発狂した科学者による核実験で母星が爆発、宇宙旅行中でたまたま難を逃れた20億3千万人にも及ぶ宇宙の放浪者だ。船内でミクロ化冬眠状態になり、生存に適した天体を探し求め続けていた中、宇宙船修理に立ち寄った地球を気に入り、一体だけがノーマルの大きさとなり、地球強奪の根城として御殿山の科学センターを占拠した。強烈な電波と不気味な嗤い声を発し、分身術や瞬間移動などを駆使した撹乱戦法で科特隊を翻弄する。宇宙語を解する頭脳を持ち、交渉に赴いた科特隊に対して、乗っ取ったアラシの口を通じて地球強奪を宣言した。巨大化した身体は核兵器「はげたか」の攻撃にも耐え、両手の巨大なハサミからは白色の破壊光線を発する。ウルトラマンとは空中戦を展開するが、苦手な“スペシウム”光線を浴びて最期を遂げた。宇宙船はウルトラマンによって宇宙に運び去られ、地球侵略は失敗に終わる。
おそらくはその名を知らぬ者は居ないほどの、『ウルトラマン』を、いや『ウルトラシリーズ』を代表する有名宇宙人である。何となれば「セミ顔」と「巨大なハサミ」というその異様な容貌こそが、バルタン星人を斯様なスターに仕立て上げた要因であろう。
極めて有機的な体躯に付属した金属的なハサミ。この組み合わせは、単なる「グロテスクさ」から宇宙生命体としての「不可思議さ」へと、意味合いの変換をもたらす。もしバルタン星人に斯様な巨大なハサミが無かったとしたら、果たして今日に見る人気が有り得ただろうか。その答えは、言うまでもないだろう。
だが、バルタン星人最大の特徴である巨大なハサミについては、その誕生にいささか逡巡があったようだ。そもそも巨大なハサミ自体は飯島敏宏監督のアイデアなのだが、デザインを担当した成田亨は「高度な知能を持った生き物がこのような巨大なハサミであるわけがない」と、当初は物や道具をつかんで扱えるような小さめのサイズのハサミをデザインした。しかし結局は飯島監督の意見が採択され、現在に見る巨大なハサミのデザインに到ったのだ。監督とデザイナー。「いいものをつくる」ための忌憚の無い意見のぶつかり合いが、バルタン星人の巨大なハサミを通じて窺えるのである。
確かに成田が主張したように、高度な文明を築いた知的生命体の手が、斯様なハサミ状というのは如何にも不自然極まりない。地球人を遥かに凌ぐ超科学力で、他天体にまでその覇権を拡げようと言うのだ。物を掴むのがせいぜい関の山であるようなハサミ状の手先では、その説得力に欠けるのも至極真っ当な話しである。
だがこれを倣うかのように、ハサミ状の手先、もしくは単純なツメ状構造の手先を持つ侵略者が、後続のウルトラシリーズにおいてしばしば襲来することとなる。中でも特筆すべきは、『ウルトラマンA』に登場する巨大ヤプール(第23話)の右手や『ウルトラマンタロウ』登場のテンペラー星人(第33・34話)、そして『ウルトラマンネオス』のザム星人など、そのシリーズを代表する侵略宇宙人にこの意匠が見られることだ。この一事を以ってしても、バルタン星人のハサミの強烈なインパクトを雄弁に物語るものであり、その発想が如何に優れていたかが窺い知れるだろう。
更に成田にとって「不本意」であったバルタン星人のこの手先は、逆に成田自身のデザインの幅を拡げたとも言える。それは、次作『ウルトラセブン』に登場する宇宙人たちの手先を見れば明らかだ。“侵略宇宙人もの”を謳う『ウルトラセブン』では、人類の科学力を超越する宇宙人たちが数多く登場する。悠久の時間の中で、超文明を築いた筈の彼ら。だが超科学を発展させていったその手先は、「指」という観念から解放されて自由なのだ。クール星人(第1話)やゴドラ星人(第4話)、ビラ星人(第5話)、メトロン星人(第8話)、チブル星人(第9話)の手先をいま一度見ていただきたい。超科学力を持って人類に挑戦する彼らの手先には、指など無いのだ。彼らは決して「有り得ない」などと揶揄されない。むしろ、成田怪獣の傑作の部類に入る。
