友好珍獣  ピグモン ~ 『ウルトラマン』 第8話 「怪獣無法地帯」
                 『ウルトラマン』 第37話 「小さな英雄」

人事を尽くした友好の使者、
ピグモンの天命

 激甚な火山活動の影響で地底の地磁気が狂い、島全体があたかも有史以前の原始世界に退行してしまったかのような多々良島。太古の眠りより目醒めた大怪獣たちが咆哮をあげる無慈悲な弱肉強食世界にあって、唯一人間に友好的な態度を示し味方する小怪獣。レッドキングなどほかの古代生物同様に、火山活動の影響で現代に甦った怪獣ではあるが、身長僅か1mと大人の人間よりも俄然小さい。ピグモンが“怪獣”ならぬ、“珍獣”と呼ばれる由縁だ。多々良島測候所最後の生存者・松井所員を匿い看病、吸血植物・スフランが群生・繁茂する危険なジャングルから水や食料を調達し、衰弱していた彼の生命を繋いでいた。松井所員の捜索に来島した科特隊の前に姿を現わし、彼の居場所まで誘導、これらの行動から博愛的精神とともに極めて高い知性が窺えよう。尚、科特隊誘導の際には、追跡のための目印として特殊風船爆弾を撃ち込まれている。非常におとなしく優しい性格の持ち主だが、勇敢な一面もあり、島の“怪獣王者”・レッドキングの襲撃に際しては果敢にも自ら囮となり、小さい身体を挺し一行の避難を促した。科特隊によって撃ち込まれたピンク色の風船を付けたまま、俊敏な動きで巨大な怪獣王者を翻弄。だがレッドキングが投擲した巨大岩石の直撃は回避したものの、その破片の下敷きとなって命を落とす。

 しかしその後ピグモンは、突如として銀座松屋デパートの玩具売り場に出現。さんざ騒いだ挙句に疲れ果てたのか、その場に眠りこけてしまった。死んだ怪獣を次々に復活させ、怪獣たちによる一大総攻撃を画策する“怪獣酋長”・ジェロニモン、その蘇生能力が人間の味方であるピグモンにも向けられたのだ。これはさしもの怪獣酋長も思惑の外で、甦ったピグモンは必死にジェロニモンの悪企みを科特隊に伝えようとする。その音声は、イルカの言語を研究している東西大学は権田博士考案の翻訳機にかけられ、怪獣酋長の奸計は見事露見するのであった。更にピグモンは先手を打とうとする科特隊のガイド役として同行、復活怪獣集結地点である大岩山へと赴く。勇敢な性質は以前のまま。ドラコ討伐に向かうハヤタ・イデ両隊員と行動を共にし、やる気の失せたイデの窮地を救うべく、暴虎馮河なピグモンはまたもや巨大怪獣の前に奮然と躍り出るのであった。だが敏捷な動きは嚇怒性のドラコを却って怒らす結果となり、最期はその巨大な掌の一振りに叩き潰され圧死を遂げる。その功績は身を以ってイデを奮い立たせたことにあり、また科特隊は命を賭した栄誉を讃え、ピグモンに“特別隊員”としての称号を与えるのであった。




意匠と造型

 ピグモンの縫いぐるみが、『ウルトラQ』のガラモン(第13・16話)の再使用であることは言うまでもない。おそらくはウルトラ怪獣の縫いぐるみ改造・流用例において、もっともポピュラーなものであろう。コアなファンでなくとも、ちょっとぐらいウルトラに興味がある者であれば、誰でも知っていることだ。何となれば「ピグモンガラモン」と言って良いくらいに、際立った相違点が認められないからである。

 そしてこの酷似は、成田亨が“新怪獣”・ピグモンに対して、新たにデザイン・ワークを行っていないということを示す証左だ。縫いぐるみ流用を拒否し、「ゼロからの怪獣デザイン」を指針・趣旨としていた成田からすれば、これは至極理に適った姿勢なのかも知れない。同じ第8話に登場したチャンドラーもまた、『ウルトラQ』のペギラ(第5・14話)を再利用しているが、追加された2本の角を除けば、「ガラモンピグモン」同様に目立った変更点が認められない。このチャンドラーにも或いは、成田のピグモンに対する同じような意識が働いていたのかも知れない。

 また単純に円谷サイドが、ピグモンチャンドラーのための新デザインを発注しなかったとも考えられる。してみれば一挙に5体もの怪獣が登場する第8話だ。そのひとつひとつをデザインから起こしていたのでは、タイトなスケジュールに忙殺されるさなか、撮影に間に合わなかったことは容易に推測できる。ある程度は円谷プロ内で賄わなければならなかった。そう考えるのが妥当なのかも知れない。

 しかしともあれ。新デザインが施されなかったとしても、以前の撮影で疲弊・劣化してしまった縫いぐるみをそのまま画面に登場させる訳にはいかない。たとえ縫いぐるみの使い回しであっても、補修作業は不可欠であり、その仕事は新規の縫いぐるみ製作同等に繊細なセンスが要求される。撮影現場における遣っ付け・急場凌ぎで、どうこうなるものでもない。かくてガラモンからピグモンへの改修は、ガラモンを造形した高山良策の手に再び委ねられたのである。


 1966年5月27日。レッドキングベムラーの縫いぐるみ製作に勤しむ高山良策のもとに、円谷プロから1本の連絡が入った。ピグモンを演じる予定であった元・ガラモン役の高橋実が病気のため降板、急遽子役の藤田修治が代役として決まったということだ。

 この急報によって、単に傷んだガラモンを補繕し再塗装するだけでは済まなくなった。いわゆる小人であった高橋に比べて、小学生の藤田は20cmほど高い。つまり寸法が合わぬということ。高橋の背丈に合わせて作られたガラモンのままでは、代役の藤田が中に入って演技することなど到底適わないのである。

 以上のような経緯でガラモンは、短躯だったそのシルエットを若干変えることと相成った。しかも多々良島のロケ(裏磐梯か三浦海岸か)は、二日後に迫っている。時間が無い。という訳で、レッドキングベムラー製作と並行して、ガラモンからピグモンへの修補作業が急ピッチで進められたのである。

 先ずは脚の延長。まるで椎骨の連鎖構造のような両脚は、その根元から胴体と分離された。離れ離れになった脚と胴の双方はそれぞれ15cmずつの延長施術が為され、然る後に再接合されたのである。これによって実質上、30cm高くなった訳だ。これは割りと際立った変化である。ガラモンに比してピグモンの方がスマートな印象を受けるのは、実際に脚の伸長差があるからなのだ。

 次に首の延長。「首」と言っても、ガラモンにはそもそも首に相当する縊れが無い。魚の鯒をモチーフとした顔面が、ずんぐりとした身体にくっ付いているだけだ。この顔面を含めた頭部は、最終的に演者がマスクとして被るように作られており、胴体との着脱が可能である。代役・藤田の身長にアジャストさせるべく、脚の延長とともに、この頭部にも寸法増しが為された。ピグモンを側面から見ると、顔面が前方に突き出しているように見えるのは、このような継ぎ足しのためである。これはガラモンでは見られなかったシルエットだ。また体表のヒダの劣化が進んだ第37話における再登板では、首周りの痩せ細りが際立っており、首に為された延長施術の痕跡が瞭然としている。

