オイリス島調査団らの手によって日本に持ち込まれた島原産の植物“ミロガンダ”が、植物の品種改良の権威・山田博士の実験によってガンマ線を照射され、その影響で突然変異し退行現象で幼年期の奇怪な食虫植物形態に変貌した。2メートルもの巨体を自らの能力で移動させ、虫はおろか人間さえ喰らう怪物となって、オイリス島調査団のメンバーらを次々に襲う。その理由は、ミロガンダはそもそもオイリス川沿いに生育し、河水に含まれる珪素を養分として吸収しており、身近に珪素が無くなった状況下で、オイリス川の水を飲んだ調査団員から珪素を摂取する必要に迫られていたのだ。体を軟体質に変化させ自在にドアの隙間をすり抜ける能力を駆使、調査団最後の生き残り・節子を狙う。だが科特隊によって阻止されたミロガンダは、スーパーガンの一斉射撃を浴びてそのエネルギーを吸収、更に巨大化し怪獣グリーンモンスとなって、深夜の丸の内ビル街に出現した。体中央部の筒状葉捕虫孔から麻酔液や毒花粉を撒き散らし、退治に現われたウルトラマンを苦しめる。弱点は花弁中央にあるクロロフィル核で、最期はウルトラマンのスペシウム光線でそこを狙われ焼き払われた。
“緑色の怪物”・グリーンモンスのデザインを手がけたのは、前衛美術家の成田亨だ。成田は前作『ウルトラQ』の中途より美術スタッフとしてウルトラ・シリーズに参加し、既成の生物が巨大化した単なる巨大生物ではなく、独特な個性を持った「怪獣」を多く生み出した。ガラモンやカネゴン、バルタン星人などは、40年以上経た今なお愛され続けている成田の傑作と言えよう。成田は怪獣を創造する原動力の基礎を「抽象性」に置き、ハイブリット効果を以て“宇宙時代のカオス”を体現したのだ。
シュルレアリスム画家のマックス・エルンストは、「動物のような植物」あるいは「鉱物のような植物」を、またそれらがどろどろに融け合った森を好んで描いた。植物と動物と鉱物の「融合」、あるいは「混乱」・「混沌」こそはシュルレアリスムの本懐であり、左右非対称が織り成す“カオス”を持ったグリーンモンスは、前衛美術家である成田の面目が躍如しているのである。
成田は他に、ケロニア(『ウルトラマン』第31話)やワイアール星人(『ウルトラセブン』第2話)などの植物モンスターを生み出している。グリーンモンスを含めそれらに通底しているのは、前述したとおり植物が持つ「左右非対称」性だ。このアシメトリーが何しろ怖い。何故なら多少の違いこそあれ、我々人間や動物は基本的には左右対称のコスモスを生きるものであり、したがって植物の如き片跛を畏れるのである。これがケロニアやワイアール星人のように、人型でありながら左右非対称の体を成すものなら尚更だ。「動く植物」は、我々にとって完全な「異者」なのである。(ちなみに『帰ってきたウルトラマン』第1話「怪獣総進撃」に登場するザザーンは、池谷仙克のデザインによるものだが、やはり左右非対称にデザインされた植物怪獣として印象深い)
さてグリーンモンスのアシメトリーを敷衍してみよう。身体の殆んどを占めている筒状葉捕虫孔は、歪な楕円状のフォルムを持つ。成長の結果、奔放に形成されたグロテスクを見る思いだ。右側にだけ存在する葉状の手(?)も不気味で、身体下部に付いた一対の目らしきものも厭な具合にズレて配されている。更に着目すべきは根幹部で、足は当然無く、その代わりに裾状のものが左側に引き摺った感じに棚引いているのだ。この左側への棚引きは、やや右側に傾いたグリーンモンスの身体を支えるものであり、右側にだけ存在する葉状の手と対称になることで、植物特有の偏り体型を完璧なものにしている。日光の光刺激に対する植物の走性とでも言おうか。ともあれ環境によっては「斜め」に育つことさえ自然な植物の奇怪さを、歩く植物・グリーンモンスは体現しているのだ。