指の不在が、何も「高度な文明を持つ知的生命体ではない」ということを説明し得ない。成田が言う「宇宙時代のカオス」とは、まさにバルタン星人のハサミに始まったのかも知れない。
有機体である「セミ」と、無機物である「ハサミ」。これらの結合。それは言うなれば「異種交配」であり、バルタン星人が放つ異彩は、同俎上に存在する筈のないもの同士の融合による、「ハイブリット効果」の賜物にほかならない。
「ハイブリット」とはつまり、異なる事象の強制的な一元化であり、有機体と無機物の唐突な出遭いを意味する。バルタン星人におけるそれはすなわち「ヒト+セミ+ハサミ」で、そこではグロテスクが奔放にほとばしっているかのようだ。日本の特撮における侵略宇宙人のイメージを決定づけたとも言えるこのバルタン星人は、デザインを手がけた成田亨の前衛美術における志向性が、最も典型的に結実したシュルレアリスムの傑作である。
前衛芸術の基本原理のひとつである“オートマティスム”によって、成田自身は無意識に根ざす想像力を解放する。そこで成田が直面する「唐突さ」こそが、無意識の痕跡を意識の前面に引きずり出すのであり、バルタン星人を見る我々にも同体験としての効果をもたらすのだ。
ハイブリット効果がもたらす「唐突さ」との直面は、作り手・送り手の攻撃にほかならない。バルタン星人の姿をいま一度見ていただきたい。セミ顔を持った人型に、単にハサミがついている訳ではない。頭部のフィルター状のものや腰蓑のような造作に加えて、刮目してほしいのは体表に顕われた質感だ。まさに有機体と無機物が「融合」した、前人未到の生命のそれである。
バルタン星人の異様な容貌が見る者に与えるのものは、単なるショックではないのだ。「それが何処かに本当に存在している」という畏れを意識の前面に浮上させる、現実と空想の境界を崩してしまうような「危うさ」なのである。その「危うさ」を感じる瞬間こそが、ウルトラ原体験なのだ。
さて、見ようによってはユニバーサル映画『宇宙水爆戦』(1955年)に登場する昆虫人間の影響が、色濃く反映されているとも取れるバルタン星人。その昆虫顔。もともとは『ウルトラQ』に登場したセミ人間(第16話)のマスクを流用している。高山良策が造形したセミ人間の頭部を、佐々木明が成田亨のデザイン画をもとに改造したものだ。
昆虫の顔を持った侵略宇宙人。この発想に、成田はある程度のこだわりがあったと見られる。『ウルトラセブン』では、トンボの顔を持ったピット星人(第3話)や、コオロギに着想したベル星人(第18話)が登場した。またシャプレー星人(第20話)やカナン星人(第24話)などは、昆虫の複眼を思わせる意匠だ。だがいずれにせよインパクトの点において、バルタン星人を凌ぐものはその後のシリーズにも見受けられない。創造した成田本人でさえ越えることができなかったバルタン星人は、まさに孤高を誇る昆虫顔の宇宙人なのだ。
バルタン星人の全身のスーツは、『ウルトラQ』登場のケムール人(第19話)で使用されたウェットスーツを基盤とした。これに胸部や腰蓑、そして両腕に巨大なハサミを施している。頭部のセミ人間流用同様に、やはり身体も『Q』怪獣からの借り物なのだ。