 仕上げは塗装。現存するガラモンのカラー写真(百貨店や向ヶ丘遊園における展示など)を見ると、その赤には深みがあり、深紅とまでは言えないがそれよりは少々鮮やかな彩りだ。これと比較してピグモンの赤は、ピンク系や黄系が混入した柔らかい印象を与える。どちらかと言えば朱色だ。「人間に味方する善良な怪獣」という設定を、高山が配慮したのであろうか。若しくはガラモンのときと同じ色彩のつもりで塗ったとしても、何となれば再塗装である。まっさらの上に塗装されたときとは条件が違い、発色の度合いも変わってこよう。ともあれ。ピグモンが放つ朱色系の赤には、完全な悪者であるガラモンの鮮烈な赤には無かった「優しさ」さえ感じられる。これが、若干のフォルムの変更はあったにせよ、同じ縫いぐるみ上に施された塗装なのだから、受ける印象の差異には驚きもしよう。奥深いジャングルの緑の中で、ひと際目を惹くヴァーミリオン。それが偶然ではなく、高山の思惟から来る色彩設計であったと考えたいのだが...。

 脚の長さ、首としてのニュアンス、経年劣化によるヒダの減少、痩せ細り。そして色。これがガラモンならぬピグモンの全容である。しかし先にも述べたように、詳細を知らなければガラモンピグモンの間に、そんな差違があるとは判り難いのも事実だ。ただそれでも、大まかな外貌を等しくするものの、キャラクターの違いは「悪」と「善」で截然としていて、これはもう言を俟たない。「人類の敵」から「人間の味方」へ。単に演出や演技による効力も大きいのであろうが、不可解極まる宇宙のロボットに“博愛”を纏わせたのは、何と言っても高山良策の功績である。

 ちなみに第37話における再登板にあたっても、ピグモンの修繕を手がけたのは高山だ。1967年2月23日、ザラガス(第36話)とジェロニモン(第37話)とともに納品された“再生”ピグモン。およそ9ヶ月の時を経て、ピグモンは高山の手によって再び息を吹き返し、お茶の間に愛らしい媚態を晒したのである。

子ども怪獣現る!

 さて予定されていた演者の急病のため、急遽ピグモンを演じることとなった藤田修治。子役であったそうだが、その他の出演作についてはとんと不明だ。ひょっとしたらその後、役者活動を続けることなく演劇界を去ったのかも知れない。管見で申し訳ないが、役者・藤田修治に関するよすがは皆無に近い。よってその後の足どりを追うことは、ままならなかった次第である。

 ピンク色の風船を付け、ピョンピョン跳びはね、レッドキングを翻弄し、そして岩石の下敷きになった藤田ピグモン...。その健気さで見るものを虜にし、果てに涙さえ誘った最期。ウルトラ・ファンにとっては、このような鮮烈な印象を残したピグモンについて、その縫いぐるみ役者の行方が知れぬことには、寂寞たる思いもあろう。果たして。ピグモンの死とともに、俳優・藤田修治も演劇の世界から姿を消したのであろうか?


 変わって第37話登場の再生ピグモンを演じたのは、やはり子役だった小宅雅裕だ。デパートの玩具売り場で眠りこけるあの嬌態の正体も、何となれば子どもの所作に由来するということになる。四肢を無造作に放り出した殺人的かわいらしさ。子どもが放つ魔性さえ、あの居眠りピグモンには宿っているようだ。

 ちなみにノンクレジットではあるが、『ウルトラマン』第34話「空の贈り物」と第36話「射つな!アラシ」に登場する子どもたちの一群の中に、この小宅の姿が認められる。また小宅は『快獣ブースカ』(1966年11月9日-1967年9月27日)の第28話に出演、そして1969年には日活の『代紋 男で死にたい』において、主演・高橋英樹の子ども時代を演じた。その後芸名を千葉裕と変名してからは、田口刑事役として出演した『Gメン75』(1975年5月24日-1982年4月3日)などが代表作として知られている。

 片方のピグモン役者の雄飛についてこうして挙げられるからこそ、もう片割れのピグモン役者の不在が余計に惜しまれると言うもの。片や役者街道に勇往邁進、片や消息不明。やはり寂しく思うものだが、いかがだろう。


 ウルトラ怪獣史に華々しくその名を残すこととなったピグモン。当時子役であった藤田と小宅は、どんな気持ちでその友好珍獣を纏ったのだろうか?その胸中。そして周囲の反応は?

 たとえば行楽施設のお化け屋敷などにおいて、「キャーキャー」と怖がりたい一方で、その実驚かす側に就きたいのも、これ子どもの心理というものだ。あの化け物のマスクを被ってみたい、そして友だちやほかの子らを「キャーキャー」言わせたい!誰しも幼少時代には持つ、そんなムラっ気のひとつやふたつ。

 察するにピグモンを被った藤田・小宅には、「してやったり」感があったことだろう。もちろんそれは、役者として充足感ではない。子どもであるが故に味わえる達成感と、それから来る優越感だ。当然周囲からの羨望があったことも重々考えられる。「いいなー」「すげーなー、おまえー」などというように。そう、誤解を畏れずに言うならば、子どもは誰でも怪獣になってみたいのだ。

 怪獣は子どものためのもの。胸中で唯一、大人社会に牙を剥けることが出来る力の象徴。子どもは怪獣の異形に憧憬を抱き、底知れぬ膂力に沸騰、自己を重ね合わせて陶酔する。そんな怪獣讃美の情念が渦巻く中、子役の藤田と小宅は他の子どもを出し抜き、現役の子どものまま怪獣になったのだ。

 もし小人役者の高橋実が、当初の予定通りにピグモンを演じていたとしたら、また違った味わいの友好珍獣が顕現していたことであろう。しかしそれは適わなかった。ピグモンに課せられた「子どもたちの身近な存在」としての期待は、演者発病というアクシデントによって、結果的には子ども自身がその使命を帯びることとなり、そして見事応えられたのである。寸丈の合う役者に都合がつかなかった挙句の否応無しとは言え、円谷が採択したこの英断が意味するものは大きい。「子どものための」怪獣としての役割を、ほかならぬ子ども自身が担えるという可能性を示したのだから。






怪獣アイドルの仕事現場

 ウルトラ・シリーズにおいて、マスコット的キャラクターを体現するピグモン。“超”が付くくらいの人気者にはもちろん、その後の数多なる活躍が約束されていた。『ザ☆ウルトラマン』(1979年4月4日-1980年3月26日)の「ピグ」こそは、ピグモン初のシリーズ超越出演となる。

 この「ピグ」が象徴するように、ピグモンの数ある登板に見られる不文律として、アニメーション作品への出演はもとより、実写作品においても、どちらかと言えばシリアスとは無縁なファミリー向け作品への出演偏向、若しくは作品内容を和らげるコミカルな役どころとしての出演が特徴付けられよう。たとえばアニメーション作品では『ウルトラマンキッズ』シリーズ(1984年~)、実写作品では『アニメちゃん』(1984年)や『ウルトラマンM730 シュワッチ!イングリッシュ』(1993年-1994年)などが、“ほんわか”ムードの顕著なピグモンの出演作だ。タイトルからも分かるとおり、いずれの作品も、怪獣出現によって人類が窮地に追い遣られるなどという、シビアーな展開を意図としたものではない。またウルトラマンが怪獣を殺すなどという、抜き差しならない世界などはそこには無い。