成田亨が生み出した最も古い植物怪獣は、『ウルトラQ』登場のガラモン(第13・16話)だ。ガラモンは、今でこそ身体を覆う“生い茂り”は赤と認識されているが、当初は緑色で塗装される予定があり、動物(魚のコチ)と植物の合成怪獣という狙いがあった。
ガラモンに次いでデザインされた植物怪獣がこのグリーンモンスで、食虫植物(ウツボカズラ)としての「具象性」を顕わにしたことで、先人である「動物と植物の融合」怪獣・ガラモンとはまた違った試みのほどが窺えよう。植物の「抽象性」を強調したケロニアやワイアール星人などとも、もちろん異なるテイストだ。
グリーンモンスをウツボカズラならしめている具象性は、捕虫嚢を髣髴とさせる大きな“筒状葉捕虫孔”である。着ぐるみという制約によって下方へ広がる嚢状は叶わなかったものの、それでも縦長に大きく開かれた楕円状の捕虫孔は圧巻と言うほかない。甘い香りに虫が惹きつけられるように、グリーンモンスのアイデンティティは全てこの孔に集約されるのである。ウツボカズラに着想しながらも、その嚢ではなく孔の方に着眼した成田のセンスが、クロロフィル核さながら妖しい光を放つのだ。
ウツボカズラなどの食虫植物は、それだけでもう不気味である。植物という不動の生物ながら、飛び交う昆虫を捕らえてこれを食すのだ。まさに「怪しい生物」としては恰好の素材であり、もちろん怪獣だけではなく怪人にも食虫植物に着想したものの白眉が存在する。『仮面ライダー』に登場したサラセニアン(第4話)やハエトリバチ(第92話)が、その代表例と言えよう。サラセニアンもハエトリバチもその名が示すとおり、サラセニアとハエトリソウをモチーフとした怪人だ。グリーンモンス、サラセニアン、ハエトリバチ。この3体をもって、“昭和の三大食虫植物怪獣・怪人”としても何ら差し支えなかろう。
食虫植物ないし食肉植物に着想したウルトラ怪獣は、実はグリーンモンス以降殆んど類を見ない。もちろん植物怪獣は多く登場するが、殊“食虫植物怪獣”となるとその例は皆無と言ってよいだろう。唯一『ウルトラマンメビウス』に登場するボガール(第6話~)が、餌である怪獣を捕食する部位の形態をもって、ハエトリソウに着想したと言えなくもない。「怪物」として恰好の素材である食虫植物。これをモチーフとした怪獣の少なさは、一体何故なのだろう。
それは身体が巨大な「怪獣」である以上、捕食する対象も巨大でなくてはならないということに起因するのではなかろうか。つまり餌となるものも必然と巨大でなくてはならないことになり、食虫植物怪獣の食欲を満たす餌怪獣という発想自体、いくら何でも無理があるのだ。上記のボガールのように、「呼び寄せた怪獣を捕食する」という理由づけが無い限り、食虫植物怪獣は有り得ないのである。まあボガールの成功は、当然CG技術の発達も一役買っているのだが。
食虫植物怪獣はその特殊な生態上、捕食シーンが最大の見せ場となる。もしこの特異な食事行為を省けば、それは食虫植物としての醍醐味を欠いたことになり、モチーフとしたことが無意味になろう。何のためのウツボカズラか、何ゆえのハエトリソウか、分からなくなってしまうのだ。よって食虫植物のモンスターは、余剰な着ぐるみ製作に充てる予算やリアルな捕食シーンを作り出す映像技術から鑑みて、人間を喰らう程度の大きさが関の山なのである。『仮面ライダー』に登場したサラセニアンやハエトリバチなどの食虫植物「怪人」が、極めて効果的な不気味さを発揮しているのは以上のことによるものなのだ。
食虫植物「怪獣」であるグリーンモンスは、巨大化の過程において等身大の大きさで人を襲っている。それは対象となる人間の体内に蓄積された珪素を狙っての行動なのだが、その見た目はやはり捕食行為と言えよう。この点においては、食虫植物モンスターとしての面目を躍如している。では、更に巨大化したグリーンモンスはどうか?その巨体に見合った餌の無い、「巨大」グリーンモンスの場合は?