そしてぐるぐると回転しながら発光する目玉は、ウルトラマンのカラータイマーの点滅などでお馴染みの機電担当・倉方茂雄による職人技だ。いかなる生物の常識にしろ、回転する目玉などは気色が良いものでは決してない。バルタン星人の顔のアップ・シーンに刮目してほしい。その不気味な目玉の回転に驚かされることだろう。
セミ人間の改造であることと、高度な知的生命体の有り様として巨大なハサミに違和を持っていた成田は、後に「気に入ってない」と自伝で述懐している。とは言えバルタン星人は、間違いなく本邦における侵略宇宙人の姿を決定づけた嚆矢であるとともに、「傑作」であることは揺らぐことのない史実なのだ。
バルタン星人を演じたのは佐藤武志で、このほかに佐藤が怪獣を演じた記録は特に無い。ちなみに『ウルトラセブン』を代表する怪獣・エレキング(第3話)を演じたのは池田芙美夫だが、池田もこれ以外に怪獣を演じていないのである。両者ともまさに、唯一無比の存在だ。
コルクに石膏を塗って造形されたバルタン星人の巨大なハサミには相当な重量があり、演者がこれを水平にして身構えるのは困難であった。ハサミを縦にして上下に揺さぶる特徴的なポーズは、これが原因で生まれたのである。
「フォッフォッフォッフォッ」でお馴染みの、バルタン星人特有のあの不気味な嗤い声は、東宝映画『マタンゴ』(1963年)からの流用だ。これは東宝効果集団のメンバーが、『ウルトラマン』のスタッフとして参加していたことに起因する。マタンゴから『ウルトラQ』のケムール人を経て、バルタン星人に受け継がれた嗤い声。まさに不気味さを醸し出すのにうってつけだ。
人気者の宿命とも言うべき2代目3代目への継承は、シリーズを越えて今尚現在進行中である。時代とともにウルトラヒーローがその姿をモデル・チェンジするように、バルタン星人もまた時に激烈な変貌を遂げてゆく。それは「初代」の姿と較べれば「これが同族?」と見紛うほどで、それは『ウルトラマンパワード』(1995年)のパワードバルタンや『ウルトラマンコスモス』(2001年)に登場するネオバルタンなどに顕著だ。
しかしながら「セミ顔とハサミ」、これだけは脈々と踏襲されており、この遵守が示すのものは「セミ顔とハサミ」こそがバルタン星人の揺らぐことのないアイデンティティーということなのである。
空は飛ぶ。分身はする。瞬間移動する。ミクロ化する。巨大化する。イデの話す宇宙語は分かりづらいので、地球人(アラシ)に乗り移って人語を解す。ハサミからは人を硬直させる赤色光線と、白色の破壊光線を発射。と、マルチな能力を発揮して八面六臂の大活躍。まさに“宇宙忍者”そのものだ。前番組であった『隠密剣士』(1962.10.7-1965.3.28)に登場する、当時一世を風靡した忍者。その宇宙人版のイメージである。
バルタン星人生みの親は、脚本を手がけた千束北男だ。千束北男は、飯島敏宏監督の脚本執筆時のペンネームである。成田亨が創造した異様な姿とともに、侵略宇宙人のイメージを決定づけたのはこの飯島なのだ。
しかしこの“宇宙忍者”における、能力の非常識さはどうだろう?翼や羽などの器官を有さないものの飛行は重力の常識を無視し、瞬間移動は空間と時間を超越、身体の伸縮は質量の定説を度外視している。分身に到っては、どういったメカニズムに基づくのであろう。忍者技でなければ、奇術師か何かだ。超常現象や奇跡の類いである。まさに人智を超え、そして人智を嘲笑する宇宙生物の非常識だ。