 そして低年齢層向けの様々なキャラクター商品にも、デフォルメされたピグモンは当然の如く重用されている。もともと恐ろしい怪獣から、「小さい」「かわいい」「人間に味方する」など、“怪獣のくせに”という逆説を以って歪形(デフォルメ)された恰好のピグモンだ。したがっていわゆる“SD”化された形が、似合わない筈も無い。玩具はもちろんのこと、日用品や文具、またゲームやマンガの一キャラクターとして、“かわいい”ピグモンはそこここに顔を出し、子どもたちの日常生活に従属、生来の愛嬌を振り撒くのである。同じ“人気者”だが、グロテスクとも捉えられがちなバルタン星人を凌駕する幅広い汎用性の淵源は、唯一点「かわいい」ということに収斂されよう。

 そもそもは「身近な怪獣」、「親近感のある怪獣」として設定された友好珍獣。良きにつけ悪しきにつけ円谷の広告塔的役回りを荷わされる命運は、無理からぬことである。「夢」を謳う円谷プロダクションにとって、ピグモンはその「夢」を発信する大事なタレントなりアイドルということだ。



あくまでも人間の味方、“友好”を突き貫く

 「親近感」や「和み」などの体現者として、ぬるま湯の中で持て囃されるピグモン。しかしそうは言ってもウルトラの本懐は、アニメーション作品やほのぼの路線にある訳ではない。言うまでもなく、“世界のツブラヤ”と讃えられる対象はあくまでも特撮作品だ。当然“みんなのアイドル”・ピグモンも、立派なウルトラ怪獣の端くれとして、本線である特撮作品シリーズにだって幾度か顔を見せている。ときにピグモンそのものが登場したり、また姿かたちを変容させたり。

 「人を和ませる」役目のピグモンが、如何様にしてウルトラ・ストーリーに溶け込んでいったのか。以下にその出演例を挙げ連ね、それぞれの役どころを敷衍してみよう。

◆パワードピグモン :
『ウルトラマンパワード』
  • 第 3 話 「怪獣魔境へ飛べ!」 (初出はビデオで 1994年、
  •                      テレビ放映は 1995年4月29日)

 このパワード版ピグモンは島育ちではなく、南米はギアナ高地に棲息。「人を助ける」という博愛的精神は健在で、劇中ではレッドキングに襲われ負傷したTVクルーを匿い、あまつさえ治療のための薬草まで差し出している。現地語の「小さな泥棒」に相当する名前で呼称されており、その存在は伝説の中で息づいていた。また体重は20㎏と、オリジナル版の2倍に相当する。ともあれ、新時代のピグモンは相変わらず人間の味方で、友好的姿勢は不変であるということを示した。

 その姿かたちはと言うと...正直「かわいい」とは言い難い。『ウルトラマンパワード』は、日米合作によるアメリカ向けのウルトラマン。ハリウッドのクリーチャー造型技術が、日本人の感性とは相反する方向へ作用したようだ。

◆マスコット小怪獣デバン :
『ウルトラマンティガ』
  • 第21話 「出番だデバン!」 (1997年1月25日)

 魔神エノメナが発する怪電磁波を中和する能力を有するために、魔神に狙われる。ぬいぐるみ一座に拾われた、マスコット的存在の珍獣だ。力を使い果たし死んだように思われたが、実は「死んだふり」であった。

 マスコット怪獣にして、分厚いクチビルと頓狂なまなこ、四肢の赤、そして流星マークを象ったようなシルエット。外貌は大きく異なるが、これがピグモンへのオマージュを意識されて生み出されたことは、疑う余地も無い。

◆隕石珍怪獣ミーニン :
『ウルトラマンコスモス』
  • 第 7 話  「空からのプレゼント」  (2001年8月18日)
  • 第55話  「最終テスト」       (2002年8月3日)

 身長1m、体重10㎏。友好的怪獣のその姿。紛う事無きピグモンだ。そしてミーニンともども両エピソードに登場する隕石大怪獣“ガモラン”とは言わずもがな、名前からもガラモンのことと容易に知れる。温和な性格のミーニンにバイオコントローラーが取り付き巨大化凶暴化、侵略兵器となったのがガモランだ。

 同じ縫いぐるみを使用したガラモンピグモンとが、同一エピソード内に登場する逆手取りが実に面白い。善良な性質を持つ等身大のミーニンが本来の姿で、その“小さきもの”が、凶暴化させられてしまった巨大な仲間、すなわちガモランの暴走を喰い止めようと奮闘。“共演”という思いつきから、含みある関係性へと昇華した発想の転換は見事だ。

◆ガラQ :
『ウルトラQ dark fantasy』
  • 第 1 話  「踊るガラゴン」   (2004年4月6日)
  • 第16話    「ガラQの大逆襲」 (2004年7月20日)

 このガラQを、ピグモンのシリーズ超越出演として扱うのは、その性格上もちろん適当ではない。何となればガラQは、ガラモンならぬ“ガラゴン”を暴れさせた淵源、すなわち電子頭脳なのであり、「人類の敵」に直結する存在であるのだから。しかしながら仮初めとは言え、愛玩ロボットとして万人の寵愛を受けるといった役どころは、まあピグモンに通底すると言えよう。よってここに挙げてみた次第である。

◆電脳珍獣ピグモン :
『ウルトラマンマックス』
  • 第 5 話  「出現、怪獣島」    (2005年7月30日)
  • 第 6 話  「爆撃、五秒前!」  (2005年8月6日)
  • 第36話  「イジゲンセカイ」   (2006年3月4日)

 古代人類とのコンタクトを試みた宇宙人が、かつて地球に送り込んだ生体コンピュータ。ピグモンについてのそんな衝撃的出自が、全シリーズを通じて初めて明かされたという点において刮目すべきであろう。人間に懐くという特性は、人類との接触を目的としたプログラミングに由来。また「禍為す」レッドキングに立ち向かう勇敢な側面は、もとより怪獣島全体の暴走を制御するために作られた安定装置であるが故の行動だ。

 「友好と平和維持のためのシステム」という徹底した設定を以って、善良的性質の正当な理由付けとしているのだが、人間に好意を示すあの愛くるしい行為の正体が、人工知能に組み込まれたプログラムであるということがいささか寂しい気もする。だが当世はコンピュータ社会、“無償”の裏に生得以外の何ものかを疑ってみなければならないということか?そういった意味では、体重95㎏という全ピグモン史上最も重い生体コンピュータとしてのピグモンは、極めて2005年的なのだろう。

 尚第36話では、シャマー星人の策謀によって、レッドキングともども再びこの世界に姿を現わす。エリーと同化し、必要以上にカイトに懐くくだりは、周囲のヤキモキ感と相俟って面白い。コミカルな作品性のために登用された利便性は否めないが、ピグモンの愛おしさを女性型のアンドロイド・エリー(演:満島ひかり)を通じて顕現させようとした試みは斬新だ。一見を。