夜のビル街に咆哮する異形の主は、巨大であっても不気味さは健在だ。そこには、否応無しに巨大化させられ行き場を失った生物の、やり場のない怨嗟が顕現している。こういった物語性、すなわち人間によって元の生態を狂わされたストーリーにおいてこそ、巨大食虫植物という怪獣が成立するのだ。したがってグリーンモンスは、巨大な餌を捕食しないでも成り立つ理由づけが、実は極めて画期的なのである。
以上のように不気味極まりない容姿を持つグリーンモンスだが、唯一点、腑に落ちない要素がある。それは先にも少し触れた、身体下部にズレた具合で付いた一対の目だ。
この目の形状については、「如何にも」感がどうしても否めない。例えばおとぎ話で出て来るような、木の魔物に付いている目。それはもはや「怪獣」のものではなく、おとぎ話や洋画モンスターのそれであり、嘘くさいケレン味がプンプン臭ってくるのだ。言ってしまえば、子ども騙しである。この目ひとつでもって、グリーンモンスの怖さは半減してしまうと言ってもよいだろう。そもそも植物然とした形状のものに、目は要らないのである。「怪獣はどこかに生きている形でなければならない」をデザイン・ワークの規範とした成田亨が、何ゆえ斯様な不自然極まりないマンガ的な目を配したのか?
それは分かりようもないが、ひとつ考えられるのは、本エピソードの監督を担当した飯島敏宏の要望である。飯島は第2話登場のバルタン星人についても、「大きなハサミを」とデザインに口を差し挟み、「超文明を築いた宇宙人がこのように大きなハサミの手である筈がない」と主張する成田と意見を戦わせた。もっともバルタン星人については、その後の人気振りを鑑みれば、飯島の意見が好ましい方へ作用した例であろう。
本エピソード「ミロガンダの秘密」は、怪奇ムード漂う趣きだ。監督である飯島が、怪奇度を増すために主役であるグリーンモンスの容貌に、口を差し挟むことは充分考えられる。当然美術的センスが劣る監督業の短絡な発想として、あのマンガ的なモンスター目は安易に辿り着いたであろう。全て憶測に過ぎないのだが、グリーンモンスの目はどうしても成田のものとは考え難く、したがって監督の飯島かもしくは円谷プロ側の意向が反映されているとしか思えないのだが、いかかだろう?
だが、グリーンモンスは背面にいまひとつの目を持つ。これは明らかに成田発想のものと言えよう。何故なら、成田がデザインを手がけた傑作怪獣・ケムール人(『ウルトラQ』第19話)に、これと同じ「第3の目」の存在が認められるからだ。ケムール人もズレた一対の目を持ち、そして後頭部にもひとつの目を持つ。ちなみにケムール人のエピソードも、飯島監督がメガフォンを執った。
あまりにも不自然で、マンガ的なグリーンモンスの目。「第3の目」は、成田によるその抗弁。こう考えたら、穿ち過ぎだろうか?
さて意匠と造型の最後に、グリーンモンスの植物怪獣としての質感について触れておかなければ、片手落ちであろう。一見してサボテンと見紛う容姿のグリーンモンスだが、そのうち震える肌は多肉植物のものではなく、やはり「怪奇植物」のものと言うほかない。
身体をグニャグニャ曲げる柔軟性と、如何なる攻撃にも耐え得るであろう吸収性。植物の生命である湿潤さえ感じさせる肌質は夜の闇に鈍く光り、身体を震わせて緑色の怪しげなガスを噴出させるグリーンモンスの毒々しさを彩る。ふるふると震える黄色いクロロフィル核に、生物の熱い息遣いの源泉を見る思いだ。
グリーンモンスの造型を手がけたのは、東宝特殊美術課出身で後に開米プロを設立した開米栄三である。成田亨とのいわゆる“ゴールデン・コンビ”であった高山良策造型によるものではない。だが成田が意図とした左右非対称の混乱や妙味を、開米はあの不快な質感とともに見事応えている。なるほど『ゴジラ』(1954年)に携わった手腕は健在だ。同じ「成田・開米コンビ」による怪獣としては、『ウルトラQ』のピーター(第26話)と並んで会心の出来と言えよう。
グリーンモンスを演じたのは中村晴吉である。『ウルトラQ』ではM1号(第10話)やカネゴン(第15話)などのコミカルな役柄を演じ、後に快獣ブースカ役にまで抜擢された中村だが、不気味さ一辺倒で押しまくるグリーンモンスを演じたことは実に興味深い。