殊に“分身の術”は、特別な宇宙人に附加された特別な能力であるようだ。『ウルトラセブン』のガッツ星人(第39・40話)は、分身能力でセブンを翻弄し苦しめた。また『ウルトラマンA』のヒッポリト星人(第26・27話)は、分身ではないが虚像投影を効果的に使い、何とウルトラ兄弟抹殺の実績を持つ。ウルトラ戦士が虚像に弱いのか、いずれにせよ分身の術は、強さの証しであるようだ。その定説を開拓したのが、“宇宙忍者”バルタン星人なのである。
バルタン星人の不気味さが窺えるシーンとして、科特隊との対話の場面が挙げられよう。そこでバルタン星人は、生命の概念を理解できない様子を見せる。我々地球人とは異なる生命観に基づくこのバルタン星人の態度は、底知れぬ不気味さが漂っており、人智及ばぬ宇宙生物の常識を端的に表現したシーンとして白眉だ。
高度な知能を有しながらも、“生命倫理”なるものを全く解さない。同族の死に対して、悲しみや怒りなど、果たして我々人類と同様の“感情”を持つことがあるのだろうか?ただ単に種の保存のために、本能に忠実なだけのマシンのような生物なのだろうか?発達した知能に感情が付随しないなど、一体有り得るのだろうか?かつて田中角栄は「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれたが、ハサミ状の手と無感情な高知能がこのニックネームを髣髴とさせる。地球人の考えも及ばぬところに、バルタン星人なる種は立脚しているのだ。
また、20億3千万もの同胞がバクテリア大にミクロ化し冬眠状態にあり、移住先の選定などを一人の個体に委ねているというのも、人類の常識からすれば測り知れない性質だ。二代目(第16話)登場時に見せた特質として、無数のバルタン星人が集結合体しひとつの巨大な個体へと変転を遂げるというものがあるが、まさに同じ精神を共有する「群体生物」さながら、一個体の意志がバルタン星人という種族の総意であるということなのだろうか。
このように無数の同個体が集結して巨大な一個体となる怪獣は、CG技術の発展に伴い平成に入ってから特撮作品において数多く登場するようになった。その代表怪獣としては、劇場用作品『ゴジラVSデストロイア』(1995年)のデストロイア、そして『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年)に登場するレギオンが挙げられよう。また『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)のメガギラスも、この部類に入る。これらの怪獣は平成のCG技術によって、さながら昆虫の大群のように描かれた。しかし昭和のバルタン星人は、その群体生物の有り様をブルマァク人形を使って表現しており、そこにアナログの妙味が見て取れる。
上に挙げたデストロイア・レギオン・メガギラスはともに、あくまでも「怪獣」である。だがバルタン星人は、超文明を築くほど高度な知能を持った知的生命体だ。昆虫の名残りはその顔に留めるが、体躯は四肢を有し直立二足歩行、大まかなシルエットは我々「ヒト」とそう大して変わらない。優秀な頭脳を持ったヒト型生物のこのような群体の生態は、我々人類からすれば至極不可解であり、またこれがバルタン星人という種の不気味さを加味するものである。
「強い」あるいは「カッコいい」ということで、ヒーローの敵役が人気者になったりするが、バルタン星人は決して「強い」わけではなく、また「カッコいい」とも言い難い。ダダ(第28話)や『ウルトラQ』のナメゴン(第3話)、ケムール人(第19話)などの例もあるが、不気味さで人気を博するのはウルトラ怪獣に顕著であると言えよう。いずれにせよバルタン星人の今日の人気振りは、「宇宙の知的生命体」という未知なるものに、不可解さ極まる性質を肉付けした飯島敏宏監督の功績だ。