二つの使命、二回の殉死

 ピグモンが登場する第8話「怪獣無法地帯」と第37話「小さな英雄」。ともに、チーフ・ライターである金城哲夫が脚本を手がけた作品だ。(第8話は上原正三との共著) どちらのピグモンも、「人間に味方する」ということで一致している。

 だが片や番組がスタートしてから間もない時期の作品における登場であり、そして片や最終回も間近な極々後期の再登場だ。単にマスコットとして重宝に扱われたのではなく、両ピグモンともに、金城から委ねられたそれぞれの使命というものが截然としている。さてそれでは、二匹のピグモンに託された二つの“金城の思い”を熟思してみよう。


 「怪獣の中にもこんな善良な奴を作った神を、僕は信じるようになりました」

※第8話において、ピグモンに助けられた測候所の松井所員(演:松本朝夫)から発せられた台詞

 第8話「怪獣無法地帯」は、一度に5体もの怪獣が登場するという怪獣映画並みの絢爛さで、謂わばサービス品として捉えられよう。しかし脚本を手がけた金城哲夫は、この娯楽大作を、もちろん単なる消耗品として書いた訳ではない。恐ろしい怪獣たちが跳梁跋扈し、人間と対立する殺伐とした世界の中に、金城はひとつの光を投げ掛けたのである。“平和・共生”という光。それがすなわち、“友好”珍獣ピグモンだ。

 沖縄を出自とする金城が抱いていたコスモポリタニズムは、前掲した松井所員の台詞から汲み取れよう。怪獣との共存が可能な世界。信頼を土台とし、相互が好意によって結ばれたユートピア。異者を排除することなく、国家や民族を超越した理想社会。端的に言ってこのような含みは、当時の沖縄人と日本人の関係性について憂い、そして両者の架け橋としての使命を自らに課した、金城の切実な思いの顕われである。「怪獣と人間」という相容れない異者同士の間柄とはすなわち、「沖縄人と日本人」のそれであり、その溝に分け入るピグモンこそは、金城自身の投影なのだ。

 異者同士の共存・共生。その可能性を体現するピグモンは、金城の思いの丈を帯びた平和の使者であり、あくまでも友好的性質一点張りに描かれる。ピグモンが人間に対して示す好意は生得のようで、特段の理由付けも無い。全ては無為から来る。奉仕に対して何らかの見返り・代価を期待する資本主義社会にあって、友好珍獣が履行するこの無償行為は痛烈だ。超国家・超民族主義を実現した理想世界。無為と信頼こそは、ユートピアの礎を築く糸口でもあり、且つまた人びとの心根に据えることで基盤ともなろう。よって異形側である筈のピグモンは、平和的共存実現のための謂わば尖兵として人間に歩み寄り、先ずは敵意の無い姿態を晒すのである。

 しかしそうは言っても『ウルトラマン』という作品は、「怪獣を殺す」ことが骨子のドラマだ。人間と怪獣とが手に手を取って共存などしていたら、もはや番組として成り立つ筈もない。強大な膂力を誇る怪獣が出現、非力な人類は太刀打ち出来ず窮地に陥るが、超力を持つウルトラマンが怪獣を退治して一件落着。全てはこのラインに則らなければならない。異者との平和裡な共生を描きたかった金城にとっては、この自らが打ち立てた基本筋が大きな枷となったことであろう。何となれば怪獣(異者)は、最後には殺され(排除され)なければならないのだから。

 ここで金城は、「善良なる」ピグモンが「悪逆非道なる」レッドキングに殺されるというシチュエーションを用意する。悲しいかな“平和の使者”は、自分が属する怪獣(異形)側とは相容れることが無く、仲裁者としての要務も志半ばで挫かれるのだ。そこには説得による相互理解や、また取り持ち・執り成しなど微塵も無い。唯在るのは、問答無用の「力」だけだ。

 「排除すべき対象」としての怪獣のイメージを、払拭ないし糊塗することにはその大任を全うしたと言って良いピグモン。だが番組の性質上、“ピース・メーカー”としての役割遂行には無理があったようだ。コスモポリタニズムを標榜した金城のことである。ピグモンという友好珍獣を、単に番組のマスコット的存在として登場させたのではなく、“平和の使者”として拵えたことは厘毛も争われない。だが「レッドキングに殺される」という最期によって、その役目は雲散霧消、曖昧模糊となり果て、結果としてピグモンをマスコット止まりにしてしまったのである。

 とは言え。「人間の味方をする」怪獣は、大いに有意義且つ画期的であった。ともすれば、「怪獣を殺す」だけの殺伐とした作品に堕しかねない『ウルトラマン』。そこにピグモンのような「殺すべき対象」以外の怪獣を投入し、柔和なファンタジー性を織り込ませた功績は大きい。友好珍獣ピグモンとはつまり、そんな金城哲夫の果敢さの賜物なのである。


 ピグモンの再登場は、第37話。初登場から半年以上経ってのことである。人間に好意を示し、人間に味方した挙句に命を落としてしまうという顛末は、第8話のときと全く同じだ。表面上の性格・行動は、何ら変わることが無い。しかし果たした功業となってくると、話は別だ。特にその死においては、前回に比べて意義の濃さが断然違う。“平和の使者”としての可能性を提示した友好珍獣は、番組の終末を目前に、その死を以って果たして如何なる偉勲を残したのであろうか。

 大怪獣レッドキング来襲にあたり、「みんなを逃がす」ために奮然と躍り出て、そして果てた。これが第8話におけるピグモンの死の経緯だ。この劇的な死は涙を誘い、ドラマッチクな展開を促してはいるが、反面特に必要の無い死だったとも言える。“犬死に”とまでは言わないが、「みんなを逃がす」ための囮であった以上、ドラマを盛り上げるための一スパイス的な捉え方をされても仕方が無い。無論“勇敢さ”を示すということ自体には大儀があるのだろうが、それも「ウルトラマンが凶悪怪獣を倒す」というストレートな作品世界にあっては、穿った愚見かもしれないが、巨悪・レッドキングを引き立てるための材料に過ぎないように思えるのだ。

 これに対し第37話における死は、謂わば必要とされた犠牲であった。人間の窮地を救うべく怪獣ドラコの前に躍り出て、その巨大な掌に叩き潰されるという囮的役回りは変わらないのだが、状況が此度は異なる。そう、イデだ。

 度重なるウルトラマンの活躍によって、科学特捜隊のイデ隊員は自分たちの不甲斐無さを感じ入り、自らの必要性に疑問を抱いていた。「ウルトラマンさえ居れば、我々は要らないんじゃないか」と。すっかりやる気の失せたイデは、怪獣を前にしても戦わず、すぐにウルトラマンを当てにするといった始末。ここでピグモンの登場だ。その勇敢な奮闘振りと殉死を目の当たりにしたイデは、ハヤタの諭しもあって勇を鼓し、決然と怪獣に立ち向かってゆく。自身で発明した新兵器でドラコを撃破、更にはウルトラマンとの共闘でジェロニモンさえ粉微塵に吹っ飛ばすのであった。

