥り方だ。模造の完遂に臨んで、恰も渾身の全霊が費やされたかのような締め括りである。楽曲に置換するならそう、クライマックス及びフィナーレ。管弦楽のフィニッシュが一斉に決まった後、シンバルの衝突音だけが暫時漂う、あの余韻にも似た味わい。我らが宇宙竜ベムラー 、の人形、口腔に極まる!なんて、歯牙自体は臼歯宜しく「丸っこい」儘なのだが...。

 そんなこんなで詮ずる処、可成りの出来映えな“創絶”ベムラー 。机上に、そして掌上に、婀娜めく佇立にあっては、己が琴線は徒に又候掻き鳴らされるのである。だったら。だったら、もう許そうではないか。エッジ緩き造型の〆も、「シワ縒り」が就中に頸の前側を突っ張らかせた厭味ったらしい再現も、カラーリングにおける湿潤感の欠乏も。あと丸い歯も。斯かる瑣事なんぞ、此奴の謦咳に接してしまえば、飄々と雲煙過眼。矯めつ眇めつするにつけ、フィギュア作りの余念の無さに行き当たり、「やっぱり創絶」と溜飲も下がろう。然らば。ベムラー 合格!


ポリストーン製スタチュー
塗装済み完成品
浪漫堂 1997年


 「華奢」(きゃしゃ)
 曾て歌手の山口百恵は、「好きな言葉は?」の発問に対し、用意されたホワイト・ボード上に、躊躇する事無くそう書き付けた。

 レコード売り上げ数や有線放送リクエスト数や何やら、音楽業界に係る各データを週毎に独自流儀にて合算通計。これを基に、流行歌謡曲の甲乙をランキング形式で格付けし、10位から降順に披露。該当曲を持ち歌にする歌唄いが生放送中のスタジオに登場し、司会者の久米宏・黒柳徹子を相手に一頻り歓談した然る後、時世の寵児たる“スター”が愈々歌唱してこます。そんな歌番組。放映開始期の1978年爾来1980年代中葉(終了は1989年)まで、木曜の戌五ツ半時、家族団欒に沸くお茶の間を席捲したお化けTVショウ。そう、『ザ・ベストテン』だ。

 折節、人気の高潮にあった山口百恵が、上掲「華奢」の文字を諳んじて記したのが、『ザ・ベストテン』の収録現場。難読漢字を以ってした出し抜けの回答に、進行役の久米は刹那キョトン。透かさず「きゃしゃ...」と誦読して退けた職能は、予行試演はあったにせよ、流石は口述を生業とするプロフェッショナルだ。それは扨措き。「努力」とか「友情」とか、正道で教条めいた返答を兎角支度しがちなこの種の設問に際し、見端の弱々しさ・器物の壊れ易い状態を示す品詞を泰然と持って来る辺り、他の顔触れとは一線を劃す彼女の底気味の片鱗が窺えよう。

 斯かる瑣事ではあるがしかし、人の「脆く儚いものに惹かれる」性向が表徴された小話。割れた一枚の絵皿が如きで、青山播磨は情念地獄に陥り、実はガラスみたいだった豪腕と共に、星飛雄馬は破滅したのだ。翻弄され畢生を駄目にされても尚、衆生が執着して已まない“華奢”。やがて毀損してしまうであろう、嗚呼“玉響の命”哉。「約束されない形」の無常に価値を拾い上げる、何となればカルマ。抗おうにも蟷螂の斧、徒爾に終わるのが関の山だ。

 さて、ポリストーン製のベムラー である。陶磁器の原料にもなる石粉、または石膏に、合成樹脂が混和された造型材料。と、詳説あるポリエステル・ストーン。常温で注型が可能な為に、気軽な使い易さが売りだが、反面ガラス工芸さながら、隙有らば即破砕する危険性を兼備する。つまり、うっかり落っことしでもしたら十中の十は了い、オジャン。“フィギュア”などと暢気に構えてらんない、冷や冷やな普請。殊に、鋭利な突起群と痩身、及び朽ち枝を髣髴とさせるか細い前肢と、「さあ壊して下さいな」と言わん許りなエクステリアを纏ったベムラー だ。“華奢”の二文字が赫灼す!要るか?こんな緊張。床飾りじゃなし、怪獣の人形だ。

 糅てて加えて、5,200円の価格設定に見合わない低劣な仕上がりが、又候ストレスに拍車。このシリーズ、物(怪獣)にもよるが、まあベムラー については殆々駄目。エッジ緩きモールドは掌を指し、折角の結構を台無しに。且つ「1体1体ごとに“丁寧な手塗り”」の謳いは虚妄、嘘八百である。先ずは投げ遣り、杜撰、等閑、テキトーの極み。見窄らしい筆の刷け跡はトーシロー同然、何ともはや空寒く侘びしい限りだ。成る程、口腔の淡紅と歯牙の白堊とは、相応に塗り分けられているようである。ところがその「口の中」に、大きな瑕疵有り。心許り刳っただけの半端な穿孔を、ニッチないし壁龕に例えるなら、其処に彫り抜かれた半立体の歯列は、最早レリーフやカメオの類い。生身の器官に適う充分な奥行きは些とも感じられず、遵って“摂取不能”な造作のインチキこそは、此奴が「息衝いていない」所以となる。