さてバルタン星人は生誕よりちょうど40年後の2006年、『ウルトラマンマックス』で幾度目かの登場を果たす。第33・34話「ようこそ!地球へ」の前後編における、このバルタン星人の物語。脚本を手がけたのは、何と千束北男(飯島敏宏)だ。40年目にして再びバルタン星人の物語を、千束自ら書いたことは、ファンにとっても感慨がひとしおである。
“宇宙忍者”。先にも触れたように、バルタン星人が持つ特殊能力、すなわち飛行・分身・瞬間移動・身体の自在伸縮などは、人類の叡智を遥かに凌駕・超越している。妖しの法術で以って人間の理知を惑わす忍者。その宇宙版としての位置づけが、つまり“宇宙忍者”という別名の由縁なのである。
謎に満ちた大宇宙。その「宇宙」の後に「○○」をくっ付けるという作為。このとき「○○」に宛がわれるのは、地球上の常識に照らし合わせた事象である。「宇宙」+「地球上の何物か」。このように、科学や人文分野で律せられ人びとの認識下にあるものを「宇宙」に附帯させる所為には、それを以って不可解さへの取り敢えずの対処とした恣意的な心根が見て取れる。たとえばバルタン星人なら、○○に充当するのは「忍者」だ。〔忍者〕と名付ける根底には、人智では解析出来ぬ能力ではあるが、一応はそれを「忍術」として捉え記号化し、人類の大脳内で補完し割り切ろうとする試み・企図がある。“体系化欲”とも言うべきこの根差しこそが、〔宇宙○○〕の正体なのかもしれない。
“宇宙恐竜”ゼットン(『ウルトラマン』第39話)。その桁外れな強靭さを、太古に栄華を極めそして絶滅した「恐竜」に準え、「宇宙」と合体させることで、不可解な宇宙生物に対する一先ずの解決を標榜した〔宇宙○○〕の適例だ。「恐竜」は人知の枠内にあるがしかし、まだまだ未知の部分が多い。何しろ相手は、気が遠くなるほどの大昔に棲息した遥か悠久の住人だ。“宇宙恐竜”という銘打ちには、人類の知恵の下に律しようとした意図がある一方で、同時に「神性」を纏わせようとした畏敬の念が込められているのではなかろうか。“宇宙忍者”と“宇宙恐竜”。初期ウルトラにおける〔宇宙○○〕の名作が、奇しくも『ウルトラマン』に集中傑出したことが、何やら象徴的に思えてならない。
ともあれ〔宇宙○○〕という名付けは刺激的で、血潮滾る遊戯に似た趣きがある。(この場合“宇宙怪獣”や“宇宙人”、“宇宙ロボット”、“宇宙怪人”、また“宇宙○○怪獣”などは無論除外) 思えば、『ウルトラQ』の“宇宙エイ”ボスタング(第21話)で始まった〔宇宙○○〕の系譜。『ウルトラマン』で“宇宙忍者”・“宇宙恐竜”を経た後は、シリーズ第3作『ウルトラセブン』に到りいよいよ沸騰・爆発する。“宇宙狩人(ハンター)”クール星人(第1話)や“宇宙蝦人間”ビラ星人(第5話)、“宇宙竜”ナース(第11話)、果ては“宇宙ゲリラ”シャドー星人(第23話)や“宇宙スパイ”プロテ星人(第29話)などという物騒なものも...。
この莫迦莫迦しくもしかし必死で何処か憎めない面々の継承は、以降のシリーズにも受け継がれ、ときには突飛であられもないものへと移ろいゆく。“宇宙電気クラゲ”ユニバーラゲス(『ウルトラマンA』第49話)や“宇宙悪霊”アクマニヤ星人(『ウルトラマンレオ』第33話)、最近のものでは“宇宙剣豪”ザムシャー(『ウルトラマンメビウス』第16・49話)なんかが記憶に新しい。電気クラゲ、悪霊、剣豪...こうなるともう、単に「体系付け」への衝動では済まされない。熱情迸るプラス・アルファが作用しているとしか思えないのだが。さてそれは何か?