 一見ある意味ベタで、ドラマツルギーには不文律な王道のように思えるストーリー展開である。だがその死が第8話のときのように味付けのための一スパイスに堕さない理由は、そこには『ウルトラマン』という作品への決着が込められているからだ。金城が逡巡の果てに辿り着いた“答え”とはすなわち、「人類の自立」である。

 ウルトラマンという超越的且つ博愛的な大いなる存在に見守られながらも、それでも人類は自らの力で立ち上がらなければならない。「沖縄の自立」という切実な思いを『ウルトラマン』に託した金城は、人類(沖縄)がウルトラマン(日本)に甘えてしまうという、自立のためのナショナリズムにとって不本意な袋小路に対しての解答を、そう結論付けたのだ。その所懐は、次のイデの台詞に端的に顕われている。

 「やったぞーっ!ジェロニモンはオレが倒したぞーっ!」

 「オレ」とはつまり人類全体のことであり、同時に日本に見守られながらも自立すべき「沖縄」を指していることは言うまでもない。この歓喜に打ち震える台詞には、如何なるものにも依存・迎合・隷属しない“自我”が強調されている。この2週後に最終回を迎える『ウルトラマン』。第37話で萌芽した「我々自ら」という強い意思は、ウルトラマンさえ倒した強敵・ゼットン(第39話)を討つのである。かくて人類(沖縄)は、ウルトラマン(日本)と友好関係を結んだまま、自立のためのナショナリズムさえ充足させたのだ。

 “イデ”という一個人に投影された人類、若しくは沖縄。その“自我”を鼓舞した引き金は、ほかならぬピグモンの死であった。『ウルトラマン』という作品の結論に迫るこの死の意味が、第8話のそれより重いということ。それが解かって戴ければ、幸甚の到りである。

そして円谷は...

 「殺す対象」以外としての怪獣。また、人類の自立を促すための怪獣。金城が“平和の使者”と位置付け、その思いを託した友好珍獣はしかし、その後は円谷プロによって体のいい広告塔の役回りを荷わされることとなる。ともすれば、「夢云々」を声高に謳うプロダクションだ。「かわいい」「人間の仲間」をセールス・ポイントととするピグモンは、円谷プロという謂わば芸能プロダクションにとっては、会社を売り込むための恰好な宣伝素材、つまりアイドルなのである。『ウルトラマン』という作品を飛び越えて、様々なメディア戦略において厚遇されるということ。それはトップ・スターにとって、当然為されるべき計らいだ。

 だがこういった扱いは、生みの親・金城が意図としなかった悪い意味での“馴れ合い”を助長することとなる。怪獣と人間とが、お互い争う事無く仲良く暮らしているユートピア。平和的共生へ到る艱難な道程などは、そこに入る余地も無い。何らの前提も無く、いきなり出し抜けに怪獣と人間が友好関係にあるのだ。ピグモンという怪獣が辿って来た物語を知っていればそれでも良いが、何も知らずにそれを突き付けられた新時代の子どもたちには、もはや“平和の押し付け”以外の何ものでもない。眩いライトに照らし出された造り物の平和には辟易、荒寥たる薄ら寒ささえ横たわっていよう。

 短絡的平和は、ある意味有毒だ。たとえば、ひと頃コンビニエンス・ストアーにおける有害図書、すなわちエロ本の類いの、青少年に与える影響が取り沙汰され問題になった。解決策としてテープが貼られ、立ち読みを出来なくするといった措置が採られたのだが。その対処法はともあれ。問題は青少年に及ぼす影響などではなく、猥褻な写真・図画へ到る道程の容易さにあったのだと思う。淫猥なものに接する経験は、大人への成長段階においては無論必要だ。また労苦の果てに辿り着いた淫靡な世界を嬌めつ眇めつするひとときと、そもそもそこに到るまでのあれやこれやはかけがえの無いものである。思春期における宝物と言って良い。だが今の時代、コンビニエンス・ストアーのエロ本やインターネットにおけるエロ画像の氾濫によって、青少年の誰もが容易くエロに手が届く環境下にあって、もはや“思春期の宝物”は奪われたに等しい。

 僻見な私意で恐縮だが、サッカーの国際試合などでいとも簡単に国民が一丸となって扇情する様に、エロへの短絡的到達に似たものを感じてならない。日本のチームを応援する人たちは、どのような経緯の挙句にそこに立脚しているのか?何を以ってその理由付けとしているのか?日本人だからか?みんながそうしているからか?楽しそうだからか?そこに到るまでの過程の喪失こそは恐ろしい。何となれば、サッカーの試合を戦争に置き換えた場合を想定してみるといい。果たしてそこに“躊躇”はあるのだろうか?

 近年アフリカ象によるサイや家畜(牛)の殺傷事件が、東アフリカにおけるマサイ族のコミュニティにおいて、またウガンダや南アの自然保護区内において深刻化した。何でもかつて人間によって親を殺された子象が成体となって、復讐を遂げるべく家畜に牙を剥いたのだという。また規範となる大人の象が居ないために、生殖機能に狂いが生じた若い象が、サイを雌の象だと思い込み、嫌がるサイに業を煮やした挙句に殺してしまったそうだ。前者の場合犯人の象が、マサイ族に暴行を受けた経験を持っていたり、アミン独裁下において目の前で親を虐殺されたトラウマを持つ。また後者のケースも、自然保護のために良かれと思われた定数制限(親の象を殺すこと)が、結局裏目に出たということだ。原因が判明し改善策が施行された現在は、人間と象の関係は良くなったそうである。いずれにせよ「人間と象」の平和的共存は、様々な誤解や不信、度重なる暴力の応酬の上に成り立っているということだ。最初から仲良く暮らしている訳ではない。

 人間と怪獣とが、何の疑問も持たず、お互い手に手を取って生きている世界。何の紆余曲折も無く、既に平和への到達を果たしてしまっている世界。本来そこに到るまでの時間や苦心惨憺などは、かけがえの無い宝物になる筈だ。だがこれの亡失の上に成り立つ平和世界などは仮初めに過ぎず、またいとも簡単に争いに転じよう。平和もエロもナショナリズムも、そして象との共生も、様々な屈折や艱難辛苦、人それぞれの路程、花も嵐も踏み越えて漕ぎ着けるというもの。円谷プロが興行で重宝するピグモンに薄ら寒さを憶えるのには、以上のような、まさに“道程”があるのである。


 話が堅くなってしまったが。しかしこれまで述べてきた思惟より以前、すなわち昭和当時、正直「人間に味方する」怪獣などには興味・愛着は持てなかった。ウソ臭いのである。合成着色料に彩られたあざとい駄菓子の方が、本当は獲得すべきあれやこれやが詰まっているのに、大人が与えようとするのは無害なお菓子ばかり。子どもながらにもこのピグモンからは、体裁のいいお菓子が放つような、芬々とした“押し付けがましさ”の匂いを嗅ぎ取っていたのである。

 「ほら、怪獣は君たちの友だちなんだよ」という大人からの押し付け。怪獣にはそんな甘ったるさは、要らないのである。少なくとも自分の周辺で、「ピグモンが好き」などと嘯く子どもは皆無であった。と言うより論外、怪獣として愛でる対象にも成らなかったのである。よし児童誌やテレビなどで「ピグモンがかわいくて好き」などと言うものがあってもスルー、若しくはその感性を疑うものであった。人間に歩み寄るピグモンなどは、もはや「怪獣」ではなかったのである。