中村の演じた「奇」がカネゴンやブースカなら、グリーンモンスやバド星人(『ウルトラセブン』第19話)は中村の「怪」と呼べる部分であろう。まさに「怪奇役者」の名に相応しい。
グリーンモンスの物語において刮目すべき点は、緻密に設定されたその出自だ。謎の怪死事件続発に沿って、次第に判明してゆくミロガンダの正体と凶行の理由。何故オイリス島調査団員だけが狙われるのか?蠢く巨大植物との関係は?被害者とミロガンダを結ぶ点と線。珪素...。このように、怪獣の性質や出現の経緯を主軸にストーリーが展開してゆくことこそ、『ウルトラマン』という作品が「怪獣主役」であることの証左なのである。
吸血鬼さながらに夜な夜な人間を襲う怪物。これはメインライターである金城哲夫が好んで用いた題材であり、洋画モンスター好きだった金城の嗜好性が強調された作品と言えよう。本エピソードの脚本こそ藤川桂介のクレジットだが、プロット自体を手がけたのは金城で、かなり前から暖めていたものだ。島の調査団メンバーだけが襲われて怪死を遂げるというストーリー展開は、「ツタンカーメンの呪い」における発掘調査団の怪死事件のまさにそれである。尚、その「ツタンカーメンの呪い」さながらミイラ人間の恐怖を描いた『ウルトラマン』第12話「ミイラの叫び」も、プロットを手がけたのは金城自身だ。
ほかに金城脚本作品の中で「洋画モンスター」への嗜好性が色濃く反映されたものとしては、『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」や『ウルトラセブン』第2話「緑の恐怖」などが挙げられる。殊に「緑の恐怖」では、グリーンモンスと同じ植物怪物のワイアール星人が登場し、金城の植物モンスターへの傾倒も窺い知れると言うものだ。
金城の植物系モンスターへのこだわりは、『ウルトラQ』第4話「マンモスフラワー」に端を発している。このように、『ウルトラQ』・『ウルトラマン』・『ウルトラセブン』の3作品において、制作区分Aブロック班の第1作もしくは第2作に必ず「植物怪獣もの」が制作されているのも、メインライターである金城の嗜好性の顕われなのだ。
そもそも“グリーンモンス”という名前自体、「緑色の怪物」を表わすものであり、それは「怪獣もの」であると言うより「モンスターもの」の色合いの強さを示していると言えよう。“グリーンモンス”の“モンス”は言うまでもなく“モンスター”の略であり、「怪獣」ではなく「モンスター」を描きたかった金城の意趣の顕われと捉えることもできるのだ。
同じ金城が名付けた「モンスター」怪獣として、『ウルトラQ』に登場したガラモン(第13・16話)が挙げられる。“ガラモン”の名は、隕石を表わす“ガラ玉”の“ガラ”に“モンスター”の“モン”をくっ付けたものだ。このガラモンの着ぐるみを改修したピグモン(『ウルトラマン』第8話)も、“ピグミー”(小人族)の“ピグ”に“モン”を付けたものであり、更にジェロニモの名をもじったジェロニモン(『ウルトラマン』第37話)と併せて、グリーンモンスやガラモン同様の名付け方式が踏襲されたと例と言える。そしてピグモンやジェロニモンが登場するエピソードもやはり、金城哲夫脚本による作品だ。
金城が礎を築いた初期ウルトラ3作品において、“モンス”あるいは“モン”の名を持つ怪獣は、上に挙げた4体すなわちグリーンモンス・ガラモン・ピグモン・ジェロニモンを挙げるばかりだ。しかも全て金城脚本作品に登場する怪獣であるということが、金城の「モンスター」傾倒のほどを強力に裏づけている。
「洋画モンスター」ものには、怪物に襲われる美女が付き物だ。「美女と野獣」。このコントラストこそが、気味の悪い作品性に深い彩りを付与するものであり、化け物が醜怪であればあるほど淫靡な色合いも増すというものだ。
本エピソードでも女流カメラマン・浜口節子が、「襲われる美女」として登場する。その節子を演じたのは、美人女優の若林映子だ。調査団員たちが次々と怪死を遂げるなか、最後に生き残った一人がこの美女であること自体が、本エピソードの怪奇性を象徴的に物語っている。
若林はこれのほかに、『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」で、万城目らとともに洋館を訪れる今日子役として出演しており、やはり大グモに襲われる「美女」を熱演している。醜悪な大グモに対する美女という変態的コントラストはここでも健在で、脚本を手がけた金城の趣味世界を垣間見る思いだ。