宇宙が秘める「謎」に対して、地球のコモンセンスで以って括ろうとした〔宇宙○○〕。だが大いなる「ロマン」への憧憬は、実際に宇宙船が航行する時代を向かえ、ある意味裏切られたと言える。月や火星には「何も」無かったのだ。「なぁんだぁ...」という興醒めとともに、宇宙に対する畏怖が一気に失墜する一方で、人類にとって現実化した宇宙はより身近なものとなった。“宇宙電気クラゲ”や“宇宙悪霊”などという、ともすれば「悪ふざけ」にとられかねない名付けは、こうした「宇宙に対するシラケ」を背景としているのではなかろうか。「所詮宇宙には何も無い。ならば勝手に面白くしてしまえ」 そんな作り手側の声が聞こえて来るようだ。そこには無常に対する反動、また宇宙への覇権・征服欲も有ろう。不可思議な宇宙を一応は定義付けようとした〔宇宙○○〕は、時代とともに「地球との同化」へと偏向していったのである。
しかしその性格が変容しようとも、〔宇宙○○〕が放つ魅力は潰えない。地球の「○○」に「宇宙」がくっ付いただけで世界が180度変わってしまうマジックは、人びとを魅了して止まないのだ。そういった意味で“宇宙忍者”の名は、未来永劫に不滅であろう。
本エピソードで刮目すべき点は、科学センターを占拠したバルタン星人に対して、科学特捜隊が攻撃よりも先ず「話し合い」で解決を図ろうとするくだりだ。バルタン星人の地球移住の意志に対して、「いいでしょう、君たちがこの地球の風俗・習慣になじみ、地球の法律を守るならば、それも不可能なことではない」などと応じようとする。その後バルタン星人の総数が20億3千万(!)にも及ぶと分かり、交渉は決裂してしまうのだが、ここで描かれる「国際主義」振りは特筆に値しよう。
地球側が宇宙の難民・バルタン星人らと交渉に臨むというその国際主義こそは、チーフライターである沖縄出身の金城哲夫が『ウルトラマン』を描くにあたって掲げた、「コスモポリタニズム」に準じたものではなかろうか。
同じ「話し合い」による平和裡な解決を描いた作品として、金城が書いた『ウルトラセブン』第14・15話「ウルトラ警備隊西へ」の前後編に、その相似を見ることが出来る。地球側が「観測目的」で打ち上げたロケットがペダン星人の逆鱗に抵触、誤解から全面戦争の危機に陥ろうとするさなか、ウルトラセブンであるダンがペダン星人であるドロシー・アンダーソンと話し合うくだりだ。(そのへんのところは「ウルトラ警備隊西へ」の項目で詳述するので、参照していただきたい) もっともバルタン星人にしろペダン星人にしろ、「平和裡な解決」は果たせないのだが。とにかく「宇宙人来襲=即交戦」のその前に、先ず「話し合い」に臨もうとする地球人、あるいはそれを促そうとするウルトラマン(セブン)が描かれることは注目点である。
また同じ金城作品の『ウルトラマン』第33話「禁じられた言葉」では、対峙したウルトラマンとメフィラス星人が戦う前に話し合っている。「メフィラス星人、さっさとお前の星へ帰れ!」「スパイ!」と、ほんの短い対話なのだが、交戦の前に退去を促そうとするウルトラマンの態度は、やはり金城ならではの配慮と言えよう。
もちろん宇宙人との対話は、地球人と宇宙人との間に本来存在している対立関係を曖昧模糊とし、ともすれば「馴れ合い」と取られかねない。しかし飯島が「ややもすると、ウルトラマンが戦争代理屋になりかねないところを、夢のような作品に仕立てたのは金城の功績」と語っているように、「宇宙人と話し合う」が如きファンタジーは、怪獣や宇宙人である「異者」を排除するという殺伐さを、ソフトなタッチで糊塗する作用を果たしているのだ。
ウルトラマンが単なる戦争代理屋ではなく、人間と怪獣(宇宙人)の仲裁役として時には怪獣(宇宙人)側の事情を酌量する態度を示すのも、「沖縄と本土」の狭間で揺れ動き葛藤していた金城の、逡巡の果てに辿り着いたひとつの回答である。そういった鞏固な地盤の上にある『ウルトラマン』だからこそ、金城以外が手がけた個性的な作品群、たとえば佐々木守脚本・実相寺昭雄監督の第23話「故郷は地球」や第35話「怪獣墓場」などの、謂わば“変化球”がより一層活きてくるのだ。