 また往時を振り返って懐かしむ意趣のテレビ番組などにおいて、「ピグモンが好きだった」と未だに臆面も無く言い張る元・昭和児童に対しては、全体どういう子ども時代を送ってきたのかと、篤とその弁明を伺ってみたいものだ。いや、聞きたくもない。投げ掛けられた問いは、「どの怪獣が好き?」だった筈。「どの怪獣がかわいい?」とか、「どのキャラクターが好き?」とかではなかった筈だ。強大な膂力を行使、ビル街を焼き、人間社会を蹴散らし蹂躙、人びとにとって脅威である「怪獣」を熱く語れ!と、そう言いたい。

 怪獣なのに子どもの仲間。怪獣のくせに人を襲わず、街を破壊せず。思えば『ウルトラQ』のリトラ(第1話)やガメロン(第6話)、M1号(第10話)などがそのルーツであり、そしてカネゴン(第15話)の爆発的ヒットこそが、このジャンルを決定的なものにしたと言ってよいだろう。ピグモンに継いでは、いよいよこの“お友だち怪獣”を主役に据え、『快獣ブースカ』(1966年11月9日-1967年9月27日)の放映が開始される。と、ここまでは、先にも触れた金城哲夫をはじめ、山田正弘や市川森一など、シリーズ創成期を支えたウルトラ人の尽力・才覚のお蔭で、“お仕着せお菓子”の度合いはそんなにあからさまなものではなかった。カネゴンやブースカが子どもに受け入れられたのも、重々理解できる。自分も好きだ。だがそれは、もちろん「怪獣」としてではない。一個性としてだ。

 しかし以後が円谷の悪癖全開である。『チビラくん』(1970年3月30日-1971年9月25日)の放映をはじめ、劇場用作品『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』(1972年12月公開)など、怪しき雲行きにその針路は千々に乱れ、『ウルトラマンタロウ』(1973年4月6日-1974年4月5日)という究極とも言うべき噴飯物に到るのであった。また拙な私見になるが、こういった友好的ムードに彩られた押し付け・お仕着せ路線への偏向は、円谷プロを蝕むある種の病巣に思えてならない。爾後のシリーズにおいても、コンスタントにこの吹き出物は噴出する。タイショー(『ウルトラマンレオ』第35話)、テツオン(『ウルトラマン80』第39話)、ラセスタ星人(『ウルトラマンダイナ』第20話)、バモちゃん(『ウルトラマンネオス』第7話)、タブリス(『ウルトラマンコスモス』第54話)、ホップホップ(『ウルトラマンマックス』第35話)、ファントン星人(『ウルトラマンメビウス』第7・49・50話)などなど...。それらは如何にも「友好的でござい」といった姿態を晒け出し、悪趣味なデザインと相俟って、もはや気色悪い。何かそこには、「こういうものも絶対に作らなければならない」といった無言の圧力さえ感じる。しきたりや伝統、そのような因習めいたものを。

 ウルトラの外に目を向けても、ゴジラ・シリーズのミニラ(1967年~)や、『仮面ライダーアマゾン』(1974年10月19日-1975年3月29日)のモグラ獣人(第5話-第20話)など、マスコット的怪獣・怪人のどれだけうざったかったことか。よし怪獣に愛嬌や人間味、また哀愁を纏わせるとしても、「心ならずも暴れてしまった」という前提が必要だ。端から人間にすり寄って来る怪獣ないし怪人などは、以っての外。たとえばシーボーズ(『ウルトラマン』第35話)が、極めて人間のような所作を呈していても、「怪獣」として愛される由縁は、「心ならずも」が根底にあるからである。これを失墜してしまった仲良し怪獣の嬌態など、もはや喰えた代物ではない。カネゴンやブースカ、そしてピグモンでまんまと味を占めた円谷プロにあっては、どうかこのことを自覚してほしいと切に願うものであるが...
























ウルトラ 場外 ファイト

 アフリカの狩猟採集民族で、男子の平均身長が際立って低い“ピグミー”。それを名の来由とするピグモンは、身長1mに対して体重は僅か10㎏とある。人間と比較するのは適当でないが、体重10㎏とはあまりにも軽い。しかしながらピョンピョン飛び跳ねる俊敏な動きを見れば、その軽量にも納得がゆこう。また体表を覆う夥しいヒレ状のもの、あれが実は羽毛のように軽いのではとも考えられる。いずれにせよ、「珍獣は怪獣とはいささか異なる」ということを意図とした設定なのだろう。

 ちなみに“ピグミー”の語源は、ギリシア伝説の矮人族・“ピュグマイオイ”に由来する。また“ピグミー族”は、かつては世界最古の人類と呼ばれ、周辺の農耕民と共生関係を築いてきた。単に「背が低い」ということだけでなく、古来より人類と友好関係を締結してきたであろうピグモンの、その獲得形質に宿った性分にも繋がろう。






ウルトラ 場外 ファイト

 第37話「小さな英雄」におけるデパートのシーンで、玩具売り場で騒ぐピグモンは、陳列してあったガラモンの人形(マルサンの電動リモコンであろうか?)を見て目をパチクリさせる。誰の目にも明らかな「ガラモン→ピグモン」の再使用を、敢えて逆手に取った見事な演出だ。このあざとさを目撃した『ウルトラQ』からのファンが、ブラウン管の前で沸騰したことは容易に想像できる。次の日の学校で、登校した男の子らがランドセルを机の上に放り出し、「見た?昨日のアレ!」と白熱論議を交わす光景などは、列島のあちこちで見受けられたであろう。

 尚このデパートのシーンは、1984年の劇場用作品『ウルトラマンZOFFY』で再使用されている。眠りこけたピグモンが、夢の中で暴れるガラモンを「やめろよ!」と告諭するといった趣向だ。最初はモノクロのガラモンの映像を見て、「あれ~っ?ボクってこんなに大きかったかなぁ?」と空とぼけるのだが、この白々しさは、まぁご愛嬌と受け止めよう。




















ウルトラ 場外 ファイト

 たとえば昭和当時に発売された『ウルトラマン決定版!怪獣カード』(現代芸術社 1966年9月刊行)におけるピグモンの絵や、また海洋堂製ソフビ・キットのガラモン(1989年)の箱絵などは、成田亨自身の筆によるものだ。だがどういう訳か、これら成田によって描かれたピグモンとガラモンの指は、本編とは異なり4本指である。(実際画面に登場したものは3本指) 更に『怪獣大全集5 怪獣大学入門』(ノーベル書房 1967年9月刊行)において、成田によって描かれたガラモンなどは、何と人間と同じ5本指だ。「絵だから」「イメージだから」と言ってしまえばそれまでだが、一体何故このように指の本数を違えて描いたのか?興味は尽きない。















