 当初、鳴り物入りだった新素材。これをフィギュアの象りに、果たしてどう活かせたものか。現在では、ポリストーン製の優れたコールドキャスト等が数多市場を賑わしているが、1997年往時にあっては、技術的にもまだまだ覚束無き黎明期。未踏故の扱い倦ねは、重々斟酌出来よう。唯一の美点は、“手塗り”のぞんざいさが、却って荒ぶる宇宙竜の肌理にマッチしている事だろうか。あと挙げるなら、触った塩梅。背部に過密立錐したトゲトゲに、己が指を這わせた際の手応えは、PVC(塩ビ)では味わえない痛さ、いや心地好さだ。だが、それにしたって表層の“湿り気”不足は痛恨で、有情の生類を写し取った肖像としては可也の致命傷である。木彫りのクマとか、土産や民芸品、ちょっと見栄えする置き物なら、まあ及第なんだろうけど。さんざ逡巡し財布と相談、揚げ句の購入決定。此方が欲したのは、飽くまでも“フィギュア”。「リアルさの追求」云々を能書いている以上は、劇中さながらの臨場感を希求されて然りである。

 改めて立ち戻って、“華奢”。別段「壊れ易さ」に惹かれた訳ではない。像体と同形状に刳り貫かれた緩衝材(発泡スチロール)を以って、柔でさくい欠点をカヴァーする格好の筺箱。出し入れは疎か、飾り棚へのディスプレイにも、逐一細心の注意を払わねばならず、また地震に慄く事頻りであった。いい加減辟易。そんなこんなの因果も並べて、メーカー・浪漫堂の獅子奮迅の鼻息を当て込めばこそ。この前年(1996年)、ウルトラQ怪獣5体(ゴメスリトラゴローナメゴンペギラ)のリリースで、華々しく幕開けた新シリーズを逆賭すればこその御布施だ。結句、デリケートな上に下作な彼奴について、釣り合わぬ代価を投じてしまった始末。愚行...。ならば「華奢」に執心せずとも、これも充分“業”でしょ。


『ウルトラ怪獣名鑑』
シリーズ1
バンダイ 2002年



 特殊潜航艇を咥えて、竜ヶ森湖から今まさに上陸せんとするところを再現。右足を前に、動きのあるポージングだ。波うち際が白過ぎて残雪に見えてしまうところと、顔が少し大き目なのが難。


『HGウルトラマン ソフビ道』
シリーズ 其ノ一
バンダイ 2001年


 バンダイ700円ソフビの新造型以降、落ち着いて見てられるようになったベムラーのフィギュア。このミニサイズのシリーズも、造型・彩色ともにソツのない出来だ。着ぐるみの呼吸穴までちゃんと再現されてるが、前肢が胴体にくっ付いて一体化しているのが難。第一弾としての意気込みは感じられる。

『HGウルトラマン イマジネイション』
シリーズ Part 1
バンダイ 2003年



 飛び立つジェットビートルを、半身を捩って首先で追うベムラーである。この小ささで、躍動感あるこの迫力!全体に比して足元の台座の小ささは、覚束なさの妙味として見事だ。“イマジネイション”とは言え、さほど逸脱しておらず、好感の持てるアレンジである。とにかくベムラーのこの荒々しさに刮目だ!

『REAL MASK MAGNET COLLUCTION
リアルマスクマグネットコレクション』
シリーズ ウルトラマン
プレックス 2008年

 原則的に「顔」だけを象った磁石付きのフィギュア。壁面に飾れば、例えばこのベムラーなんかは、恰もハンターによって剥製にされた“ご自慢の獲物”といった体である。「顔」の造りに集中しているだけあって、造型・彩色などは申し分無く、また背面は中途で寸断されて平面になっているものの、形象を偲ばせる奥行きは満足がゆくものだ。「全身」ではなく「顔」だけだからこその出来映えと言ってしまえば、それまでだが...。S16の附属は嬉しい。

『特撮ギャラリー』
シリーズ No.9
バンダイ 1999年



 初めてその姿を見せたウルトラマンと、宇宙怪獣ベムラーの対峙。日本中のお茶の間の子どもたちをテレビに釘付けにした、まさに歴史的場面の再現だ。1999年という年代的に稚拙な造形だったりもするが、この場面再現のスピリットはやがて、名鑑シリーズに引き継がれる。


『SDMエスディーミュージアムウルトラマン』
シリーズ 1
バンダイ 2001年


 SDスタイルながら、細部まで作り込まれた緻密さは、当時としては衝撃であった。SDとしての解釈・省略にも、卓越したセンスを感じる。ベムラーの微妙な色合いも良い。続けて欲しかったシリーズのひとつだったが、残念ながら第3弾で終了してしまった。


『ウルトラマン Bot-Biz』
PART.1
ラナ 2002年


 『Bot-Biz』シリーズのボトルキャップフィギュアに、ウルトラマンが登場。その第1弾の中にラインナップされたこのベムラーは、造型・彩色ともに惨憺たるもの。特に彩色に到っては、グレイによるベタ塗りが厭味。まるで泥人形のようである。このシリーズが本領を発揮するのは、次弾を待たねばならない。




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