ちなみに若林は、東宝映画 『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)で演じた「金星人の王女」役の印象が強い。特撮ものの「美女役」として功績が大きいだけに、その自殺が惜しまれるところだ。
本エピソードの監督を担当したのは飯島敏弘だ。巨大化したグリーンモンスが、夜のビル街にその異形を現わすシーンは印象深い。この物語の最高潮であるとともに、間違いなくウルトラ原体験のひとつに挙げられる。
いま一度DVD などで、そのシーンを確認していただきたい。暗緑の鈍色の輝きとともに、身を震わせながら狂ったように咆哮する異形は、圧巻と言うほかない。人間の勝手によって怪物になってしまったことに対する怨嗟が、人類の繁栄の象徴である丸の内ビル街を蹂躙する。このシチュエーションに、発信者・飯島の魂が揺らめくのだ。
そして時計塔を挟んでのウルトラマンとの対峙においても、効果的な演出が光る。一瞬の静寂、鳴り渡る鐘の音、時計塔を破壊するグリーンモンスという、この「静」から「動」への流れ。ガスを噴霧しウルトラマンを組み伏せる展開から炎上する最期まで、途切れることのない緊張感に鳥肌さえ泡立つ。
飯島監督による「夜の街に立つ異形」の演出は、『ウルトラQ』のケムール人(第19話)や『ウルトラマン』のバルタン星人(第2話)で立証済みだ。夜の遊園地で観覧車を襲撃する巨大怪人と、ビル屋上で身構える科特隊の前にヌッとその巨顔を現わす侵略者。飯島ならではの構図であろう。
そのほかに「夜の飯島」の仕事としては、『ウルトラセブン』第39話「セブン暗殺計画(前編)」におけるウインダムが挙げられる。グリーンモンス、ケムール人、バルタン星人、そしてウインダム。いずれについても、現実世界が瓦解する瞬間がそこにある。
さて『ウルトラマン』ではこの第5話までに、五者五様の怪獣の姿が登場する。爬虫類体型が著しい宇宙怪獣ベムラーに始まり、セミの顔と大きなハサミを持った侵略宇宙人のバルタン星人、無骨な巨体の古代怪獣ネロンガ、半魚人のラゴン、そして植物怪獣グリーンモンスと、まさにひとつところに落ち着かない変幻自在なバラエティーさだ。そしてその後に続く海の怪獣ゲスラ、昆虫型怪獣アントラーと、『ウルトラマン』という作品世界の底力を怪獣の姿に見ることができよう。
しかし怪獣の出自については、偏った傾向が顕著なようだ。『ウルトラマン』第1クールでは、「心ならずも」怪獣になってしまった例が頻出する。ネロンガ(第3話)は電気エネルギーを喰らって怪獣化、ラゴン(第4話)は原爆の放射能によって巨大化し、グリーンモンス(第5話)も実験によるガンマ線が原因で退行し巨大化した。更にゲスラ(第6話)は汚染された海水によって怪獣化、ギャンゴ(第11話)は人間の醜い欲望によって斯様な姿に変貌と、いずれも何らかの人的作用が働いている。「怪獣」というものを描くにあたり、押し寄せる近代化の弊害は無視できないということであろう。
怪獣は自然界からはみ出た超力の象徴であり、また強大な力を持つが故に「異者」として排除される存在である。その「異者」自体を、実は人間自身が作り出している可能性もあるということを、これら「心ならずも」な怪獣たちは我々に教えてくれるのだ。文明批判は、「異者」によって視覚的にもたらされるのである。
グリーンモンスは同じ植物怪獣であるスフラン(第8・26話登場)同様、昭和当時の怪獣図鑑などではイラストによる掲載が多かった。これは、グリーンモンスやスフランを写した写真のネガが、80年代後半まで行方不明だったことに起因する。
『ウルトラマン』第5話「ミロガンダの秘密」と『ウルトラセブン』第2話「緑の恐怖」は、実は複雑に絡み合った密接な関わり合いがある。それは単に両作品とも植物怪獣が登場するという共通性だけではなく、換骨奪胎とも言うべき血縁関係が存在するのだ。最古参プロット時のタイトルから時代順に追って、その関係を以下に敷衍してみよう。
プロットとしては「ミロガンダの秘密」としてフィルム化され、また「緑の恐怖」のタイトルは同じ植物モンスターの別エピソードとして作品化されたことになる。まさに金城哲夫の執念を見る思いだ。