ウルトラ 場外 ファイト

 科特隊のフジ・アキコ隊員役を演じた桜井浩子は、「ピグモンを触ると赤い塗料が手袋にべたべたついて大変だった」と証言している。撮影当時実際にピグモンに触れた者の貴重な生の声として、実に興味深い。塗料がそんなにも簡単に剥落してしまうこと自体、ピグモンの縫いぐるみが大急ぎでロケ先に搬入されたことを物語っている。
 また桜井は、出来上がってきたピグモンの縫いぐるみを円谷一監督に見せてもらって、「くちびるが気持ち悪い」と不服を述べたそうだ。その後くちびるが薄くなって戻って来たとも言っているが、これについてはどうだろうか?そもそもガラモンとピグモンのくちびるの厚さについて、殆んどその差異を見い出すことができない。ピグモンの登場するロケーションは、裏磐梯と三浦海岸のふた場所に跨って行われているが、先に行われたどちらかの撮影の後にくちびるが薄くなったということであろうか?いやしかし、初代ピグモン(第8話)と再生ピグモン(第37話)の間にも、くちびるの厚さに違いは見られないのだが...。

























ウルトラ 場外 ファイト

 第37話「小さな英雄」。デパートの玩具売り場に出現したピグモンを見て、「キャーキャー」喜ぶ女の子。子どもらしい愛くるしさが印象的だ。子どもは怪獣になってみたいし、怪獣に会ってもみたいのである。
 この女の子を演じたのは、近藤美智子という子役だ。彼女のチャーミングな笑顔は、『ウルトラマン』第4話「大爆発五秒前」の冒頭、バドミントン・コートでも見ることができる。
 対してピグモン出現に際し、たじろぐ大人たち。

怪獣を受容できない
“彼ら”の、ウルトラ出演作。

  • ピグモンが出現した
    デパートの支配人

    金井大
    • 『ウルトラQ』第7話
      「SOS富士山」


      巡査役
    • 『ウルトラマン』第20話
      「恐怖のルート87」


      伊豆シャボテン公園の警備員役
    • 『ウルトラセブン』第3話
      「湖のひみつ」


      吾妻湖の釣り人役
    • 『ウルトラセブン』第45話
      「円盤が来た」


      フクシン君が勤務する
      工場の
      社長役

  • ピグモンを見て
    尻込みする警官A

    鈴木和夫
    • 『ウルトラQ』第2話
      「五郎とゴロー」


      聾唖の青年五郎役
    • 『ウルトラマン』第11話
      「宇宙から来た暴れん坊」


      水着撮影をするキャメラマン役
    • 『ウルトラセブン』第11話
      「魔の山へ飛べ」


      生命カメラによって
      命を奪われる
      巡査役

  • ピグモンを見て
    尻込みする警官B

    中山豊
    • 『ウルトラQ』第4話
      「マンモスフラワー」


      東京広告社社員役
    • 『ウルトラQ』第12話
      「鳥を見た」


      漁師役
    • 『ウルトラマン』第10話
      「謎の恐竜基地」


      釣り人新田役

  • デパートの女性従業員
    毛利幸子
    • 『ウルトラQ』第10話
      「地底超特急西へ」


      いなづま号添乗員A役
    • 『ウルトラマン』第25話
      「怪彗星ツイフォン」


      マダム風の女役
    • 『ウルトラセブン』第42話
      「ノンマルトの使者」


      小学校の女教師役



















ウルトラ 場外 ファイト

ほのぼの世界における
ほんわかピグモンの
主な出演作

◆『ウルトラマンキッズ
  M7.8星のゆかいな仲間』
 (1984年3月公開の
  劇場用アニメーション作品)
玩具展開から発展した、
デフォルメ・キャラクター
たちによる日常。
◆『アニメちゃん』
(1984年公開の劇場用実写作品)
カネゴン・ピグモン・ブースカと
アニメちゃんが巻き起こす
珍騒動。
◆『ウルトラマンキッズの
         ことわざ物語』
 (1986年放映のTVシリーズで、
  週一10分間枠)
デフォルメされた
アニメ怪獣たちが、
知育番組に進出。
◆『ウルトラマンキッズ』
 (1989年春公開の
  劇場用アニメーション作品)
『USA』・『マン』第20話・
『A』第5話の作品の間を繋ぐ
短編ガイドアニメ。
◆『ウルトラマンキッズ
  母をたずねて3000万光年』
 (1991年から翌年にかけて
  NHK・BS2で放映された
  アニメーション作品)
NHKでは、
ハイビジョン放映を想定した
初のアニメ作品。
◆『ウルトラマンM730
  シュワッチ!イングリッシュ』
(1993年から翌年にかけて
 放映された、実写による
 5分間枠の帯番組)
ウルトラマンパワードと
ピグモンが、仲良く英会話。
◆『ウルトラマンM730
       ウルトラマンランド』
 (1996年に放映された、
 人形劇による5分間枠の帯番組)
ピグモンは
ウルトラマン80先生の
生徒で、みんなのまとめ役。
◆『ウルトラマン M78 劇場
        Love & Peace 』
 (1999年公開の
  劇場用アニメーション作品)
「MINI MINI」という話で、
ピグモンは風船芸を披露。















ウルトラ 場外 ファイト

米産ピグモン、
その隔絶感の正体

 『ウルトラマンパワード』に登場する怪獣は、基本的に初代ウルトラマン怪獣を基にデザイン・アレンジが為されている。よってパワードピグモンも、それが一般的に知られている“ピグモン”が元であることは、その姿を見れば瞭然だ。特段の説明を必要としない。

 だが何と言おうか。そもそもはアメリカ人向けに作られた『ウルトラマンパワード』であり、ハリウッドの特殊造型技術を以ってして製作された着ぐるみである。先ず感性が違う。パワードピグモンを見た日本人の何割が、果たしてこれを「かわいい」と感じ入るであろうか?おそらくは、極少数であろう。

 パワードピグモンをいま一度じっくり見てから、而して、たとえばアメリカで爆発的ヒットを記録し、その後日本上陸を果たした「キャベツ畑人形」や「ファービー」などを思い浮かべていただきたい。これらアメリカ産のキャラクターは、よし「アメリカで超ウケてる!」として、そのような過大喧伝でも打って箔を持たせるかしなければ、本邦においては「何だ、これは?どうかしてる」とか「気持ち悪い」とか、おそらくは唾棄され見向きさえされない代物に堕したことであろう。何となれば、「かわいい」とは到底思えないからだ。アメリカ人的愛玩のセンスと日本人のそれは、もちろん相容れるものではない。そこには風土や歴史、ナショナリズムなどによって截然としている。

 パワードピグモンが持つ、言ってしまえば“おぞましさ”と、「キャベツ畑人形」や「ファービー」に見る突拍子の無さとは、相通ずるものがあるように思えてならない。いずれも日本人が思う「かわいらしさ」とは、違う場所で息づく正体不明の「何物」かだ。アメリカ人の手による「かわいらしさ」は過剰が故に毒々しく、ゼリービーンズを彩る人工着色料のようで、日本人には馴染みが薄いのである。はんなりと適量に。米国産ピグモンには、これが欠けているように思える。

★★★

 ところでこのパワードピグモン。実写作品のウルトラでは、シリーズ初の「死ななかった」ピグモンとしてウルトラ史に位置付けられる。仇敵・レッドキングを前に、命を落とすことがなかった新生ピグモン。意味するものは何か?