バルタン星人との交渉代表陣の中に、防衛隊幕僚長を演じた藤田進の姿がある。藤田はその後、『ウルトラセブン』(1967年)でヤマオカ長官役を、そして『帰ってきたウルトラマン』(1971年)でも防衛軍長官を演じており、その長官っぷりを遺憾なく発揮している。
ちなみにその幕僚たちの声をアフレコであてたのは、黒部進(ハヤタ役)や石井伊吉(アラシ役)だ。これは番組が基本的にアフレコによる音入れであって、録音時に出演者全員を再度集めるのは効率が悪く、そのとき現場に居た出演者を登用したことに起因する。
「バルタン星人」のその名は、名付け親である飯島の言質によると、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ紛争が絶えなかったバルカン半島に由来している。バルタンは兵器開発競争の果てに滅びた星であり、そこの住人という設定だ。よく言われる「歌手のシルビー・バルタン」からの名付けという説は、金城哲夫の勘違いであると思われる。
自由奔放な姿は、
成田の魂の飛翔だ。
バルタン星人のハサミは劇中ウルトラマンによって割られるが、撮影現場で実際に破損してしまったので、後からフォローとして戦闘中に破損するシーンが追加撮影されたのだ。
などの劇場用アニメーション作品やTVシリーズ、ビデオ作品などにも、バルタン星人はウルトラ怪獣の代表格として必ず登場しているのだ。
更にウルトラシリーズ以外の作品では、
などが挙げられよう。
また草刈正雄との共演が印象に残る東芝のビデオデッキ「ビュースターA-9」(1984.3.)のCMや円谷プロの企業CM(1997.)、更に『ウルトラマンフェスティバル』などのステージショーと、挙げ連ねればもうきりが無い。
腕を十字に組んで放つ、お馴染みスペシウム光線のポーズ。飯島敏宏監督本人による考案である。
パッと消えたと思ったら、次の瞬間には別の場所に現われる神出鬼没。一人が二人、二人が四人、四人が...何体にも見せかけて敵を弄する分身術。
"宇宙忍者""宇宙恐竜"に続け!
“宇宙語”でもってコミュニケーションを図ろうとするイデに対し、乗っとったアラシの口を通じて発せられるバルタン星人の「君ノ宇宙語ハ解カリニクイ」というセリフは笑える。イデの面目丸潰れだ。ちなみにこの際にイデが話した宇宙語は「キエテコシキレキレテ」だが、その意味は「ボク、キミ、友達」である。『ウルトラマンメビウス』(2006年)第7話「ファントンの落し物」でもこの「キエテコシキレキレテ」が使われ、40年来のオールドファンをニヤリとさせた。
「金城が本流をおさえてくれていたから、ぼくや実相寺が変化球を投げられた。どんな変化球でも、彼は受け止めてくれた」 そう語ったのは、金城の親しい友である上原正三だ。
バルタン星人は、母星を失った宇宙の難民だ
高度な文明を築いたバルタン星人のハサミ
宇宙人の手先は指である必要が無い
「有機体+無機物」、ハイブリットの具現化
現実と空想の境界を突き崩す、この姿!
昆虫顔の侵略宇宙人
佐藤バルタンと池田エレキング、
唯一無比のウルトラ怪獣
「フォッフォッフォッ」の元は、東宝のマタンゴである
時代とともに移り変わるバルタン星人の姿、
激烈な変貌の遍歴
「宇宙忍者」バルタン星人の生みの親は、
飯島敏宏監督だ
分身の術は、強者の特権である
人類とバルタン星人、
お互いにその生命観を理解しない
群体生物さながらの生態
人智及ばぬ宇宙生物の常識、不気味さの権化
人心狂わす妖術は、忍者さながらだ
〔宇宙○○〕の二大白眉、その英姿
畏敬・憧憬は薄れ、宇宙の威厳も遠い昔日
地球移住を望むバルタン星人、
その数20億3千万!
平和裡な解決こそウルトラマンの本懐
交渉は決裂し、結局は戦うことになるのだが...
交戦に先立った「話し合い」の試みに注目だ