 実はこれも『ウルトラマンパワード』という作品が、アメリカ人向けに制作されたということで説明がつく。「ピグモンが死なない」という決着は、米国人の国民性を慮った顕われと捉えられる。「かわいいものが死ぬ」などという発想自体、そもそもアメリカ人の想像の外にあるのだろう。

 思えばイギリスのウィーダの名作・『フランダースの犬』の映画化にあたって、肝腎なラスト・シーンを歪曲してまで、主人公や犬のパトラッシュが死ぬことなど決して許さなかった国だ。また「犬を飼う」ことを、ひとつのステイタスとしているような、愛玩動物大国である。怪獣であっても、健気でかわいいのならばそれはペットも同然、「人を助ける」という行為を「人間に忠実」と転化してしまう身勝手な読解力を振りかざす強靭な心根さえ持ち合わせていよう。そんな“愛すべき”忠犬にあっては、たとえそのものの死が何をか言わしめるものであったとしても、断じて死ぬようなことはあってはならないのだ。

 パワードピグモンは、何故死ななかったか。以上実に偏った僻目による臆見で甚だ恐縮だが。「死なない」ピグモンが描かれたシリーズ初のウルトラ。それがアメリカ産であったということが、どうしても無関係に思えないのだが、いかがだろう。



















































ウルトラ 場外 ファイト

 『ウルトラセブン』幻の作品に終わってしまった「宇宙人15+怪獣35」で、実はピグモンの登板が予定されていた。その役どころは『ウルトラマン』第37話のときと同じで、蘇生怪獣軍団による総攻撃をウルトラ警備隊に急告するために現われる。更にピグモンは、怪獣たちへの鎮静剤投与の無効性を指摘、怪獣同士を共食いさせる方策の有効性を説いた。作戦は功を奏し、35匹居た怪獣は、殺し合いの末にその数を僅か5匹に減らすこととなる。全ては、策士・ピグモンによる助言のお陰だ。

 このように、平和のために策略を巡らすピグモンの姿は、ある種使命を帯びた“ピース・メーカー”のようである。そのような性格は、『マックス』版で描かれた平和維持装置としてのピグモンに繋がるというもの。フィルム化には到らなかった作品だが、38年後のピグモンの在り様を予見していたことが実に興味深い。


















ウルトラ 場外 ファイト

 第8話において、ピグモンに助けられた測候所最後の生き残り。松井所員。演じたのは松本朝夫という俳優だ。松本はほかに、『ウルトラセブン』第2話で石黒隊員を演じた。宇宙ステーションから帰還し、植物の怪物・ワイアール星人と変貌するあの怪役である。松本のウルトラにおける出演は以上だが、そのほかにも特撮物には縁が深いようだ。主なものを以下に列挙してみる。

◆『幻の怪獣 アゴン』
 (1968年1月2日-1月5日)
 大和刑事役。
◆『闘え!ドラゴン』
 (1974年7月2日-12月24日)
 第18話 桜田正三役。
◆『プロレスの星
        アステカイザー』
 (1976年7月6日-1977年3月31日)
 速水博士役。
◆『宇宙刑事ギャパン』
 (1982年3月5日-1983年2月25日)
 第37話 神父役。
◆『特警ウインスペクター』
 (1990年2月4日-1991年1月13日)
 稲垣剛介社長役。








































































ウルトラ 場外 ファイト 10

 怪獣と人間との馴れ合い。その最たる象徴としては、第37話における「怪獣語の翻訳」が挙げられよう。

 ピグモンの音声を、人間の言葉に翻訳した東西大学の権田博士。演じたのは、浅野進治郎という俳優だ。浅野はほかに、『ウルトラマンタロウ』第15話「青い狐火の少女」でカオルの祖父役を演じた。そして『ミラーマン』第8話「鋼鉄竜(アイアン)大逆襲」においても出演が確認でき、円谷作品に縁深いことが窺えよう。

 また、録音テープによって再生されたピグモンのあの声。野太くも甲高い不思議な声の主は、小宮山清という声優のものだ。劇中では、早回し再生によって妙味な声質が表現された。小宮山はほかに、ウルトラにおいては、『ウルトラQ』第1話「ゴメスを倒せ!」でのジロー少年の声、同じく第15話「カネゴンの繭」におけるアキラ少年の声、そして『帰ってきたウルトラマン』第48話「地球頂きます!」でヤメタランスの声などをあてている。これらを聴き比べてみるのも一興かもしれない。









































































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名鑑 ピグモン /RO HG ミニピグモン ソフビ道 レッドキング

“優しさ”と“勇敢さ”









イマジネ ピグモン(up) /RO 同(long)

そして“儚さ”と...

































名鑑 ピグモン・ガラモン /RO キャラエッグ ピグモン パノラマ ガラモン HG ペギラ・チャンドラー

縫いぐるみ流用に見る往時の繁忙さ















HG ピグモン・レッドキング・ベムラー /RO 名鑑 ピグモン イマジネ レッドキング・ベムラー

高山工房、フル稼働!





























HG ミニピグモン X-Plus ガラモン /RO 名鑑 ピグモン・ガラモン

「悪」から「善」へ













パノラマ ピグモン・レッドキング(long) /RO 同(up)

“藤田ピグモン”はどこへ?








イマジネ ピグモン 名鑑 スカイドン・ザラガス /RO ソフビ道 ピグモン・ブースカ

一方で、小宅は勇躍する
















ソフビ道 ピグモン フルタ 高松君&咲っぺ /RO無し

「キャーキャー」言いたいし、言わせたいし







































HG ピグモン・バルタン /RO SDM ピグモン HG バルタン

優秀な“ツブラヤ・キャラクター”

























バンダイ パワードピグモン /RO無し

「かわいい」とは言い難い米国版





ウルトラマンティガ




ウルトラマンコスモス





ウルトラQダークファンタジー





HG ピグモン・マックス版ピグモン /RO HG マックス版ピグモン ソフビ道 レッドキング

新世紀のピグモンは、平和維持装置である

















































HG ミニピグモン・ハヤタ ソフビ道 レッドキング・チャンドラー・マグラー /RO無し

「怪獣」として「人間」に歩み寄る















名鑑 ピグモン ソフビ道 レッドキング /RO無し

同胞、すなわち「怪獣」とは解かり合えず...

















































キャラエッグ ピグモン ウルモン ジェロニモン /RO無し

立てよ!人類




















SDM ピグモン・ベムラー・バルタン・ネロンガ・ラゴン・グリーンモンス・ゲスラ・アントラー・レッドキング・チャンドラー・マグラー・ガボラ /RO無し

「かわいらしさ」を売りに

































名鑑 ピグモン 少年博物誌 子どもたち /RO無し

善良なピグモンには、見向きもせず


















 HG ピグモン・カネゴン・ブースカ /RO ソフビ道 ピグモン マルサン ダイゴロウ PHVS モチロン

“おともだち怪獣”の旨味に飛びつく円谷











キャラエッグ ピグモン イワクラ ミニラ HG モグラ獣人 /RO 名鑑 ピグモン・シーボーズ

無闇矢鱈と仲良くするな



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